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第六話 快適な暮らしには、まず金がいる

「少し、いいか?」


 声をかける直前まで、貴族ムーブで行くことも考えていた。門ではあれで通ったのだ。

 だが、やめておく。門番とは一往復で終わったからよかったものの、ここは今後何度も世話になるかもしれない窓口だ。長い付き合いで貴族を演じ続けるのは、嘘に嘘を重ねる自転車操業になる。演技は初対面まで、が素人の限界だろう。素に近い、失礼にならない程度の口調でいく。


「あぁ、いいぜ。なんの用だ?」


 髭オヤジは、気だるそうに言ってきた。頬杖も崩さない。わざわざここに並ぶんじゃねえぞ、というオーラが滲んでいる。接客業の風上にも置けない態度だが、今の俺には、この「どうでもよさ」がありがたい。興味を持たれないことこそ、俺の求める客対応だ。


「今日この街に来た。物を売り買いしたくてな。色々と教えてほしい。まず、町の地図は売っているか?」

「商人向けの簡単なやつならあるぞ。銅貨三枚だ」


 オヤジが、茶色の紙をひらひらと振って見せてくる。横に積んであるところを見ると、外から来た商人向けの定番品らしい。紙質は良くなさそうだが、手書きではない。

 さて、ここで一つ、仕込みをさせてもらう。俺はこの世界の通貨の単位も、両替の刻みも知らない。だが「銅貨三枚っていくら?」と聞いた瞬間、俺は「金勘定もできない怪しい男」になる。なら、聞かずに教えてもらえばいい。

 俺は爺さんからもらったポチ袋から、銀貨を一枚抜いて台に置いた。


「細かいのはないのか?」


 受け取ったオヤジが、面倒くさそうに眉を寄せる。地図一枚に銀貨では、釣りが大きすぎるということだろう。

 ……ちょうどいい。釣りが大きいほど、教材としては上等だ。


「すまん、今ちょうど切らしててな」


 もちろん、嘘だ。あの妖怪爺さんが小銭を入れ忘れるはずもなく、ポチ袋にはおそらく一通り揃っている。


「ほら、半銀貨一枚と銅貨四十七枚だ。確認しろ」


 きた。台に広げられた釣り銭を、確認するふりをしながら頭の中で並べ直す。

 地図が銅貨三枚。釣りが半銀貨一枚と銅貨四十七枚。つまり、銀貨一枚で銅貨百枚、間に半銀貨。刻みは把握した。両替表を、店側に読み上げさせる作戦成功である。

 それにしても、紙の品質は悪いのに、印刷の技術は発達している。やはり、どこかチグハグな世界だ。


「他にも色々と聞きたいことがある。釣りは取っといてくれ。手間賃だと思ってくれて構わん」

「おぉ、悪いな。おまえさん、若いのに世の中をよく分かってるじゃないか」


 髭オヤジの笑顔をいただいた。やはり、世の中は金だ。異世界だろうと、この法則だけは揺るがない。

 ついでに、もう一つ収穫。この軽く喜んでいる様子からすると、銀貨一枚はそこまで高価ではない――が、チップとしては多すぎるくらいの相場、といったところか。銀貨を一万円、銅貨を百円ほどと、仮に置いておこう。釣り銭一回とチップ一回で、物価の目盛りまで手に入った。我ながら、いい買い物だ。


「今すぐじゃないが、家を買いたい。隣家と十分に距離があって静かで、塀で囲われた安全なところがいい。相場はいくらだ?」

「その条件だと、貴族街くらいしかないな。一番安くても白金貨一枚、上は基本売りに出ないが、買うなら白金貨百枚は要る。条件を変えるか?」


 白金貨。新しい単位が出た。同じ刻みなら、銀貨百枚で金貨、金貨百枚で白金貨か。換算して、安くて一億、上は百億。

 ……貴族街という割に、思ったより安い。東京の一等地なら億で買えるのは建売までだ。建築にも、魔力を使ったブレイクスルーでも起きているのか。人件費が安いのか。まあ、俺にとっては朗報でしかない。


「いや、そのくらいならすぐ用意できそうだ」


 そう返した瞬間、退屈そうだったオヤジの目が、ほんの一瞬だけ細くなった。

 ペンより剣を握ってきた男の、値踏みの目だ。白金貨を「そのくらい」と言ってのける若造を、測りかねているらしい。しまった、と気づいた時にはもう遅い。俺の金銭感覚はまだ地球の「億」のままで、こっちの「白金貨」の重みで喋っていなかった。

 だが、それも一瞬のこと。すぐに、いつものやる気のない顔に戻った。深く詮索しないのが、この窓口の流儀なのかもしれない。ありがたい流儀だ。末永く続いてほしい。


「ところで、今は身分証がないんだが、どうやって作ればいい?」

「うちに加入すりゃいい。紹介者になってくれるやつは、誰かいるか?」


 紹介者が必要なのか。この世界に来て数時間、俺の人脈は門番の人だけだ。……なってくれないよな。名前も知らないし。


「いない場合は、どうすればいい?」

「訳ありか。まあ、建物の中でフードを外さない時点で、何かあるとは思ったがな。一番早いのは、ハンターギルドか傭兵ギルドに所属することだ。ただし、ランクは最低の身分証になる。あとは教会という手もあるが、こっちは色々と制約がある」


 フードをずっと被っておくとトラブルの元になるのか。俺の場合、外したほうがより大きい災難が訪れる気がする……。門番の固まりっぷりを思い出せ。あれが窓口ごとに発生するのだ。


「フードを外すとな、あまりのかっこよさに蜂さんが寄ってきて煩わしいんだ」

「はっ。その様子じゃ、もう蜂に刺されて泣いたクチだろ」


 なかなか話せるな、このおっさん。悪くない。冗談を冗談で打ち返せる窓口は、地球でも希少種だ。


 その時、少し離れた窓口で、商談が決裂したらしい。台を叩く音と、押し殺した怒声。番号札を握った商人が、苦虫を噛み潰したような顔で荷物を抱え直し、別の窓口を探して歩き出した。ああいう輩はどこにでもいるんだな。世界が変わっても、金の話は人を殺気立たせる。


「最低ランクの身分証だと、何か困ることは?」

「物を売れば直接税を引かれる。家は借りられん。街に出入りするたび通行料だ。要するに、信用がないってことさ。……まあ、ランクを上げりゃ話は別だがな。素行の悪いやつは上がらん分、商業ギルドよりよっぽど信頼される。手っ取り早いのは高ランクのやつに紹介してもらうことだが……向こうにもリスクがある。すぐには無理だろうよ」


 なるほど、信用がそのまま値段になる世界か。信用スコアの手動運用みたいなものだ。

 最低ランクのままでも、正直困らない気はする。金は無限に作れそうだし、家は一括で買えばいい。税と通行料は、時間を金で買う経費と思えばいい。――が、それはそれとして、面倒ごとにしか聞こえん。


「ちなみにおっさんの窓口だけ何でガラガラなんだ? ヒゲ親父より可愛い子の方が良いのはわかるが、ここまであからさまに嫌われてるのか?」

「ちげーよ! ここは交渉がうまくいかなかった物を泣く泣く売りにくる窓口だ。だから物を売るにも最安値だし、買いたいときはふっかけなければならねー状況もある。嫌われてるわけじゃねえぞ。自分からわざわざくるやつはいねえな。おっと、一人いたな!」


 おっさんは笑いを噛み殺しながら言ってきた。

 つまりここは、敗者の駆け込み窓口だったのか。どうりで空いているわけだ。だが俺にとっては、並ぶ時間も金で買える、と考えれば最高の状況だ。最安値で売らされる? 原価ゼロの男に、その脅しは効かない。


「まぁいいが、後で金を売りたい。0.7キャスロットでいくらになる?」


 言ってから、頭の片隅で首をかしげる。何だよこの単位。重さの単位の知識は、0.7キャスロットで一キロと植え付けられているが、なんでキャスロットなのかそういった情報は一切頭の中にない。言語インストールは実務優先で、語源の欄は全部空欄らしい。


「混じり気無しの本物なら、金貨二十枚だな。ただし、最低身分の場合は強制税のせいで十五枚になるぞ」


 うーんと考えるフリをしながら、頭の中は別の問題で忙しい。キロとキャスロットの換算を、この先一生、暗算し続けるのか? 買い物のたびに? 料理のレシピでも?

 ……無理だ。俺は怠惰のためにこの世界へ来たんだぞ。

 さっき門の前で、コールで泣きつくくらいなら世界を滅ぼすほうがマシだと誓ったばかりだが。まあ、背に腹は代えられない。誓いの賞味期限は半日だった。


 ――コール。爺さん、緊急事態だ!

 ――なんじゃ!


 言い切ると同時に、爺さんからの返信の声が頭に響いた。不覚にも、びくりと肩が跳ねる。おっさんの目が、少し冷たくなった気がした。違うんだ、おっさん。今のは接客に驚いたんじゃない。


 ――地球と単位が違って辛い。頭の中で毎回計算しないといけないなんて無理だ。生きる希望がなくなった!

 ――何とまぁ。旅立った瞬間に連絡が来たので心配したが、そんなくだらんことかのぉ。まぁ良い、何とかしてやろう。今回だけは特別だと認識するのじゃぞ。


 今度は一瞬で返事が来ると身構えていたから、大丈夫。頭の中で、カチリと何かが組み変わる感覚があった。これでもう、単位の暗算とは無縁だ。

 ……思えば、爺さんの世界とは時間の流れが違う。こちらの一瞬の裏で、向こうはしばらく付き合ってくれていたのかもしれない。俺の「単位が辛い」に、何億年生きた存在が、体感で何分向き合ってくれたのか。考えると、少し胃が痛い。安売りすると、罰が当たりそうだ。今後はいざという時まで使用はやめておこう。


 ――ありがとな。恩に着る。


「何キロまで買い取ることができる?」

「お前さんは、実績がないから二十一キロまでだな」


 これだよ、これ。単位変換、さっそく仕事をしている。おっさんの言う「二十一キロ」が、そのまま二十一キロとして頭に入ってくる。この快適さのためなら、爺さん相手の一時の恥など、安いものだ。


「わかった。今度おっさんに持ってくるよ。俺はレオナルドという。よろしくな」


 物好きだなと、おっさんはくつくつ笑う。


「オージだ。いつ来ても暇だから、適当に待ってるぞ」


 似合わない名前だな。王子は、こっちなんだが。



 さて、身分証やらを作りに行きますか。

 目指すは、ハンターギルド。世界を滅ぼせる男が、最弱ランクの新人ハンターとして登録される。字面だけ見れば、とんだ茶番だ。

 だが、目立たず気楽に暮らすには、ちょうどいい。――そう、この時の俺は本気で信じていた。


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