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第十話 ぶらり朝さんぽですが?

 あさが来た。

 昨日は一瞬で眠りに就いてしまった。ベッドに身を投げた記憶の次が、もう朝だ。肉体的な疲れはなかったものの、やはり精神的にはいろんなことがありすぎた。人間の脳は、一日に処理できる異世界の量が決まっているらしい。


 腕時計を見ると、朝五時だ。こんなに早起きしたのはいつぶりか。目覚ましもなしに五時起き。若い肉体というのは、それだけで高性能だ。

 さて、昨日は入れなかった風呂に入ろう。この時間にお湯を用意してもらうのは気が引ける。あの人の好いおかみさんを、夜明け前から湯運びに走らせる男にはなりたくない。魔法の出番だな。爆発が怖いが。


 ――このバスタブいっぱいにちょうど良い温度のお湯出でよ


 唱え終えると同時に、空だったバスタブには、たっぷりと湯が満ちていた。白い湯気がゆらりと立ちのぼり、ほのかな湯の匂いが鼻をくすぐる。爆発しなくてよかった。指を入れてみると、本当に「ちょうど良い温度」だ。注文の曖昧さを、魔力が汲み取ってくれたらしい。優秀な給湯器だ。

 服を脱ぎ、桶で湯をすくって体を洗う。洗っている時に、ふと気づく。待てよ、ゲームなら清潔魔法があるのでは。


 ――クリーン


 何も起きない。

 お湯は出せたのに、だ。少し考えて、腑に落ちた。水を生み、温める――そういう原理の追える事象は、桁違いの魔力が形にしてくれる。だがクリーンは違う。何がどう綺麗になるのか、俺自身が説明できない。汚れとは何か。どこへ消えるのか。理屈の通らないものは、いくら魔力があっても形にならないらしい。存在しないのか、俺の理解が足りないのか。まあ、おそらく前者だろう。魔法は魔法でも、ファンタジーというより物理の延長だ。俺の魔力は無学な秀才、といったところか。

 今日もどれだけ召喚を使うかわからない。石鹸だのタオルだのを個別に呼ぶのは悪手だな。一つ目はお泊まりセットにしておこう。まとめ買いは召喚でも基本だ。


 浴室には大きな鏡があった。

 うっとりするほどイケメン。そして細マッチョというのか、肉体まで完璧だ。無駄のない筋肉が、彫刻みたいに薄く全身を覆っている。俺は一日たりとも鍛えていないのに、だ。世の筋トレ愛好家に土下座したくなる出来栄えである。恥ずかしかったけどお願いしてよかったとしみじみ思う。この顔を堂々とお披露目する日はいずれ来るのだろうか。面倒ごとの香りしかしない。当面は隠しておこう。

 イケメンで思い出したが、この世界にはドワーフがいたのだから、エルフもいるかもしれない。エルフは美形と決まっている。どちらが真のイケメンか勝負だな。向こうは種族値、こちらは管理者チューニング。いい勝負になると思う。




   * * *



 はぁ、やっぱりお風呂はいいものだ。

 こんな朝早くからお風呂に入り、そのまま寝てしまっても何も問題がないという心の余裕が、現代ではあり得ない幸福感をもたらしてくれている。「二度寝しても誰にも怒られない」。この一文を手に入れるために、俺は世界を渡ったのかもしれない。まぁ面倒なことは早めにやるべきか。美味しいものは最後に食べるのが怠惰な生活のコツである。


 服装は昨日のままで良いか。それより問題は、こいつだ。机の上のインゴットが、予想を超えて重い。検索してみると十二・五キロあるらしい。米袋より重い金の塊。これは、流石にポケットには入らないな。カバンが必要だ。異世界でも違和感のないカバンは何がいいか。

 検索した結果、革製の鞄が一番あってるのではないかと思われる。ギリギリインゴットが入るサイズだ。学生っぽい感じがするが問題ないだろう。中身が通学教材ではなく金塊なだけだ。世界一物騒な学生カバンである。

 朝食は何にするか。すでに二個召喚しているので、これもセットにしよう。ハンバーグセットを召喚し、朝メニュー時間なのに通常メニューを食べられる小さな喜びを感じる。時間の縛りから解放された人間だけが知る、ささやかな背徳だ。


 商業ギルドが何時に開くか、確認しておくべきだったな。近所を散歩でもするか。今は何を見ても目新しく楽しい。散歩が楽しいうちが、観光客。楽しくなくなったら、住人だ。



   * * *



 広場に出て、思わず足が止まった。

 空の端にはまだ夜の名残の藍色が残っているというのに、広場はもう半分ほど目を覚ましていた。石畳の上に天幕の骨組みを立てる男、台車から木箱を下ろす女、井戸の周りで水を汲む人影。あちこちで杭を打つ音、荷を転がす音、それに威勢のいい掛け声まで混じってくる。すでに店開きを終えた屋台からは白い湯気と煙が立ちのぼり、朝の冷えた空気をくぐって、香ばしい匂いが鼻先まで流れてきた。

 ……朝の五時だぞ。この世界の住人は、いったいいつ寝ているんだ。娯楽がないから夜が早いのか。それにしたって、この活気は反則だ。早起き自慢の農家のじいちゃんが、裸足で逃げ出すレベルである。


 まさか異世界の朝はこんなに早いとは。朝食、食べてしまったぞ。まぁ異世界の料理も気になる。焼けたタレの香ばしい匂いが漂ってくる。腹は八分目だが、胃袋の残り二分は冒険用だ。何か買ってみよう。


 匂いの源をたどると、一台の串焼き屋台に行き着いた。炭火の上で、串に刺さった肉がじゅうじゅうと脂を落としている。

 店主は若い男だった。歳は俺より少し上くらいか。腕まくりした太い前腕は炭火の照り返しで赤らみ、額にはもう汗が浮いている。鉢巻きの下から覗く目には眠気のかけらもなく、活きのいい魚のようにぎらついていた。朝五時の目じゃない。


「一本くれ」

「あいよ。銅貨三枚だ」


 銅貨三枚を渡し、串を受け取る。三百円。祭りの屋台価格と思えば良心的だ。見た目は豚串に似ている。タレがてらてらと照りを放って、匂いは満点だ。さて、食べてみよう。

 ……なかなかうまい。味は豚肉に似ているが、若干硬い。噛むほどに味が出るタイプだ。タレは地球のものと変わらないレベルの高さだ。香辛料が安く手に入るのか。輸入技術が非常に高いか、この街でも育つ俺の知らない香辛料が存在しているのか。異世界の食文化、想像していた「硬いパンと薄いスープ」より、だいぶ上を行っている。


「これうまいな。何の肉だ?」

「うまいのは俺の腕のおかげだな。これはオークの肉だ」


 うわー。この世界に来て初めて食べた料理が、よりによって魔物の肉かよ。ちょっと硬いのは筋肉質だからか。まぁうまいから気にしないけど。魔物、食べられるのか。食糧事情の常識が、串一本で更新された。


「腕がいいな。最高級に美味しい肉って言ったらアンタなら何だと思う?」

「俺は食ったことがないが、ドラゴンの肉は一度食べたら一生忘れられないっていうな。魔力があればあるほどうまいから、ドラゴンはその頂点だな」


 ドラゴンはやはりいるのか……。

 それより聞き捨てならない法則が出た。魔力があればあるほど、うまい。

 ……魔力の高さで味が決まるなら、俺は……。この世界の頂点を軽く超えた、歩く最高級食材ということに……。

 よしやめよう。朝からホラーな考え方は良くない。俺は食材ではない。食材ではないが、今後ドラゴンより魔力の高い生き物に会ったら、真っ先に「食われる側」の心配をすることにする。


「この串は返しちゃって良いか? また来るよ」

「そこに置いといてくれ。毎日やってるからきてくれよ」


 さて、次はどこに行こうかと、地図を開く。観光用ではないので意外と役に立たない。銅貨三枚の仕事ぶりは、今日も安定している。

 城は見たいが少し歩くには遠いな。城門と逆の行ったことがないところを目指してみよう。いっぱい寝た今日の俺はポジティブなのだ。


 綺麗に並べられた石畳の道を、当てもなく歩く。

 朝の王都は、昨日フード越しに駆け抜けた街とは、まるで別の顔をしていた。開いたばかりの店先では、主人が箒で石畳を掃き、軒先に商品を並べている。パン屋からは焼きたての匂いが、鍛冶屋からは早くも金属を打つ甲高い音が漏れていた。荷馬車が車輪を軋ませて通り過ぎ、その後ろを子供が数人、歓声を上げて追いかけていく。

 建物は石造りが多く、二階三階と背を伸ばすほどに、窓辺の手すりや看板の意匠が凝っていく。生活の匂いと、朝の活気と。観光地でもなんでもない、ただの暮らしの風景なのに、俺にはいちいち珍しくて飽きがこない。


 通りの角を曲がると、ひときわ武骨な建物が目に入った。石組みはハンターギルドより一回り厚ぼったく、入り口の両脇には腕に覚えのありそうな男たちが、得物を立てかけて屯している。掲げられた看板には、交差した二振りの剣の紋章。

 ここは、傭兵ギルドか。そういや、ハンターの他にもあったな。こんな時間から空いているのか。もちろん中に――入らない。当たり前だ。昨日の教訓を忘れたのか。ギルドという場所に足を踏み入れると、なぜか俺は吹っ飛ばすか吹っ飛ばされるかの二択を迫られる。モブらしく通行人として通り過ぎる。


 開け放たれた扉の奥からは、朝から依頼を求めてやり取りする声が、絶え間なく漏れ聞こえてくる。


「盗賊団の規模は小さい。クランレベルは必要なく、個人で対応できる内容と判断する」

「ただの詐欺師だ。しかし貴族を詐称していたため縛首だ。絶対に逃すなよ」


 ヒヤリと汗が伝う。

 縛首。貴族詐称は、縛首。

 待て、落ち着け。俺がやったのは貴族ムーブであって詐称じゃないよな? 「貴族です」とは一言も言っていない。フードを外して「うむ!」と言っただけだ。……言っただけだが、あの門番が「貴族様が来た」と受け取ったのは間違いない。グレーだ。限りなく黒に近い、貴族色のグレーだ。

 あのムーブは禁止事項としよう。今後、俺は「うむ」を封印する。


 朝の楽しい散歩が、台無しだ。


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