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11 無理です!

 プリスの朝は早い。夜の明け前には起き上がる。極めて無防備な姿で、軽く欠伸をしながら伸びをする。魔法で明かりを灯し、飾り気の無いベッドから、同じく飾り気の無い部屋に降り立ったらなら、歯を磨いて顔を洗う。

 床に絨毯を敷いて柔軟体操。身体(からだ)が温まったところで切り上げて、出掛ける準備をする。身に着けるのは、いつもの肩も胸元もヘソも露わなタンクトップ、太股が剥き出しになったショートパンツ、革のブーツ。それからいざと言う時の備えとして、指ぬきグローブ、肘当て、膝当てを括り付けたベルトを腰に巻く。薄明の頃にはもう準備万端だ。

 プリスが住んでいるのは長期契約のアパートメント。小さな寝室、柔軟体操をするだけなら十分な広さのリビング、それに水回りが在るだけの部屋だ。

 キッチンも在るが使ってはいない。料理をすると、どうしても喪われた人々を思い出してしまう。その彼らとのひとときのためにのみ料理をし、彼らにのみ料理を振る舞った。料理には彼らが付きものだったのだ。連想しない筈もない。

 別に彼らを忘れたい訳ではない。むしろいつまでも憶えていたい。しかし思い出は時として否応なく哀しみまでもを連れて来る。それが少し辛いのである。

 微かに煙る朝靄の中、部屋を出る。視界を遮られるほどではないが、何となく煙っている。そんな朝の空気を胸一杯に吸い込んで、ゆっくりと吐く。きっと今日は一日晴れだろう。

 また息を吸い、走り出す。移動の時はいつも走る。これは体力維持の一環だ。移動時間が少し勿体ないからと言うのも無いではない。ちょっとばかり、せっかちさんなのだった。

 今朝の行動はいつもとは少しだけ違い、日課の前に冒険者ギルド前で待ち合わせだ。いつもは外に向かって走る道を、町の中心に向かって走る。町の中心に在る中央広場は直ぐだ。

 相手はプリスに少し遅れて到着した。


「おはようございます」

「来たわね。いい心懸けよ。みんな揃っているのは意外だけど」


 来ないことも想定していたので、少しの遅れなど些細なことだ。それよりも、一人とだけ約束したつもりだったので、三人揃っていたのに驚いた。

 ネッケートは腰に手を当てて踏ん反り返るように言う。


「この勇者も何をするのか興味が有ったのでな」

「ペコラに差を付けられたくないもの」


 カリンは癖毛を指で巻き取るように弄りながら言った。照れ隠しのような態度がどこまで本気なのかを曖昧にしている。

 しかしペコラは、カリンの本音がどこにあるかはお構いなしに、今の表面的な言葉だけで堅パン三個は行けるとばかりに瞳をキラキラと輝かせる。


「カリンちゃん……。負けず嫌いのカリンちゃんも可愛いよ!」

「な、何を急に!」


 ペコラの言葉に意表を突かれたカリンが、両手をワタワタとばたつかせながら、顔を真っ赤にして狼狽えた。これにはペコラだけでなく、ネッケートやプリスもほっこりだ。

 カリンのこんな反応を見たいがためにからかったのだとしたら、にやつくペコラはとんだ策士である。

 とは言え、このままでは話が進まない。


「はいはい。じゃれ合わなくていいから、始めるわよ」


 プリスはここまでの三人のやりとりから、慣れない町でペコラを一人で行動させるのが心配だった二人が付いて来たのだと推測した。何となく判っただけで十分だ。元より二人増えてもすることは何にも変わらないのだから、これ以上時間を無駄にすることはない。


「……と言っても、走るだけだけどね! しっかり付いて来るのよ?」


 プリスは三人が頷くのを確認した。


「それじゃ、レッツ、ゴー!」


 ビュン。

 風切り音。プリスは腕を振り上げて号令を掛けた直後に、瞬く間に三人から遠ざかった。残された三人は目を皿にする。


「ええ!?」


 バ。

 風を叩き付けるような音。悲鳴のような声を上げたペコラの前に、プリスは走ることで巻き起こした風を纏ったまま戻って来た。走り出して直ぐに誰も付いて来ていないことに気付いたのだ。


「ちょっと、付いて来なさいよ」

「どうやって!?」


 カリンは眼も口も大きく開いて疑問を訴えた。


「無理です!」


 ペコラは一言で拒否した。


「さしものこの勇者も面食らったぞ」


 ネッケートは可笑しそうにする。既に驚いた様子も見られない。

 尤も、プリスとしてはこの際ネッケートはどうでもいい。彼は一人でも必要なことをする筈だと、奇妙な信頼感が有るためだ。肝心なのは残る二人で、特に治療術士のペコラである。逃げ足くらいは備えなければ、冒険者としてこの先を生き残るのは難しい。ところが彼女のやる気は非常に乏しかった。

 治療術士や魔術士が運動したがらないのはプリスも理解している。過去のプリス自身も今のペコラ同様、他人に言われても何もしなかっただろうとの変な自信も有る。しかしそれでは駄目なのだ。駄目だったのだ。

 だからペコラには身体(からだ)を鍛えるようにし向けたい。少なくとも、逃げ足なら誰でも備えられる筈だ。


「……ゆっくりでもいいから、とにかく走りなさい。おいっちにぃ、おいっちにぃ」


 大きく太股を上げて足踏みしながらペコラを促す。


「ええぇ?」


 ペコラは声音と表情で走りたくない意思を目一杯主張した。

 しかしここまで来て、そんなことが許される筈も無い。


「はいはい、急いで急いで」

「ええぇ」


 ペコラの声は絶望に染まった。





「も……、もう限界ですぅ」

「わ、私も……」


 走り出して一分少々。ペコラもカリンも汗だくだくの疲労困憊で、時折咳き込みながら荒い息を吐いて足を止めた。ネッケートも二人に合わせて足を止め、少しだけ上がった息を整える。


「まだ内壁を出たばっかりよ。先はまだまだ長いよ!」


 足踏みをしたまま言うプリスに、ペコラは少しばかり恨みがましい視線を向けた。


「ど、どのくらい走るんでしょうか?」

「外壁周りを二周」


 プリスの日課がそれだ。


「えええっ! 歩いたら日が暮れる距離ですよね?」


 一周歩けば五時間から六時間。二周ならその倍。これは歩き続ければであるから、休憩を挟むならもっと時間が掛かる。日が暮れてもおかしくはない。


「走るからもっと短いわよ」

「どのくらいですか?」

「んー、三十分?」


 プリスはあっけらかんと自分が走る時間を言った。

 これには三人がまた目を丸くする。


「えええっ! それって全速の馬より速くないですか!?」

「先刻の速さを見せられた後では出任せとも思えぬ」

「無理。絶対無理」


 ペコラが悲鳴に似た声を上げ、ネッケートも唸り、カリンに至っては顔面蒼白で否定の言葉を言うばかりだ。

 しかし、プリスにも譲れない部分が有る。


「だけど、せめて一時間、大負けに負けても二時間で走り切らなきゃ話にならないわ」


 これはプリスの基準で、魔物と戦う勇者に付いて行くのに最低限必要な水準である。一周を一時間で走り切るだけでも、一般には類い希な持久力と健脚の持ち主と称されるだろう。


「ええー」

「一時間なんて無理」


 ペコラは心底嫌そうな声を上げ、カリンは絶対的に否定する。二人とも最初から諦めてしまっている。

 それでもランニングを日課にする前のプリスよりは、今の二人の方が能力的に優れているのだ。だからやればできない筈が無いと、プリスは考えるのである。


「この先もずっと生き残りたければ走れるようになりなさい。いざと言う時に頼りになるのは自分の足だけなんだから」


 いざと言う時には、一般レベルで健脚と言われる程度では足りない。

 この町から遠く、魔物との戦いの前線の町には、プリスの基準での最低限を軽くこなす冒険者が揃っている。そしてそうでなければ先頭に立って戦い続けるのが難しい。そして二、三年の後にはネッケートのそれに加わる筈だ。勇者はそう言う存在なのだから。

 その時、ペコラとカリンがネッケートと共に行けるかどうかは、この最低限をこなせるようになるかに懸かっている。


「二人とも頑張れ。この勇者も付き合おうではないか」

「そうそう。治療術士や魔術士には違う意味でも走った方がいいわよ」


 自らは身体を動かすのを苦にしないのだろうネッケートの後押しに合わせ、プリスは一つ付け加えた。


「どんな意味なのでしょう?」

「それは走れるようになってからのお楽しみ」


 身体を鍛えれば体力だけでなく、魔力も強くなる。魔力の回復速度もだ。ただ、これには個人差が有って、目立った向上が見られない場合も有る。もしも個人差が無いのなら、偉大な治療術士や魔術士は揃って筋骨隆々な肉体美を備えることになるだろう。

 そしてこれがやってみなければ判らないことのため、これに関して事前にあまり楽観的なことも言えない。「お楽しみ」と誤魔化すのが関の山になるのだ。


「ええぇ」


 やはり不満の声を上げるペコラ。

 さすがにこれでは町の外を走らせるのは危ういと、プリスは思い直した。このやる気の無さは油断を招きかねず、下手に魔物に出会せば、格下相手にも後れを取ってしまうかも知れない。


「だけどそうね。あたしは外壁の周りを走るけど、あんた達は危ないから、もう少し走れるようになるまで内壁に沿って走りなさい」

「心得た」


 ペコラとカリンが沈黙する中、ネッケートは頷いた。プリスの危惧を察したらしい。

 返事はネッケートからだけだったが、それでいいわと、プリスも頷く。


「じゃあ、後でねぇ」


 ビュン。

 風切り音を残して、瞬く間にプリスは三人の許から走り去った。


「それでは我らも参ろうではないか」

「走るの? ほんとに?」


 ネッケートが宣言すると、ペコラが念押しするように尋ねた。

 するとネッケートが「当然だ」とばかりに頷く。


「うむ。少なくとも一度は言われた通りにしてみるべきだろう」

「うう……。頑張る」


 自らが言い出したことを一度も行わないままにするほど、ペコラは軽薄ではなかったようである。


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