第七話 最弱が欲しいだけなのに(前編)
ハンターギルドに向かう。すぐ近くにあると、オージから教えてもらった。
その「すぐ近く」に、もう十五分は歩いている。地図の縮尺がおかしいのか街が広すぎるのか、買ったばかりの地図は、近場ではまるで役に立たない。銅貨三枚の仕事は、しっかり銅貨三枚分だった。
ここか……?
イメージでは、こぢんまりとした二階建てで、一階にはガラの悪い奴らがたむろしていて、入った瞬間に「おいおい、ずいぶんヒョロいのが来たじゃねえか」と絡んでくるはずだった。テンプレの知識は、そう言っている。だが、何か違うな。
外観こそ三階建てで、ほかの建物と大差ない。だが、開け放たれた入り口から漏れ出してくるものが、明らかに普通じゃなかった。昼間だというのに、酒と汗の匂い。中から響くのは、野太い怒号と、ジョッキを打ちつける音、地鳴りのような笑い声だ。完全に、酒場。それも、まだ日の高い時間とは思えない盛り上がりようだ。ここの連中の勤務時間は、どうなっているんだ。
建物の脇には、柵で囲った訓練場がある。外の通りからも何人かが身を乗り出して、中を覗き込んでいた。なるほど、ボクシングジムみたいなものか。道場と酒場と職業安定所を、一つ屋根の下に詰め込んだらしい。この世界の施設は、どうも詰め込み体質だ。
意を決して足を踏み入れた途端、熱気に殴られた。
長テーブルがいくつも並び、男たちがジョッキ片手に、一斉に同じ方向へ身を乗り出して吠えている。床には木屑と、こぼれた酒の染み。壁には錆びた剣や、何の魔物のものとも知れない巨大な牙が、無造作に立てかけてあった。インテリアではなく、たぶん「置き場所がないからそこにある」だけの牙だ。物騒にもほどがある。
視線を集めているのは、さっき外から見えた訓練場で繰り広げられる模擬戦らしきものだ。木剣を打ち合う二人を客が取り囲み、好き勝手にヤジと、賭け金らしき小銭を飛ばしている。絡まれないよう、見ないようにしたかったが、否応なく視線を奪われた。
その輪の中に、ひときわ背の低い影がある。樽のような胴に、丸太の腕。顎の髭は、もはや胸元まで届いている。あのずんぐりむっくりの髭モジャ……ドワーフという種族ではないか? 見渡せば、似た体格が他にも何人か交じっている。本物だ。本物のファンタジーが、ジョッキ片手にヤジを飛ばしている。
はぁ、ファンタジーだな。腕、太すぎ。
まぁ俺には関係のないことなので、カウンターに向かう。中途半端な時間なのか、並ぶ人はいない。今日二度目の窓口だ。もう慣れたもの……と思いたい。
綺麗な受付嬢なんてものは当然いないとして、マッチョハゲが座っている。何故かこちらを見ている。今更だが、異世界に来て、オッサンとしか交流していない事実に慄く。門番、オージ、そしてこのハゲ。俺の異世界人脈図鑑は、今のところ中年男性のページしかない。
歳は四十も後半だろうか。きれいに毛のない頭が、天井の明かりをてらてらと照り返している。だが、ひょろりとした禿頭の老人を思い浮かべてはいけない。首から肩は小山のように盛り上がり、受付台に乗せた腕は、シャツの袖を今にもはち切れさせそうだ。間違いなく、元は前線で暴れていた口だろう。種族は、見たところ人族。
受付にこの圧か、と思いかけて――そういえばここは、そういう店だった。むしろ適材適所かもしれない。酔っ払いの喧嘩を、窓口から一歩も動かずに止められる。
「ハンターになりたいんだが」
「初戦料は銀貨一枚だ」
ドライな対応ももはや慣れたものだ。だが待て、今なんて言った。登録料じゃなくて、初戦料? 戦うこと、確定してませんかね。気になるが、聞き返して「戦えないのか?」と言われるのも癪だ。無言で銀貨を渡す。無口は最強の鎧(本日三回目)。
「とりあえず何もわからないから、説明を頼む」
「簡単だ。あそこで戦え。相手は――おい、アレス! 試験官をやれ!」
ドライすぎませんかね。
説明を頼んだら、五文字で終わった。あそこで戦え。ハンター登録の説明として、情報量がゼロに等しい。だがハゲの中では、これで説明は完了らしい。すでに視線は訓練場に飛んでいる。
アレスってのは、あいつか。
むさ苦しい大男ばかりのこの店で、そいつは少し毛色が違った。歳は三十そこそこ、細身。燃えるような赤い髪に、よく日に焼けた褐色の肌。背には、自分の上背ほどもある大剣を、無造作に担いでいる。あれを「担げる」時点で、細身という印象のほうが間違っているのだろう。
軽装で隙だらけに見えて、立ち姿には妙な余裕があった。そして何より――名を呼ばれた瞬間から、こいつはなぜか、嬉しそうに口角を上げている。
面倒ごとのはずなのに、喜んでいるのが理解できない。仕事を振られて喜ぶ人間を、俺は前世で一度も見たことがない。
「おし! 久々に俺の出番だ!」
なんだ、手当でも出るのか? 銀貨一枚ならたかが知れてる。しかし急だな。ハンターが何をするのかもわからないまま、模擬戦か。あそこで、あの酔っ払いどもの前で、見せ物になるわけか。
「早くこっちに来い」
ハゲのくせに行動が早い。ハゲは関係ないか。渋々ついていくと、ギャラリーがこちらに気づいて、野太い歓声が上がった。
「新人試験だ!」
「あいつ細すぎだろ。賭けとして成り立たねーぞ」
「新人! アレスをぶっ飛ばせ!」
俺の意思とは無関係に、場が出来上がっていく。ジョッキが掲げられ、小銭が飛び交い、どこからか賭けの胴元らしき男が身を乗り出してくる。
そうだよな。テレビもネットもない世界だ。一番の娯楽は、殴り合いを見て、酒を飲んで賭けをする。あり得る話だ。あり得る話だが、その娯楽の供給側に、来て初日の俺が回るのは聞いていない。
「お前の得意な武器は何だ?」
ハゲが聞いてくるが、そんなものないぞ。剣道の授業が最後だ。あとは、あれしかない。
「魔法だな」
「魔法も使って良いが、自分の身は自分で守れないといかん。どれでも良いから武器をとれ」
世界を滅ぼせるレベルで得意だ――とは言わないでおいたが、どうやら魔法一本では駄目らしい。壁際の武器置き場には、練習用の、刃を潰した槍や剣。ボロボロの盾。弓もあるが、矢の先は丸まっている。武器のなんとか選手権が開けそうな品揃えだが、どれを持っても素人なのは変わらない。うーん、オートシールドもあるし、適当に剣で良いか。一番構え方の想像がつくやつだ。
「俺は、俺が十秒かからずに勝つほうに、銀貨十枚賭けるぞ!」
アレスが叫ぶ。ギャラリーがどっと沸いた。
喜びの理由はそれか。そもそも、自分に賭けるのはアリなのか。イカサマし放題な気がするが、酒で脳が溶けているのか、誰もが興奮している。俺だけが素面だ。この温度差、大晦日に一人だけ仕事をしている気分に似ている。
「準備はいいか?」
アレスのほうを見ると、防具はなし。背の大剣はそのままに、こちらと同じ、刃を潰した練習用の剣を手にしている。新人相手に本身は抜かない、ということか。見た目によらず律儀だ。それでも、構えるだけで妙に様になっている。ちょっとかっこいいな。まぁ、何とかなるだろう。
「いいぞ」
と言った瞬間に、気づく。
俺がこれまで放ったことのある魔法は、天まで火が届くやつだけだ。あれを使ったら、アレスはこの世から消滅してしまう。ついでに訓練場と、たぶんギルドの建物と、下手をすると街の一区画も。まずいまずいまずい。やっぱり横着せず、街に入る前に練習しておくべきだった。手持ちの魔法が「即死」と「大量破壊」しかない男に、模擬戦をやらせるな。
……どうする。手加減の仕方が、わからない。
「はじめ!」
考えている最中なのに、ハゲが勝手に始めやがった。何もかも、行動が早すぎなんだよハゲ。
アレスが、細身からは想像もつかない踏み込みで、一気に間合いを詰めてくる。石畳を蹴る音が、一つしか聞こえなかった。気づいたときには、剣はもう高々と振り上げられていた。速い。咄嗟に身体強化で対抗しようとして――また、気づいてしまった。
俺の魔力で身体強化なんてしたら、剣を振った風圧だけで、アレスが消し飛ぶんじゃないか? やばいやばいやばい。
――弱めで、身体強化。
念じた瞬間、世界が変わった。
こちらへ飛びかかってくるアレスの動きが、嘘のようにゆっくりになる。振り上げた剣の軌跡も、床を蹴った爪先が舞い上げる砂埃の一粒一粒までも、はっきりと目で追えた。ギャラリーの歓声が、間延びした低い唸りに変わっている。なんだ、これは。時空魔法は存在しないはずだ。……となると、身体強化で肉体だけでなく、脳の処理速度まで上がっているのか?
引き伸ばされた時間の中で、改めて思い知る。じりじりと迫るアレスの太刀筋は、素人の俺の目にも、ぞっとするほど鋭い。無駄がなく、まっすぐで、躊躇がない。常の速さで来られていたら、避けるどころか反応すら危うかっただろう。なるほど、「久々の出番」を任されるだけの、本物の手練れというわけだ。だが、止まって見えてしまえば、それも意味がない。
そして時間が止まったおかげで、俺はもう一つ、厄介なことに気づいてしまった。――こいつの、ランクだ。
アレスのランクが低ければ、ここでわざと負けてやると、試験そのものに落ちかねない。かといって高ければ、そんな相手に勝った新人など、嫌でも目立つ。どちらに転んでも、面倒だ。世界一贅沢な持ち時間で、世界一しょうもない悩みを転がしている自覚はある。どうしたら。誰かこの世界の標準的な強さを教えてくれ。
答えの出ないまま、アレスの刃が、俺の脳天めがけて振り下ろされてくる。
頼むから、低ランクであってくれ。そして――死なないでくれ。
半ば祈るような気持ちで、俺は手にした剣を、横ざまに振り払った。
軽く払ったつもりだった。
だが、潰した刃が触れた瞬間、アレスの剣はあっけなく手をすり抜け、ありえない速度で宙を裂いていった。錐揉みしながら飛んだそれは、ハンターギルドの分厚い壁に、根元まで深々と突き刺さる。
そして、剣の持ち主もまた。
握っていた剣を一瞬で奪われ、勢いを殺しそこねたアレスの体までもが、独楽のように回りながら弾き飛ばされ、ギャラリーの一団めがけて吹っ飛んでいった。悲鳴。雪崩れるように倒れていく人だかり。
水を打ったような静寂が、訪れる。
さっきまで地鳴りのようだった店内から、音という音が消えていた。誰かの持つジョッキから、酒が一筋、床に垂れる音すら聞こえそうだ。俺と、壁に刺さった剣と、人の山の下から足だけを覗かせるアレスとを、ギャラリーが何度も何度も、視線で往復させていた。
……あ。これ、やりすぎたやつだ。
こっそり、身体強化を解く。世界の速度が、元に戻った。
「……勝者は……新人だァッ!」
ハゲの宣言と同時に、店中が爆発した。
歓声、罵声、口笛、笑い声。あらゆる音が一斉に弾け、床が震えるほどの大騒ぎになる。賭け札が宙を舞い、誰かが誰かの胸ぐらを掴み、その横で乾杯が始まる。誰一人、アレスの心配などしていない。この店の人望、どうなってるんだ。
「はっはっは! アレスが賭けたのは、十秒以内に勝つ、だったよなぁ!?」
「一分にかけた俺の勝ちでいいんだよな、なぁ!」
その騒ぎの中、崩れた人垣がもぞりと動いた。下敷きになっていたアレスが、自力で這い出してくる。鼻の頭を擦りむき、赤い髪は爆発したようにぐしゃぐしゃだ。なのに――その顔は、さっきよりずっと嬉しそうだった。
「っはぁ……最高だ。なあ新人、名前は? 次は俺も、本気でやらせてくれよ」
……今ので本気じゃなかったのか。というか、勘弁してくれ。面倒の匂いしかしない。吹っ飛ばされて目を輝かせる人種と、関わって平穏に暮らせるはずがない。
そんな俺の内心をよそに、店のざわめきが、少しずつ質を変えていく。
「おい、見たか今の」
「やべえ奴が現れたな……」
「あの新人……下手すりゃ、Aランクだぞ」
なんか、嫌な単語が聞こえたような気がする。
俺はただ、いちばん下っ端の、目立たない身分証が欲しかっただけなんだが。
……どうしてこう、毎度こうなるかな。




