第二話 最強は交渉で決まるらしい(前編)
さぁ、楽しい交渉の始まりだ。
と言っても、俺の交渉経験なんて家電量販店の値引きが関の山だ。あの時の相手は店員のお兄さん、賭け金はポイント還元。今回の相手は世界の管理者、賭け金はこれからの人生すべて。場違いにもほどがある。
だが、やるしかない。交渉の基本くらいは知っている。まずは前提条件を見極めること。相手に何ができて、何ができないのか。こちらに時間はどれだけあるのか。何から確認していこうか。
「異世界に行くことは承知しました。ただ、無限の魔力で何ができるのかが分かりません。まずは自分にできることを確認したいのですが、よろしいでしょうか」
「クックック。其方の地球での暮らしぶりは見させてもらっておった。その白々しい話し方はやめて良いぞ。大切な本質を逃すといかんからのぉ」
……バレていたか。
暮らしぶりを見られていた、という一言が地味に恐ろしい。どこからどこまでだ。風呂か。鼻歌か。誰もいない部屋での独り言か。プライバシーという概念は、どうやらこの空間に来る前に死んでいたらしい。
まあいい。取り繕う労力が省けたと思えば、むしろ好都合だ。ならば近所の爺さんとでも思って、気軽に交渉させてもらおう。
「んじゃ、お言葉に甘えて。まず、アンタと話せる時間は限られてるのか? それ次第で、どこまで詰められるかが変わる」
「時間は有限じゃ。今の其方は、どの世界にも属しておらぬイレギュラー状態。ワシの上位の管理者がシステムチェックを行えば、発見され次第その場で削除されるだろうのぉ。むろん、その時はワシも道連れじゃ。其方を呼んでから、保って一時間といったところか。……こうして話しておる間にも、刻一刻と過ぎておるがの」
さらりと言ってくれる。
楽しく異世界転生といくつもりが、いつ爆発するか分からない時限爆弾つきだったとは。しかも導火線は見えない。残り時間の表示もない。あるのは「保って一時間」という爺さんの見積もりだけだ。
それに、聞き流せない一言があった。その時はワシも道連れ――何億年も生きてきた存在が、自分の命を賭けてまで、この暇潰しを選んでいる。それだけの価値を、俺のバグに見出しているわけだ。呑気な口調に騙されそうになるが、この爺さん、実はとんでもない博打を打っている。同じ爆弾を抱える身として、肝の据わり方が違う……いや、据わりすぎだろう。
ともあれ、最大で一時間。これから何十年、下手すると何百年続く生活の仕様を、六十分で決める。新築の間取り打ち合わせを一時間で終わらせろと言われているようなものだ。優先順位を立てろ。一に命と安全。二に生活の質。三に暇潰し。悩んだら、この順で切り捨てる。
早ければ早いほどリスクは減る。快適で怠惰な異世界生活のため、全力で付き合ってもらおう。
「時間制限があるなら、最短でいこう。無限の魔力で、具体的に何ができる?」
「魔力とは、魔法を使うための力。それが無限ゆえ、其方は人より強力な魔法を、いくらでも放てる。正規の手順を無視して無理やり発動することも可能じゃ。ただし――魔法とて、何でもできるわけではない」
無限の魔力があれば創作魔法で何でもできる、くらいに思っていたが、想像より縛りがあるらしい。灯油が無限にあっても、ストーブの性能以上には部屋は暖まらない、ということか。だとすると重要なのは燃料の量より、ストーブに何ができるかだ。
「簡単な例でいい。できること、できないことの代表を教えてくれ」
「できるのは、火を放つ、水を生む、風を起こす、光で照らす、傷を癒す、シールドで守る、肉体を強化する――その辺りじゃ。できぬのは、重力に逆らう、時間をいじる、空間をいじる、他人を操る、死者を蘇らせる。おおむね、そういった理を覆す行為よ」
頭の中で仕分けする。通るのは、エネルギーを注ぎ込む系。弾かれるのは、世界のルールそのものを書き換える系。つまり俺は、火力自慢の発電所であって、法律を変えられる議会ではない。
……思った以上に制約が多い。これでは、無限の魔力があっても多少人より便利なだけではないか。少し不安が募る。
「じゃあ、アンタ――管理者が介入したらどうだ? たとえば不老不死は」
「魔力量に応じて、人の寿命や健康は変わる。一定量を超えれば不老となり、病も毒も寄せつけぬ。ゆえに不老は、其方なら何もせずとも備わっておる。不死のほうは……其方の無限の魔力を、並の魔力量まで落とすのと引き換えなら可能じゃ。ただし不老ではなくなる。悠久の時を、老いながら生きてもらうことになるがの」
さらっと重大情報が出た。俺、何もしなくても不老らしい。病気も毒も無効。地球のアンチエイジング業界が総出で泣く話だ。
一方の不死は、聞けば聞くほど罰ゲームだった。死ねないのに老い続ける。百歳の体で千年。二百歳の体で一万年。……想像して、静かに棚に戻した。元々、不老不死そのものに興味はない。ただ「無限の魔力を有限化すれば、代わりに制約を外せる」という抜け道があるのは覚えておこう。交渉で使える札は、多いほどいい。
しかし、魔法のある世界か。誰もが魔法を使えるなら、全員が銃を持ち歩いているようなものだ。治安がいい保証はどこにもない。まず身を守る手段は必須だな。
「不老を保てる範囲で、制約を外したい。さっきシールドがあると言ったな。常時シールドを纏うのは可能か」
「常時シールドであれば、不老の範囲内じゃ」
よし。これなら寝込みを襲われても生き延びられる。防御は確保。次は攻撃手段だ。撃たれてから撃ち返す銃がないのでは話にならない。
「相手を即死させる魔法は持てるか」
「持てる。ただしシールドと併用すれば、不老の範囲を超える。どちらか一方を選ばねばならぬ」
くっ、一番お手軽な最強布陣が早々に崩れた。
命優先でシールドを取るべきか……いや、待て。落ち着け。さっきから聞いていると、この枠組みには法則がある。漠然と強い能力ほど、枠を食う。「常時」のシールドは通った。「即死」は単体なら通った。つまり問題は総量だ。ならば、削ればいい。仕事と同じだ。予算が通らないなら、要件を絞って出し直す。
「条件を変えれば併存できるか。シールドは常時発動をやめ、俺に危害を加える速度で接近してきた対象だけを限定的に防ぐ効果に。即死魔法は、相手の首を切り落とす能力に変更する。これでどうだ」
「ふむ……その条件なら、両立できよう。ただし、首のない生き物もおる。そこは注意せいよ」
通った。やはりこの手が利く。漠然とした万能ではなく、条件を絞って枠内に収める。
それにしても、首のない生き物とは何だ。スライムか。ゴーレムか。異世界の生態系に早くも不安を覚えるが、そこは追々確認しよう。
防御と攻撃は確保した。だが、これだけでは俺の望む怠惰な生活には程遠い。命が助かるのは大前提であって、目的じゃない。退屈になるであろう日々をどう潰すか。むしろ、そっちが本題だ。
「今更だが――言葉はどうなる。言語変換みたいな魔法はあるのか」
「言語はステータスとは無関係の能力。ゆえにワシの権限で編集できる。動物や魔物まで対象にもできるが、其方の脳への負担を思えば無駄じゃ。やめておくのが無難じゃの」
「なら、人の言語だけ頼む」
「よかろう」
ふっと、頭の奥で何かがカチリと噛み合う感覚があった。工事完了、らしい。あまりに呆気ない。ゼロ歳から積み上げる言語を、相槌一つ分の時間でインストールされた。これで言葉の心配はいらない。勉強せずに済むのは正直ありがたい――が、それより引っかかる一言があった。
ステータスと無関係なら、編集できる。
つまり、この爺さんの権限は、ステータスの外側でこそ働く。魔法の枠を睨んで唸るより、枠の外を攻めた方が実入りが大きいかもしれない。
……どうやら、ここからが本番らしい。
まず、ついでに期待したくなるアイテムボックスや召喚の類。だが――どちらも空間や時空間をいじる行為だ。さっき不可と言われた制約に、聞くまでもなく引っかかる。ダメ元で聞いて時間を溶かすほど、残り時間は潤沢じゃない。これは賢く諦めよう。
代わりに、ステータスの外側で実用的なものを攻める。
「見た目の変更は? これはステータスの内か、外か」
「容姿はステータスとは関係ない。ワシの権限で変えられる」
「なら変えてくれ。異世界で日本人の風貌は、余計なトラブルの種になる」
「ふむ。要望を伝えよ。残り時間は、容貌の調整に充ててよいか?」
いやいや、見た目は大事だが、あくまでトラブル防止が目的だ。無駄に時間はかけたくない。……かけたくないが、どうせ作り直すなら、誰もが羨むイケメンになりたい――という下心は、まあ、仕方ないよね? 人生で一度きりの、公式チート級キャラメイクなのだ。
「二十歳、男、現地で最上位のイケメン。細かいところは任せる!」
「クックック。トラブル防止、のぉ……? まあよい、データの抽出と分析はワシの本業よ。期待して良いぞ」
茶化された。真っ黒な頭がわずかに傾いて、こちらを面白がっているのが伝わってくる。が、こればっかりは許してほしい。トラブル防止が九割、下心が一割。いや、七割と三割。……内訳の精査はやめておこう。
要望を伝え終えて、ふと息を吐く。
たった一時間で、これから何百年続くかもしれない暮らしの土台が決まる。軽口を叩いてはいるが、指先は少し冷えていた。家族はもういない。本物の俺は、今もどこかで何も知らずに飯を食っている。この空間を出たら、俺の知っている世界とは、それきりだ。
――まあ、いい。湿っぽいのは性に合わない。残った時間を、もっと有効に使おう。
体感では、召喚からそろそろ三十分――半分は過ぎたか。残りはおよそ三十分。ぐずぐずはしていられない。今のうちに、一番の大物を確かめておきたい。
さっきの一言が、ずっと頭に引っかかっている。ステータスの外なら、編集可能。俺自身が、その動かぬ実例としてここに立っている。それが本当なら――ひとつ、とんでもない手が通るかもしれない。当たれば、異世界生活の難易度が根底から変わる一手が。
喉の渇きを飲み込んで、俺は切り出した。
「召喚は不可と言ったな。でも、それはステータス変更が不可ってだけだろ。……俺のときみたいなデータコピーなら、可能なんじゃないか?」




