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第五話 貴族に間違われた(訂正はしない)

 門の前には、三人ほどの列ができていた。

 たった三人。なのに、この三人が果てしなく重い。

 正直、何も分からない。身分証などないし、どこから来たかと聞かれても町の名前すら知らない。それどころか、この国の名前も、今日が何月何日なのかも知らない。面接で言えば、履歴書を忘れた上に社名も知らずに来た男だ。落ちる。普通に落ちる。

 いっそ身体強化で門を飛び越えたほうがよかったか、と今さら後悔する。いや、それで壁の上の槍持ちに囲まれたら本末転倒か。

 とはいえ、コールで爺さんに「街に入れないので助けてくれ」などと泣きついた日には――顔は見えずとも、あのにやけ面で言うに決まっている。


「こんなに早くコールを使うとはのぉ。人選を間違ったかのぉ」


 いじられるのが、目に見えている。何億年も生きる存在の記憶に「初日に門で詰んだ男」として永久保存されるのだ。それくらいなら、「街に入れなかったので世界を滅ぼしました」のほうが、まだマシだ。


 一人、また一人と街へ入っていく。前の客のやり取りを、参考にさせてもらおう。カンニングは社会人の基本スキルだ。

 ……おそらく、戦える者だな。腰の剣といい、足運びといい、素人目にも隙がない。冒険者というやつか。何かのカードを見せ、一言も話さずに通過していった。

 嘘だろ。まるで参考にならない。俺が知りたいのは「カードを持ってない人間」の通り方なんだ。

 そうこうするうち、俺の番が来た。心臓が一つ、大きく跳ねる。


「身分証を。あと、フードを取れ」


 やはり異世界、丁寧な対応は期待できないか。声は硬く、目つきは「怪しいやつめ」と言いたげだ。とりあえず、言われるがままフードを外す。

 ……ん?

 門番の顔が、あからさまに強張った。身分証を受け取ろうと突き出した手が、行き場をなくして宙で固まっている。さっきまでの尋問顔が、みるみる青ざめていく。なんだ、俺の顔に何かついているのか。

 ――ああ、そうか。ついているんだった。国宝級のイケメンが。

 この顔を見て、貴族とでも勘違いしたか。


「訳あって、身分証はない」


 貴族がどんなものかは知らないが、せっかくだ。乗らせてもらおう。訂正して回る義理もない。低めの声で、短く。喋れば喋るほどボロが出る。無口は最強の鎧だ。


「は、はい。……訪問の目的を、教えていただけますか」


 打って変わって敬語だ。やっぱり、権力っていいな。貴族じゃないけど。

 さて、目的。「知人を訪ねて」などと言って詳しく突っ込まれると詰む。知人の名前も住所も、俺の設定にはまだ存在しない。先手を打って、軽いジャブから入ろう。


「店を持とうと思ってな。良い場所がないか探している。その方面に強い相談相手がいれば、教えてほしい」


 名付けて、なし崩し作戦。聞かれたことに答え続けるとどこかで詰むので、こちらから質問を投げて会話を終わらせる――我ながら、素晴らしい作戦だ。質問権を握った側が、会話の主導権を握る。これも長い社会人生活の知恵である。


「はい。入場手続きの後、ご紹介します。身分証なしでの入場は、銀貨三枚になります」


 ……なし崩し作戦、不要だった。

 身分証がなくても、金さえ払えば入れるのか。ザル、と言いたいところだが、まあ観光にも来るだろうし、合理的といえば合理的だ。銀貨三枚の価値は分からん。ラーメン一杯なのか、家賃一ヶ月分なのか。高いと騒いで小物と思われるのも、安いのに札束で払って馬鹿と思われるのも避けたい。身分証の作り方も聞きたいが、この世界では常識かもしれない。下手に尋ねて怪しまれるのも面倒だ。やめておこう。無言で、銀貨三枚を手渡す。無口は最強の鎧(二回目)。


「あちらの中央に、ひときわ高い青い屋根の建物が見えますか。商業ギルドです。不動産のことは、あちらで尋ねるのがこの町では確実かと」


 商業ギルドか。あると思っていた。異世界モノの定番施設であり、俺の快適な生活には必須の存在だ。

 礼を言おうとして――はたと詰まる。「ありがとう」では貴族らしくないか。「ご苦労」。いや、なんか違う。「感謝する」。堅い。時間切れだ。


「うむ!」


 我ながら、よく分からない返事をしてしまった。

 頷きと返事の中間の何かだ。だが門番は、なぜかほっと息を吐いて、深々と頭を下げてきた。……通った。通ったらしい。よし、このまま行こう。


 門を潜り、街を一望する。

 石畳の大通りが、まっすぐ奥へと伸びていた。両脇には二階、三階建ての石造りの建物がびっしりと軒を連ね、その一階の多くが店だ。色とりどりの布、並んだ陶器、見たこともない果物。呼び込みの声と値切りの声が、絶え間なく重なって響く。荷を抱えた商人、買い物籠を提げた女、その足元を駆け抜けていく子供たち。焼けたパンと、煮込みらしき匂いが、どこからか漂ってくる。ゲームっぽいシチュエーションだけど、生活感が凄い。

 意外なことに。とても清潔だった。

 石畳に馬車の糞の類はほとんど落ちておらず、誰かが片付けているのか、道の脇の側溝には澄んだ水が流れている。中世ヨーロッパ風、という第一印象に反して、衛生面だけが妙に進んでいるのだ。上下水道でもあるのか、それとも魔法の仕業か。文明のバランスが、どこか歪に見える。トイレが森じゃない可能性が、ぐっと上がった。俺的には、世界の評価が二段階上がる大ニュースである。

 大通りの果て、街の中心には、ひときわ高く青い屋根の建物がそびえていた。あれが商業ギルドだろう。

 ――俺の怠惰で快適な異世界生活は、まずあそこから始まるらしい。



  * * *


――門番 Side――


 危ないところだった。


 列に並んでいる時から、しきりに辺りをキョロキョロしている。長い門番人生で培った勘が、「こいつは不審者だ」と告げていた。ひっ捕らえれば今夜の晩酌が一段豪華になる――と喜んだのも束の間だ。フードの下から現れたのは、誰がどう見ても青い血の流れる貴族、それもかなり爵位の高い一族の顔だった。

 なんだ、あの靴は。革ではない。見たこともない、真っ白で艶のある素材。縫い目は糸が見えぬほど細かく、泥の一つもついていない。脇に走った謎の波線、あの鮮やかな赤ときたら――まず間違いなく、ダンジョンで稀に出るというアーティファクトの類だろう。あれ一足を売るだけで、豪邸が何軒買えるか見当もつかない。そんな代物を、履いて歩いている。しかも土の街道を、だ。金銭感覚が、もう人間のそれではない。

 だが、一番まずかったのは、そこじゃない。フードを取った瞬間に溢れ出た、あの魔力の威圧だ。息が詰まって、突き出した手が動かなくなった。あれは、貴族が無礼な平民を斬り捨てる、まさにその直前の気配だった。身分証がない、だと? 頼むから勘弁してくれ。どこぞの道楽か知らんが、こういう御方は一般門ではなく貴族門から入ってくれ。あっちは礼節のプロが構えているんだ。こっちは荷馬車と行商人担当なんだ。

 俺にできる精一杯の礼を尽くしたのが効いたのか、御方は「うむ!」などと、わざわざ商人のふりをして見逃してくださった。本来、こんなイレギュラーは上に報告せねばならん。だが――報告して、あの御方の不興を買うのは誰だ? 俺だ。これは、俺の胸の内にしまっておこう。


 本当に、危ないところだった。



  * * *


――レオナルド Side――


 人混みを縫って大通りを進み、件の青い屋根の下までやってきた。

 商業ギルドは、近くで見ると思っていた以上に大きい。両開きの扉は開け放たれ、人がひっきりなしに出入りしている。中へ一歩踏み入れて――思わず、足が止まった。

 広いエントランスは、耳が痛くなるほどの喧騒に包まれていた。天井は高く吹き抜けになっていて、いくつもの高窓から光が差し込んでいる。やたらと立派な造りで、日本人の俺には、何を扱う施設なのかも見当がつかない。壁際にずらりと並んだ受付窓口は、面白いことに、列の長さにかなり偏りがあった。窓口ごとに役割が違うのか。番号札らしき木札を握った商人風の男たちが、苛立たしげに順番を待っている。羽根ペンの走る音、硬貨の擦れ合う音。あちこちで商談がまとまっては、決裂して、また人が入れ替わる。世界が違っても、金の話で殺気立つのは変わらないらしい。二階には、人影がちらほら見える程度だ。上客向けの階層、といったところか。

 役所と銀行と市場を、いっぺんに詰め込んだような場所だな。怠惰な生活を送りたい俺には、何度も足を運ばずに済む仕組みが必要だ。

 とはいえ、快適な生活はこの喧騒の向こうにしかないらしい。せめて少しでも早く済ませようと、どの窓口に並ぶか、ずらりと連なるカウンターを端から見定めていく。行列は情報だ。長い列は人気商品、短い列には短いなりの理由がある。


 一番、暇そうなカウンターを見つけた。

 他の窓口は、どこも容姿端麗なお姉様方が受付をしているのに、その一つだけ、髭面の中年オヤジが暇そうに外を眺めている。よし、ここに声をかけよう。……「実はこのおっさんがギルドマスターでした」なんてベタな展開は、いらないからな。

 歳は、四十半ばといったところか。手入れを放棄したような無精髭が顎を覆い、短く刈った髪には白いものが混じっている。一人だけ制服ではなくラフな格好で、太い首と日に焼けた胸板がのぞいていた。受付台に頬杖をつき、窓の外をぼんやり眺める姿は、絵に描いたような、やる気のない中年だ。

 だが――机に投げ出された腕は丸太のように太く、節くれだった手の甲には、古い傷がいくつも走っている。ペンより剣を握っていた年月のほうが長い。そんな気配がした。退屈そうな目だけが、こちらを値踏みするように、わずかに動く。

 退屈なふりが、ここまで板についた人間。そういう手合いに限って、厄介な大物だったりする。

 ……まあ、考えすぎだろう。たかが受付のおっさんだ。

 そう結論づけて、俺はその一番楽そうな窓口へと足を向けた。世界を滅ぼせる男が、たかが受付のおっさんを警戒する――そんな滑稽な話は、ないのだから。


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