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第三話 最強は交渉で決まるらしい(後編)

「ううむ……」


 管理者が唸る。

 この無音の空間で、唸り声だけが妙に大きく響いた。俺は黙って待つ。値引き交渉の鉄則だ。相手が考えている間に喋るな。焦った方が負ける。

 それに――即座に否定されていない時点で、何かしらの手段はあるのだろう。「不可能」の一言で済む話なら、この爺さんはとっくにそう言っている。重力も時間も空間も、あれだけスパスパと切り捨ててきたのだ。唸っているということは、天秤に何かが載っている。

 残りの時間は、全部ここに費やそう。


「理屈の上では可能じゃ。先ほどのシールド、首切断の件と合わせても、魔力量の範囲内ではある。じゃが、ワシの世界の管理者権限の一部を、其方に付与する必要がある。上位世界に気づかれぬためには、無駄なリスクとも言える。よって、別な内容にせい」


 可能。だが、やりたくない。

 つまりこれは能力の問題ではなく、意思の問題だ。そして意思なら、動かしようがある。ここは強気にいかねばならない場面だ。攻めどころは決まっている。この爺さんが自分の口で語った、あの動機だ。


「いや、ダメだ。悠久の時を生きてきたアンタなら分かるはずだ。それに耐えられなくなって、俺を呼んだんだろ? 俺にも同じ思いをしろと言うつもりか?」

「ふむ……。それを言われると弱いのぉ。だが、なんでもコピーできるほどの能力となると、参照できる権限が多岐に渡り、いつか確実に露呈するわい。具体的に、何をコピーして呼び出すつもりじゃ?」


 食いついた。具体案を聞くということは、検討する気があるということだ。

 さあ、ここからはプレゼンの時間だ。俺の考える怠惰な生活とは、家の中で完結してこそ。外に出るのは散歩と気晴らしだけ。そのためには――頭の中の「欲しいものリスト」を、上から読み上げていく。


「まずは食べ物だ。地球より美味い物がこっちにあったとしても、故郷の味に勝るものはないだろ? 次にタバコ。一定の魔力量があれば病気にならないと言ったな。なら、タバコのデメリットは一切無効化されるはずだ。あとは地球の本やゲーム、暇潰しになる物。電気はないだろうから、ソーラーパネルや発電機も要る。それと、調味料あたりは売ればひと財産稼げるんじゃないか。他にも――」

「待て待て、要求が多すぎる。整理すると、生物以外のものをコピーしたい、ということで良いか?」


 やはり、言ってみるものだ。

 こちらが一品ずつ通す気でいたら、向こうから「生物以外」という大きな括りで提案してくれた。個別交渉が一括契約になった。ありがたい。営業なら泣いて喜ぶ展開だ。

 だが、まだ足りない。物はいずれ尽きる。正確には――情報が尽きる。


「生物以外のコピーで構わない。ただ、本はいずれ読み終わる。地球で新刊が出れば、当然それも読みたくなる。だから、地球の情報を参照できるようにしたい。スマホからインターネットに繋がるのが理想だな」

「それは不可じゃ。たとえば其方がインターネットに接続し、一文字でも書き残せば、それはもうコピー参照ではない。権限を超えるのじゃ」


 当然の反応だ。読むだけのつもりでも、接続した時点で痕跡は残る。この爺さん、思ったより地球の仕組みに詳しい。技術者寄りの頭だ。

 ……いや、待て。技術者寄りの頭なら、そこを突けないか。技術者は、仕様の内側で筋が通った提案には弱い。


「インターネットには、必ず作成者や閲覧者がいる。誰かが既に見た情報なら、それを参照としてコピーして表示できるんじゃないか? キャッシュ参照ってやつだ。書き込みやオンラインゲームは、できなくて構わない」

「ううむ……」


 二度目の長考だ。

 きた。手応えがある。我ながら、今日の俺は人生で一番頭が回っている。追い詰められた人間の集中力を、締切前にこそ発揮できていれば、地球での俺の人生ももう少し違ったかもしれない。

 これは、押せばいける。ダメ押しの一手だ。


「もう、俺っていう存在を生み出しちまったんだ。今さら少し逸脱したところで、変わらないだろ? 俺が長く生きたいと思える環境を整えるのは、できる上司の仕事ってやつだ」

「いつの間にかワシが其方の上司になっておるが……言っておることは、よく分かる。――許容しよう。ただし、二つ制限を設ける。一つ、大きさは車以上のものを禁ずる。其方が暴れる程度なら現地人の仕業と誤魔化せるが、ビルなぞ突然現れた日には、無から生じたことまで露見してしまうわい」


 通った。心の中でガッツポーズを決めつつ、顔は神妙にしておく。

 それにしても、爺さん、良い感じでポンコツだ。パーツごとに召喚して組み立ててしまえば、サイズ制限なんてあってないようなものじゃないか。プラモデルと同じ理屈だ。箱のまま運べないなら、ランナーで運べばいい。


「理解したぜ。一つ目の条件は呑む」

「二つ目は、召喚回数の制限じゃ。理由は同じ。とはいえ、其方の求めるものは消耗品ばかりゆえ、影響は少ないと見た。回数は、一日二十四回までとする」


 あちらの世界も、一日二十四時間ということか? なら一時間に一回ペース。……いや、そもそも回数制限なら、一回あたりの量を増やせばいい。ハンバーガーはセットでまとめて、タバコは一カートン……いや一段ボール、本は一冊ではなく作者の全巻、という形でコピーすればいい。制限のようでいて、まるで縛りになっていない。

 顔がにやけそうになるのを、咳払いで誤魔化す。


「くっ……言っていることは正論だ。仕方ない、それも呑もう」

「クックック。……まあよい。其方がその程度の抜け道を見つけるのは、端から承知の上じゃ」


 ぎくり、とした。

 背中を、冷たいものがすっと撫でていった。バレている。段ボールも、全巻も、プラモデル方式も、たぶん全部。いや――バレていた、ですらない。最初から、泳がされていたのか。


「言うたであろう。ワシは其方に変化を起こしてほしいのじゃ。強く、自由に暴れてもらわねば困る。多少の融通は、むしろ望むところよ。ただし――目立ちすぎて消されては、元も子もない。あの制限は、其方を生かすための最低線じゃ。そこだけは、履き違えるでないぞ」


 食えない爺さんだ。

 ポンコツと侮っていたが、こちらの手の内などとうに見抜いている。その上で、乗ったふりをして、俺に「勝った」と思わせながら、本当に守るべき一線だけをきっちり引いた。値引き交渉に勝ったつもりで、店の想定内の値段で買わされた客の気分だ。

 だが、悪い気はしない。あの制限は俺を縛るためではなく、俺を生かすための線引きだという。敵に回したら手に負えないが、味方なら、これほど頼れる存在もいない。

 ならば、こちらも遠慮はいらない。次の話に移ろう。


「そういえば、心臓と肺に痛みがあるんだが……アンタ、何かミスってないか?」

「ああ、魔力のない世界から来たのじゃったな。それは魔力じゃ。今はまだ制御がうまくできておらぬゆえ、痛みとして現れておる。試しに、巨大な火をイメージして魔法を放ってみよ。痛みは少し和らぐはずじゃ」


 魔力……! そうか、これは魔力だったのか。

 心筋梗塞を疑っていた胸の痛みが、まさかのファンタジー由来。診断名がつくと、人間は安心する。安心したら、今度は好奇心が湧いてきた。人生初の魔法だ。

 巨大な火とは、どんなものだろう。ガスバーナーの炎が天まで届くイメージでいってみるか。詠唱は要るのか? 声に出すのは……少し恥ずかしいな。いい歳をして「燃えさかる炎よ」などと叫ぶ姿は、あまり見られたものじゃない。心の中で唱えよう。


 ――火よ、いでよ!


 目の前に、とんでもない大きさの青い炎が噴き出した。

 思わず一歩、あとずさる。ゴォッ、という音の塊が腹に響く。無音だったこの空間に、初めての轟音。頬がひりつく。火傷しそうな熱さだ! ガスバーナーどころではない。工場が丸ごと火を噴いたような光景が、俺の「イメージ」一つで目の前にある。


 ――火よ、消えよ!


 炎は一瞬で消え去り、残ったのは熱気だけ。驚きで、心臓の動悸が止まらない。

 今のが、魔法。詠唱もなし、修行もなし、イメージ一つで、あの規模。とんでもない世界に足を踏み入れようとしている実感が、遅れてやってきた。

 ……で、肝心の痛みは――変わらないのだが。


「全然、痛みが治らないんだが?」

「そういえば、お主は無限に等しい魔力を持っておったのぉ。こんな魔法を放って何の影響も出ぬとは、大したものじゃ。前に言うた、シールドと首切断魔法を有効化して良いか? 魔力量を有限に落とせば、効果を感じられるじゃろう。それでも、十分すぎるほど異常な魔力じゃがな」


 やはりポンコツ……いや、こいつに限ってそれはないか。さっき学んだばかりだ。ポンコツに見える時は、泳がされている時だ。

 少し考える。他にも望む魔法は山ほどある。だが、攻撃・防御・快適な生活――この三点が押さえられた時点で、十分な成果だ。残り時間を欲張って、すべてを失っては意味がない。引き際も、交渉のうちだ。


「やってくれ」

「ほれ」


 爺さんが黒い指を軽く鳴らす。

 それと同時に、体の芯から、何かがすうっと抜けていく感触があった。満タンだった何かが、適量まで減っていく。息を吸う。……痛みも、だいぶマシになった。これなら、制御できれば痛みは消えるだろう。固有魔法も、今は使えるようになったはずだ。

 ふと、悪戯心が湧いた。ついでに、確認しておきたいことがある。


「これで、首切断魔法をアンタに放ったらどうなる? 効果はあるのか?」

「ワシには効かぬ」

「何故だ? 俺から見て、上位の存在だからか?」

「上位だろうと、其方の魔力から生まれた魔法じゃ。効果はある。――さっき言うたであろう。『首のない生き物もおる。そこは注意せいよ』、とな」


 ……。

 一拍おいて、意味が染みてきた。

 首のない生き物。注意せいよ。あれは異世界の豆知識ではなく、自己紹介だったのか。

 衝撃だった。この大柄な体格も、フルフェイスの頭部も、全部ガワ。おそらく、俺が違和感を抱かぬよう、わざわざ人型に化けてくれているのだろう。


「まさか、スライムだったとは」

「クックック。スライムより悍ましい存在やもしれんぞ」


 悍ましい、ときたか。だが不思議と、怖くはなかった。

 正体を明かす必要なんて、どこにもなかったのだ。それをわざわざ、伏線つきの冗談仕立てで教えてくれた。ここまでくると、もう尊敬しかない。こいつは間違いなく、俺の味方だ。


「ふっ。異世界に行った後、偉大なるスライム師匠に連絡を取りたくなったらどうすればいい?」

「コールという固有魔法に入れておいた。ワシに用があるときは、呼ぶがよい。返事がないときは、用件だけ言っておけば、後で聞いておくでな。リスクもあるから緊急時のみとせいよ」

「わかった。それと、ある程度まとまった現地の金が欲しいんだが、用意できるか?」

「問題ないぞ。金は個人に紐づかぬ、ステータス以外の条件じゃ」


 予想通りだ。軍資金も確保。これで開幕から野宿、という最悪の立ち上がりは消えた。

 さて――もう、残り時間も少ないはず。攻撃、防御、生活、収入、連絡手段。やれることは全部やれたか。指を折って数える。……いや、最後に一つ。

 一番大事なのが、残っていた。


「最後に、頼みがある。俺のオリジナル――いや、本物の俺に、残りの人生に困らない程度の金を用意できないか?」


 本物の俺に何かあったとき、残された家族が困らないだけの金を、遺しておいてやりたい。俺はこれから、たぶん楽しく暮らす。なら、あっちの心配事くらいは片付けておきたい。これが、家族に何もしてやれないまま消えるコピーの、せめてもの――俺が家族にしてやれる、最後のことだから。


「問題ない。それも、ステータス以外の条件じゃ」

「ありがとな。これで、思い残すことはない」


 やるべきことは、全部やった。

 胸の痛みは薄れ、指先の冷えも、いつの間にか消えている。

 さぁ――新しい人生を始めよう。


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