第八話 最弱が欲しいだけなのに(後編)
「いや、驚いたぜ」
ハゲにそう声をかけられ、人をかき分けながらカウンターへ戻る。が、ただでは歩かせてもらえなかった。すれ違う男たちが、丸太みたいな腕で次々と背中を叩いてくる。称賛のつもりなのだろうが、一発ごとに肺の空気が押し出される。酒と汗の匂い、「やるじゃねえか新人!」という野太い声。さっきの歓声の熱気は、まだ少しも冷めていない。シールドよ、仕事はどうした。ああそうか、「危害を加える速度」じゃないのか。祝福は防げない仕様だった。
その後ろを、なぜかアレスがのこのことついてくる。そしてこちらが叩かれるたび、当のアレスには倍の野次が降り注いでいた。「Aランクが新人に吹っ飛ばされてやんの!」「次の酒、お前のおごりだからな!」と、まあ容赦がない。なのに本人は、揉みくちゃにされながら平気な顔で笑っている。
なるほど。人望がないのではなく、人望がありすぎるケースのやつだな。負けて株が下がるどころか、店中の酒の肴になって、それを本人が一番楽しんでいる。こういう人種には、一生勝てる気がしない。腕力の話ではなく。
アレスが、俺の肩に馴れ馴れしく腕を回してくる。距離感の設定がおかしい。さっき初めて会って、さっき吹っ飛ばした相手だぞ。
「こいつなら登録からAランクでいいだろ!」
赤髪のバカが余計なことを言っている。もうやめて。俺の平穏が、お前の一言ごとに削れていく。
「バカなことを言うな。強さだけでは決められん」
受付台に戻ったハゲが、小山のような腕を組んで一蹴する。やっぱりバカ扱いされている。ハゲは人を見る目があるな。その調子だ。もっと言ってやれ。
と、思ったのも束の間。ハゲの視線が、俺を上から下まで、見極めるように一往復した。獲物の値段でも付けるような、嫌な間だった。
「とはいえ、通常通りFランクスタートは勿体無いな。信頼と実績が確認できるまでDランクスタートのDランク止めだ。問題ないか?」
目が曇っているハゲが、余計なことを言いやがった。
FとDの間には、EというランクがあるはずなんだがEの立場はどうなる。……いや、ここで「Fがいいです」とゴネる新人のほうが、よほど不審で目立つか。まぁもう遅いか。一生Dランクで生きていこう。Dランク止め、結構。むしろ「止め」の部分を、末永くよろしくお願いしたい。
「ああ、問題ないが最初に言ったとおりでハンターギルドのシステムがわからない。説明をしてくれ」
「Fランクが一番弱い。Sランクが一番強い。俺はAでかなり強いぞ!」
横から赤バカが胸を張る。何も役に立たない説明をありがとう。
「依頼をこなしていけば試験を行いランクは上がる。A以上になるには国の承認が必要だ。男爵と同等の権限が得られるから、ギルドの一存では決められない」
ハゲが、赤髪の戯言を綺麗に上書きして続ける。
まさかこの赤髪、貴族並みの待遇なのか。肩に腕を回してくる男爵がいてたまるか。ちゃんと審査しろ、名前もわからない国よ。……そういえば、街の名前すら知らないな。地図に書いてあるだろうか。銅貨三枚の地図に、多くを期待するのはやめておこう。
「最低限のノルマはあるか?」
「ランクに見合った依頼を年に四回はやってもらう。下のランクの依頼ならば必要回数は増える。Aランク以上はノルマなしだが、国から強制依頼が発生する」
年四回。想像よりずっと緩い。三ヶ月に一度、適当な依頼をこなせば身分は維持できるわけだ。悪くない。悪くないが、聞き捨てならない情報が最後にくっついていた。
国から、強制依頼。
ノルマなしという飴の裏に、拒否権なしという鞭。名指しで、国から、仕事が降ってくる。怠惰な生活の対極にある言葉を、これ以上ないほど濃縮した響きだ。
……Aランクには、絶対にならないようにしよう。
「心配するな。お前なら最短でAランクになれるさ。俺が保証するぜ」
アレスが、嫌がらせのように眩しい笑顔を向けてくる。本当に、もう一度やり直したい。人の話を聞け。俺は今、ならない決意をしたところなんだ。その保証は、呪いと呼ぶんだ。
「ああ、ありがとうよ。この後は何をすれば良い?」
「ここに名前と年齢、連絡をとりたい場合にどこで取れるかを書け。パーティを希望するならメンバーを紹介することもできるぞ」
「いや、一人が気楽でいいので結構だ」
差し出されたのは、ざらりとした生成りの用紙と、インク壺に挿さった羽根ペン。文字はあるが書式は素っ気なく、記入欄もやけに大雑把だ。個人情報の管理体制に一抹の不安を覚えるが、この世界に情報漏洩もクソもないか。
パーティの欄を斜線で潰しながら、名前と年齢を書き込む。羽根ペンは思ったより書きにくい。インクが滲んで、二十歳の「二」が早速太った。住所の欄で少し迷ったが、家もないので、宿暮らしと書いておいた。ホームレスと書かないだけの分別は、俺にもある。
「レオナルドって言うのか! いい名前だな!」
アレスが横からずいと顔を寄せ、書きかけの用紙を覗き込んでくる。おい、個人情報保護はどうなっているのか。一抹の不安、即回収である。
「カードを作ってくるからちょっと待っとけ」
用紙を受け取ったハゲが、のっそりと席を外し、奥の小部屋へと消えていく。さて――社会性のある俺としては、この待ち時間も無駄にはしない。トラブルメーカーになりそうなアレスにも、ちゃんと挨拶しておくのが大人というものだ。敵は作らない。味方も増やしすぎない。付かず離れずの中間管理術。
「よろしくな。レオとでも呼んでくれ」
「おう。俺はアレスという。一応このギルドじゃ数少ないAランクだ。困ったことがあれば言ってくれ。その代わり、また勝負してくれ」
差し出された手は、見た目の細さに反して、剣だこで分厚く硬かった。積み上げた年月が、そのまま掌の硬さになっている。それだけの男が、新人に十秒で勝とうとして、吹っ飛ばされて、笑っている。やはり、頭が少しおかしい。
「勝負はしないが、宿が決まっていなくてな。高くて綺麗で安全なところを紹介してくれ」
「高くていいのかよ。それなら、百年の灯火だな。一泊銀貨十枚かかるので、金持ちしかいなくて安全だぞ」
一泊十万円。金で安全を買えるなら、いくらでも出そう。それにしても、名前のセンスよ。俺は百年以上生きてしまうぞ。その時は、二百年の灯火に改名してもらうのか。
「そいつは都合が良い。この街に今日来たのだが、城壁が随分立派だな。何か理由はあるか?」
「基本的に平和な街だ。ごくまれにだが、モンスターが異常発生する。モンスターパニックってやつだ。今まで城門を破られたことはないから安心していいぞ」
こいつ……。また余計なフラグを立てやがって。
「今まで一度も破られたことがない」は、物語の世界では「近日中に破られます」の丁寧な言い換えだ。頼むから、俺の滞在中だけは記録を守り抜いてくれ。たとえ城壁が破られようと、俺は百年の灯火から一歩も離れないからな。
「ほらできたぞ。ついでに依頼を受けていくかい?」
奥から戻ったハゲが、台の上に一枚のカードを滑らせてよこす。受け取ると、見た目より少しずしりと重い。鈍く光る金属の板に、文字が刻まれていた。指でなぞると、刻印の溝がほのかに温かい。魔力でも通っているのか。プラスチックのカードしか知らない身には、身分証というより、小さな武器に見える。
――レオナルド Dランク ソラリス王国本部所属 王歴三百十二年登録
ソラリス王国。これが、この国の名前か。本部、ということは――ここが王都だったわけだ。道理で城壁が立派なはずだ。狙って辺境の田舎町にでも降ろされたと思っていたら、いきなり首都のど真ん中である。爺さんの人選なのか、偶然なのか。あとで城でも見学に行くか。
「今日はもう疲れた。またあとで来るさ」
「おう。俺の名はドイルという。依頼を受けるときは俺の名前を指名しろ」
言うだけ言って、ハゲはもう次の書類に目を落としている。ハゲ改め、ドイル。世話になった分、名前くらいは覚えておこう。……たぶん当分は「ハゲ」で思い出して「ドイル」に変換する二度手間になるが。
ひらりと手を振り、身分証を懐にしまって、ハンターギルドの扉へ向かう。出ていく背中の最後の最後まで、無数の視線が刺さっているのがわかった。
扉をくぐった途端、店内の喧騒が嘘のように遠のいた。外はもう夕方で、白い石畳が橙色に染まっている。酒と汗の熱気のかわりに、涼しい風が頬に当たった。それでもなお、薄い壁の向こうからは「Aランクだぞ」「やべえ新人が入った」と、ひそめ損ねたざわめきが漏れ聞こえてくる。
……次こそは。次こそは、徹底してモブに徹するのだ。最低限の依頼だけを淡々とこなし、誰の記憶にも残らない、その他大勢の一人になる。目指せ、名前を思い出してもらえない男。
固く心に誓い、通りへ一歩を踏み出す。
背後ではもう、「やべえ新人」の噂が酒の肴になって広がり始めていた。明日にはきっと、ありもしない尾ひれが二つ三つ、付いていることだろう。
……まあ、それも全部、明日でいい。
異世界転生、初日。宇宙で目覚め、爺さんと人生を賭けた交渉をし、徒歩で街まで歩かされ、貴族に化け、値切りを覚え、Aランクを吹っ飛ばした。我ながら、働きすぎだ。怠惰志望の男の初日じゃない。
とにかく今は、一刻も早く休みたかった。




