16 それをわしらに向かって言うのかい?
何事も無く夜が過ぎ、少し曇り気味の空の下で旅の一行は目を覚ます。「雨が来なければいいが」などと話しながらも出発の準備に取り掛かる。馬には水と餌をやり、人も朝食を摂る。所用を済ませたら出発だ。
二日目にはもう、話し好きの二人が乗り合わせた馬車以外は黙々と歩を進めるのみになる。長く同じ時間を過ごしていれば、話すことなどお互いに同じことの繰り返しだ。酒を呑んでいる時なら平気な繰り返しでも、旅の途中で馬車に揺られながらでは何かと心がささくれ立ったりもする。静かな方がおかしな波風も立たないのを皆が理解している。
そんな冒険者達の事情とは関係無く、初日から静かだったのはコビアとテビックの乗る馬車だ。ところが、今日は少し様子が違う。
「もっと速く馬を歩かせられませんか?」
セントラルスを出発する前から落ち着かなかったテビックが、顔を真横のコビアに向けて、とうとうそんなことを言い出した。呑める要望なら叶える方向で検討するコビアでも、これには検討する価値を見出せない。行った先で馬を交換する手立てが有るのならともかく、今馬車を牽いている馬に、セントラルスに帰り着くまで働いて貰わなければならないのだ。
「無理を言わんでくだされ。無理して急がせたら馬がへばる。そうしたら却って到着も遅くなろうよ」
「それなら、休憩時間を減らして歩く時間を長くしたらいいじゃありませんか。そうだ! そうしましょう!」
テビックが肩までコビアに向けて口角泡を飛ばした。だからと言って、コビアの答えが変わる訳ではない。目を眇めて視界の端にだけテビックを映す。
「それだって馬に無理させるのは変わりゃせん。今日一日だけならともかく、往復で四十日以上掛かる。今日少しくらい先に進んでも、明日動けなくなったら元も子もないよ」
日帰りや一泊だけなら多少の無理も利かせられよう。この程度なら馬が動けなくなっても、一日二日で助けを呼べる。しかし片道だけでも二十日掛かる上、途中には軍の駐屯地がまばらに在るだけの道程で馬が喪われてしまえば立ち往生だ。喪われた馬が牽く筈だった荷物を捨てて人を優先させるか、確実に通り掛かる定期輸送の軍を待って助けを求めるかしなければならなくなる。無理をしても良いことなど何も無い。
コビアが疑問に思うのは、それが判らないテビックではない筈だと言うことだ。
「しかし早く帰らないと、アトスが死んでしまうかも知れないじゃないですか」
以心伝心などできる筈もない。そしてテビックにはコビアの疑問を推測する意図も無い。たまたま疑問に答えるように声を荒らげただけだろう。
そしてコビアには別の疑問が浮かぶ。
「アトスって誰だい?」
「息子に決まってるじゃないですか!」
知らんがな。コビアが思わず口にしそうになった言葉がこれだ。テビックとの付き合いはそこそこ長くなっているが、家族のことを聞かされたことなど過去に一度も無い。初めて聞いた名前を「決まってる」で済まされたくはない。
今まで聞かされなかったのは、テビックがそれだけ冒険者を警戒していることの現れだろう。しかし何故今言うのか。恐らくは特別な事情だ。ここまで焦るのであれば命に関わっているのだと、コビアは推測する。
「病気か何かなのかい?」
命に関わると聞かされて、唯一思い浮かぶのが病気だ。病気にはポーションでもプリスでも治せないものが有る。怪我ならポーションで大抵治るし、ポーションで無理なほど酷いのなら、こんな場所で狼狽えるよりもプリスに依頼するべきだろう。
しかしテビックがこれをあっさりと否定する。
「病気なんてしてませんけど……」
「それでどうして死ぬなんて言うのかい?」
この時、コビアは眉間に皺が寄るのを自覚した。他の可能性は災害や事故や事件に遭うことだ。しかしそれを気にして狼狽えていては、日々の生活が成り立たない。何をそんなに怖れていると言うのか。
「冒険者なんかをしようとしてるんですよ! いつ死んでしまうか判らないじゃないですか!」
「冒険者だったら死ぬのかい?」
冒険者になったら数日で命を落とすような言われ方は、よく有る風評の一つだ。稀な例が常であるかのように喧伝されている。ただ、最初から無謀な挑戦をした結果、帰還しなかったり、遺体で発見されたりと言った冒険者は極僅かながら定期的に現れるので、全く嘘でもないところが質の悪いところである。
また、冒険者全体の殉職率が軍と双璧を為しているのも風評の一役を担っている。ところがそれも、無謀な挑戦をして失敗する者や、魔物との戦いの前線で軍と共に戦う者を含めているためだ。これらの冒険者を除けば、殉職率は鍛冶屋や何かと大差無い。
とは言え、思い込んだら融通が利かないのも人である。
「危険じゃないですか!」
「それをわしらに向かって言うのかい?」
言外に、自分達が何年冒険者をやってると思っているのか、とも問うている。この旅の仲間は皆三十五年以上、オーボに至っては五十年を超えて冒険者を続けている。全く危険が無いとは言わないまでも、身の程を弁えて保守的に活動すれば、そうそう命を落とすようなことにはならないことの証明だ。今日明日にでも命を落とすかの如く勝手に決め付けないで貰いたいコビアである。
「あ、あなた方は大人ではありませんか。危険も承知の上でしょう?」
「そりゃ、承知はしておるがね……」
コビアは視線だけで天を仰いだ。馬鹿らしい。これが正直な感想だ。テビックが何をしたいのかさっぱり判らない。彼の不安を払拭するには、冒険者活動をする息子に張り付いていなければならないだろう。
「そんなに気になるなら、今から引き返すかい?」
「それができないから急ぐように言ってるんじゃありませんか」
仕入れをしなければ商売が成り立たない。商売が成り立たなければ生活も成り立たない。だから引き返すことはできないと言う当たり前の理屈だが、コビアから見れば、本当に商売をするつもりが有るのか疑わしい。息子のこと以外が全て上の空になっている。
「わしらだって端からできるだけ早く着くように考えておるよ。これ以上速くはできん」
「これのどこがですか! のんびり歩いてるようにしか見えませんよ!」
コビアは隠そうともせず、大きく溜め息を吐いた。
のんびり歩いているのは事実だが、これが長期的には最速だ。そしてテビックもこの速度で幾度となく往復している道である。
「カーワーさん。あんたももう何十回もこの街道を往復しておるだろうに、今更そんなことを言うのかい?」
「前々から思っていたことです。往復に時間が掛かり過ぎます」
ここぞとばかりにテビックが不満を口にした。
「そんな風に思っておったのかい」
コビアは「それで依頼料が少ないんだろうの……」と内心で呟きつつ、また盛大に溜め息を吐いた。
この態度が気に入らなかったのか、テビックが不満げに言う。
「そうですよ」
「これだけ遠ければ時間も掛かる。それが嫌なら、もっと速い運び人を雇うことだね。スピナー運送だとか」
時間が惜しいなら解決策は有る。速い運送会社に依頼すれば良いのだ。特に有名なのが、輸送に少しでも関わっていたら知らない人は居ないと思われるスピナー運送である。その設立者でもある召喚勇者の小塚玲夢ならコビア達の十倍の速さで輸送する。料金もコビア達が受け取る報酬総額の十倍ほどになるが。
「そんな料金は払えませんよ」
輸送したらしただけ売れるのならともかく、テビックの店は年に六回か七回こうしてのんびり往復する仕入れで十分な売り上げでしかない。そもそもの人口が限られているからだ。速さを求めても利益にならないのである。
「だったら腹を据えてこのまま進むしか無いね。それともやっぱり今から引き返すかい?」
コビアはあまりごねるようなら引き返すしかないと、少しばかり凄みを利かせて問い直した。すると、一瞬息を止めたテビックが僅かに上体を仰け反らせながら言う。
「……このまま進んでください」
「はいよ」
応えるコビアの声には疲れが滲み出ていた。




