第35話 精霊の巫女
初投稿以来、毎日正午の更新を続けてきましたが、ひょっとすると3連休の投稿が滞るかもしれません( ノД`)
満月の明かりが、湿地帯の夜を青白く照らし出していた。
パドマ河デルタの最下流。ラーディヤの民の本拠地があるという巨大な中州の一角に、俺は近衛騎士のサリウスと二人だけで上陸していた。サリウスは、まるで衣装ダンスのような巨大な木箱を背負っている。
「ルシウス様……やっぱり引き返しませんか?
敵の本拠地にたった二人で乗り込むなんて、やっぱり危なすぎますよ。コルネリウス殿やトラクス少将もよく了承しましたね」
周囲を警戒しながら、サリウスが小声で泣き言を漏らす。
「まあまあ。大丈夫だって。サリウスが背負ってるその箱がある限り、いつでも逃げられるんだからさ」
この箱は、俺のギフト『箱職人』で作った特別製で、空間共有で大公国の公都ユスティニアナポリスと常時つながってる。いざとなったらその箱を開けて中に飛び込めば、一瞬で安全圏へと退避が可能というわけだ。逃げる算段があるからこその強気と言える。
「さすがはルシウス様……! 卑怯というか何というか、恐ろしい手際です!」
「人聞きが悪いな。合理的と言ってよ」
そんな軽口を叩いていると、草原の向こうから二つの人影が近づいてきた。
捕虜を通じて事前に申し入れた通り、お互いに連れていい供は一人だけだ。
「……あれが、ラーディヤの首領?」
思わず声が漏れた。
現れたのは、ラーディヤの民特有の美しい褐色肌に、民族衣装のような神官服をまとった少女だった。見たところ十代の前半。少し眠たげな目をパチクリとさせており、何とも庇護欲を掻き立てられる容姿をしている。とても十万の民を率いて帝国軍二万三千を破った首領には見えない。
草原の中央にポツンと置かれた簡素な机と椅子を挟み、まずはお互いの従者が前に出た。サリウスと、ラーディヤの女戦士が、事前に取り決めた方法で相手を確認し合う。
「……確認した。我が主、『精霊の巫女』ナディア様だ」
低い声でそう告げた女戦士――ミトラが、ナディアの一歩後ろへと下がった。サリウスも俺に頷いてみせる。本人確認は完了だ。
「初めまして、ナディア殿。俺はユスティニア大公、ルシウス・ユリウス・ユスティニアヌスだ」
俺が椅子に座って名乗ると、正面の少女も眠たげな目をこちらに向け、小さくうなずく。
「……ラーディヤの民を束ねる者、ナディア。土の精霊に愛されし巫女。世間話は不要。単刀直入に……帝国軍には帰ってほしい」
舌っ足らずな物言いだが、その要求はハッキリしていた。
「残念だけど、それは受け入れられない。総司令官であるカシウス皇子から下された正式な命令は、ラーディヤの民の『殲滅』なんだ。俺の一存で軍を引き返すわけにはいかない」
「なっ……!?」
背後に控えていた女戦士ミトラが、カッと目を見開いて一歩前に踏み出した。持っていた槍の石突きが地面を叩く。
「殲滅だと!? ふざけるな! 奪えるだけ奪っておいて、最後は根絶やしにする気か!
ナディア様、やはり帝国など信用できません、今すぐここで――」
「ミトラ、下がって」
ナディアが静かに手を挙げると、ミトラは悔しそうに歯噛みしながらも、大人しく引き下がった。ナディアはまっすぐ俺を見つめた。
「……交渉の余地がないなら、私たちも座して死を待つ気はない。最後まで戦ってあなた達を一人でも多く道づれにして死ぬ」
そう言って、ナディアが席を立とうとする。俺は慌てて手を挙げた。
「まあまあ、待ってよ。話は最後まで聞いてほしい。撤退は無理だけど、別の提案があるんだ」
「提案……? あなたたちに何かできることがあるの?」
「うん。君たちに『死んだことになってもらう』っていう提案さ」
ナディアが怪訝そうに眉をひそめる。俺はサリウスが背負ってきた衣装ダンスを指差した。
「俺は世界樹のギフトによって、空間を共有し、ここと遥か遠くの大公国とをつなぐことができる。この箱の扉の向こうは、すでに大公国の公都だ。これを使えば、数日もあればラーディヤの民のすべてを、帝国の目の届かない安全な大公国へ避難させることができる」
「空間を、つなぐ……? そんな能力聞いたことがない。そんなおとぎ話を信じろと?」
「信じられないなら、後で実際に試してみるといい。君が十万を超える民を統べる以上、大公国としても最上級の待遇を用意するよ。ナディア殿、君には大公国に4つしか存在できない侯爵の爵位を授け、大公国の領地貴族として遇する。それに、俺から叙爵を受ければ、世界樹の加護によって、俺の持つオリジナル魔法も使えるようになる」
俺の言葉に、ナディアは考え込む。
急にこんなことを言われても困惑するのはわからなくもない。
「……私の一存では決められない」
ナディアは少し俯き、呟いた。
「精霊たちと相談したい。精霊たちがいいと言わないと、この土地を離れることはできない」
「精霊と相談? ああ、いいよ。納得いくまで話し合ってよ」
言ってる意味がよくわからなかったけど、とりあえず了承した。すると突如、ナディアの周囲に青い火の玉のような光が無数に浮かび上がった。
ナディアは静かに、人間のものではない、歌うような奇妙な言語で空中へ語りかけ始めた。
「……◇◈✥ ❖▱ ❖✥……」
神秘的な光景だった。数分ほどたった後、青い光がすっと消え去り、ナディアが眠たそうな目でこっちを向いた。
「精霊たちの合意を得られた。精霊たちは、魔素の豊富な土があるなら、引っ越しても構わないそうだ。大公国の土はとても魅力的だと、精霊たちも喜んでいる。精霊が了承した以上、我が民も素直に従う」
「それはよかった! 話が早くて助かるよ」
ほっと胸をなでおろす俺に、ナディアは人差し指をすっと立てて見せた。
「ただし、一つ条件がある」
「条件? お金? それとも開拓地の選定かな?
可能な限り融通するよ」
「違う。私をあなたの妻にして」
「……は?」
思わず素っ頓狂な声が出た。何を言い出すんだこいつ。
「いやいやいや! 待って待って、なんでそうなるの!?
おかしいでしょ!」
「おかしくはない。我が民は見知らぬ土地に連れていかれるのだから、血縁による強い結びつきがないと安心できない。それに、その方がそちらの貴族たちも納得しやすい。至極真っ当な政略結婚の提案」
ナディアはなぜか偉そうに、まな板のような胸を張って言う。
しかし、俺としては絶対に御免被りたい。俺は首を激しく横に振る。
「いや、無理! 絶対に無理だ!」
「……どうして? 双方にとってメリットしかない」
ナディアが少し不満そうに、眠たげな目をわずかに細める。
「いや、俺ってロリコンじゃないからさ。幼児体形には興味がないんだよね」
「……は?」
「……そういうところですよ、ルシウス様。いつもエレナさんを怒らせるのは」
——停戦交渉は、佳境を迎えていた。
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