第40話 若き日のティベリウス
物語から200年ほど前(人間の感覚で言うと20年位前)の話です。摂政ティベリウスが250歳ごろのことです。
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「……ねぇ、ティブ君、聞いてる?」
「――いえ、申し訳ございません、ユリアーナ様。少々考え事をしておりました」
まったく……私は一体、何に付き合わされているというのか。
裁可を待つ書類は山積みで、覚えるべき儀式は限りない。いずれ皇太子として陛下を支える身でありながら、こんな真昼間から優雅に茶など啜っている場合ではないはずだろうに。
分かってはいながらも、目の前で笑う彼女を前にすると、どうにも毒気を抜かれてしまう。
「もうっ! ちゃんと休みは取れてるの? しっかり睡眠もとらないといけないんですからね!」
ユリアーナ様は、私の義理の母にあたる。義母といっても、実年齢の差はわずか二歳。ハイエルフにおける二歳という時間は、人間でいえば二日程度の感覚であり、ほとんど同い年といって差し支えない。
彼女との出会いは五十年前。数千年ぶりに誕生した世界樹の化身、その尊き存在こそが彼女、ユリアーナ・ユリウス・ユグドラシルである。
彼女は生誕から二百年を世界樹の里で過ごし、成人と同時に父である皇帝陛下に召し出されて側室となった。親子ほどの年の差があったが、世界樹の血脈を皇統に取り入れることは、帝室の正統性を担保するうえで重要であり、問題にされなかった。
当初、私は自分が「不要の継嗣」になるのではないかと心がざわついたものだが、それは杞憂であった。皇統は正室の嫡男が継ぐことが元老院と最高神祇官会議で定められていたからだ。帝国の安定を第一とするならば、妥当な判断といえるだろう。
「ご心配には及びません、ユリアーナ様。疲れたからといって睡眠を取らなければならぬほど、私は軟弱ではありません。前線の将兵たちと比べれば、私の苦労など些末なものです」
「まったく、何を訳のわからないことを言ってるんですか。エルフだって生き物です、寝なくていいわけがないじゃないですか。うちのマルクスだって、毎日すやすやお利口に寝てますよ」
……幼子と一緒にしないでいただきたい。マルクスはユリアーナ様の第一子で、顔つきは父に似ているが、あの壮健で活動的な父とは違い、読書や演奏を好むおとなしい男児だ。この子を見ていると、いくら世界樹の化身の血を引いていようとも、それだけで皇位継承の要件とはなり得ないのだろうなと、妙に納得してしまう。
「ところでユリアーナ様、いつになったらその『ティブ君』という呼び方をやめていただけるのですか? 私も子どもではありませんし、外聞もよくありません」
「いいじゃない、ティブ君はティブ君なんだから。それに、私だって好きで帝室に嫁いできたわけじゃないのよ? 本当だったら、今頃エルフの里で世界樹に登ったりして遊んでいるはずなのに……毎日、儀式やら舞踏会やらサロンやら、ぜんっぜん楽しくない!」
「仮に帝室に嫁いでいなくても、いい大人が木登りに明け暮れていられるわけがないでしょう。……というか、あなたは世界樹に登るなんて罰当たりなことをしていたのですか」
「いいじゃない。私にしてみれば世界樹はベッドみたいなものよ。それに私は植物とお話ができるんだから、ちゃんと許可を取って登っているわ」
規格外過ぎて、頭が痛くなる。しかし、彼女の言うことは事実なのだろう。彼女はまさしく世界樹の化身であり、すべての植物から愛され、かしずかれる定めにある。それはエルフにとって最大の栄誉であるはずだ。
「世界樹の化身様がおっしゃるのなら、そうなのでしょう。ただ、皇妃ともなれば木登りをしていただくわけにはまいりません。ご理解ください」
彼女はその出自ゆえ、そして何よりその隔絶した美しさゆえに、国民からの親愛を一心に受けている。裏表のない無垢な人柄は、話すものすべての心を癒やすのだ。
実際のところ、父上とて彼女の美しさに魅入られたというのが本音だろう。いくら血脈のためとはいえ、三百歳も離れた娘を入内させるのは不自然だ。単に皇統へ組み込むつもりなら、将来の皇帝である私の伴侶とする方が遥かに理にかなっている。事実、元老院でもそうした議論があったはずなのだ。
だが、私には関係ない。私の責務は帝室を守り、帝国を導くこと。しきたりと道理をわきまえなければならない。
「ティブ君は、いっつも寂しそうだね。私でよかったら、いつでも話を聞くから。また離宮に来てね」
――まったく、困ったものだ。公務の合間を縫ってここへ来るなど、次期皇太子たる私が最も忌むべき公私混同だ。ましてや外聞によくないだろうに。
しかし、頭では分かっていながらも、私は今日も矛盾した行動をとっている。
「まあ、この国はきっと世界樹に愛されているから、私たちが多少手を抜いても大丈夫だよ。ティブ君も気楽にやりなよ? 世界樹の化身様のお言葉だから間違いないんだぞ?」
私は、大して好きでもない紅茶をすすりながら、離宮の庭園をぼんやりと眺めていた。
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