第4話 河港と傭兵団
帝都を出発してから、およそ一ヶ月。
俺たちのボロ馬車は、荒れ果てた泥道をひたすら北西へと進んでいた。
内実こそ空間拡張された快適な『移動事務所』だが、御者台は普通の馬車だ。俺とルークが交代で手綱を握っていたため、御者番の時は容赦なくお尻が破壊された。二人してケツをさすりながらの旅路だったが、それもようやく一段落する。
「ルシウス様、大河が見えたっすよ! あそこが河港『テヴェレ』っすね」
御者台のルークが声を弾ませる。
目の前に現れたのは、世界の障壁たる大山脈から流れ出し、大地をうねるように進む大河──『オルタ河』だ。そのほとりに、帝都の北西に位置する小さな河港テヴェレが広がっていた。
今はまだ、木造の簡素な施設が並ぶ小さな港に過ぎない。だが、地政学的には物流の結節点となる最高の立地だ。
馬車を港へと進めると、ひときわ目を引く船団が停泊していた。
船の上に立つのは、このオルタ河上流域を縄張りとする中堅の傭兵団の面々だ。船上での動きやすさを重視した赤い軽装の鎧を纏う彼らは、水運の安全を守る守護神として周囲の商人たちからも深く頼りにされている。
その船首に、長い赤髪をポニーテールに結わえ、背丈ほどもある銛を携えた一人の美女が立っていた。団長のエレナだ。
「……お待ちしておりました、ルシウス大公殿下。随分と貧相な馬車でのご到着ね」
馬車を降りた俺の姿を認めると、エレナは銛を船板に突き立て、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「久しぶりだな、エレナ。約束通り来てくれて助かる」
「当然よ。あんたが本当に『大公』なんて爵位を押し付けられて追放されるとはね。でも、約束は約束。うちの団員二十名、家族も含めた身内総勢八十名、丸ごとあんたの大公国に就職させてもらうわ」
彼らがこうして俺の追放劇に合わせて丸ごとついてきてくれたのには、古い約束がある。
俺は世界樹の化身の息子であり、皇子だ。だが、宮廷の生ぬるい空気よりも現場を好む、極めて風変わりな皇子だった。だからこそ、帝都の港やスラム街にも自ら進んで足を踏み入れ、そこで泥にまみれて働く住人たちと直に言葉を交わし、現場の知識を得ていた。
当時、オルタ河の水運に不当な関税を課そうとした役人の横暴に対し、皇子の特権を振りかざして法的に突っぱね、彼らの暮らしを守ったのも俺だ。
何より──、
「先代の親父が、死に際に言っていたわ。『ルシウス皇子の描くインフラってやつは、俺たちのような水上に生きる者にも、いつか帰るべき本物の港を作ってくれる。あの御方の目は、本物だ』ってね」
エレナは紫色の瞳で、真っ直ぐに俺を見つめてきた。
「親父の遺言よ。あんたの目は、あの頃と何も変わっちゃいない。私たちの命、あんたの新しい国に預けるわ」
「ありがたい。先代の期待にも、お前たちの信頼にも、最高の港で応えてみせるさ」
俺はエレナの手を固く握り返した。
彼女たちの水上における戦闘力と船団、プロとしての知識はこれからの開拓に絶対不可欠だ。将来的には、魔境の入り口に建設する予定の都市の管理と、この大河の水運整備をすべて彼女たちに委ねるつもりだ。
「よし、エレナ。さっそく船団の準備を──」
と言いかけたところで、俺は改めて、目の前の河港『テヴェレ』の惨状に目を向けた。
整備もされずに泥まみれの接岸施設。非効率極まりない荷役の動線。船が渋滞を起こしている浅瀬の放置。
一ヶ月ぶりに「改善の余地しかないインフラ」を目の当たりにした瞬間、俺の脳内で、プロとしての『職業病』が凄まじい勢いで警報を鳴らし始めた。
「……エレナ、ちょっと待て。なんだこの河港の設計は。誰が作った? 担当者をここに連れてこい。今すぐ徹夜で修正案を作らせてやる」
額に青筋を立てて怒り出した俺を見て、エレナは「え?」と呆気に取られ、横のルークは「あちゃー、一ヶ月ぶりの激怒っすね」と楽しそうに頭を抱えた。
「ちょっと、ルシウス。いきなり何怒ってんのよ。ここは昔からこういう場所だし、これでもオルタ河上流じゃ一番まともな港よ?」
平民であるエレナたちは、この不便さを「当たり前」として受け入れてきたのだろう。だが、前世で日本の物流網を支えていた俺の目から見れば、これは単なる怠慢であり、経済的損失でしかない。
「いいかエレナ、荷揚げの動線が完全に死んでいる。あそこの浅瀬を少し浚渫して接岸施設をあと数メートル前に出すだけで、荷役効率は三倍になる。物流の滞りは国家の血液の滞りだ。……まぁいい、この港の本格的な大改修は、俺が魔境の拠点を確保してからだ。将来的には、ここを帝都と俺の国を繋ぐ中継拠点として整備しよう」
俺が不敵に笑うと、エレナは呆れたように肩をすくめたが、その瞳には微かに期待の色が浮かんでいた。
「相変わらず、スケールのデカい誇大妄想ね。……でも、あんたが言うと本当にやっちまいそうで怖いわ。よし、船の準備はできてる。家族たちの荷物も全部積み込んであるわ。ここからは私たちの縄張りよ、しっかり護衛してあげる」
「頼む。だが、その前に一つ、俺の『馬車』を船に乗せてくれ。この先、魔境の陸路を開拓するにはどうしてもこれが必要なんだ」
「馬車? この船に?」
エレナが怪訝そうな顔をする。それもそのはず、彼女たちの船は船上戦闘を意識したスマートな軽装船団だ。馬車のように重く、かさばるものを載せるスペースは普通はない。船乗りたちからも「おいおい、そんなものを載せたら船のバランスが崩れちまう」と不安げな声が上がった。
「心配いらない。積み荷の配置を数尺ずらし、船尾のバラストを調整すれば、この馬車の重量は完全に相殺できる。それに、俺のオリジナル魔法で重心を安定させる処置を施しておく。絶対に船を傾かせたりはしないさ」
俺が前世の積載管理の知識を交えて理路整然と指示を出すと、船乗りたちは気圧されたように黙り込み、エレナの許可を得て渋々ながらも馬車を甲板へと引き揚げた。もちろん、実際にはギフトの『空間拡張』のおかげで、見た目ほどの重量はない。
「よし、全員船を出せ! 皇子……ううん、ルシウス大公殿下の船出よ!」
エレナの凛とした号令が響き渡る。総勢八十名に満たない小さな船団だが、その士気は極めて高い。
赤茶けた濁流のオルタ河を、船団は力強く遡上していく。
目指すは、ここからさらに北西。世界の障壁たる三千キロの大山脈の割れ目──数千年間、人類の立ち入りを拒み続けたクレーター、死の魔境『大森林盆地』の入り口だ。
前世で培った知識と、この手にある技術。これらを使って、あの未開の地をどうやって人が生きる豊かな土地へと作り変えていくか。考えただけで、実務家としての血が静かにたぎるのを感じていた。
こうして、俺たちの本格的な国家公共事業が幕を開けた。
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