第32話 野戦病院
毎日正午の更新を目指しています。話のストックが切れてきました(;'∀')
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「こりゃあ……酷いな」
大公専用馬車——「移動指令室」の空間共有を使って、俺は公都から一瞬にして南西の要衝パドゥムへと飛んだ。同行したサリウスが、血と泥の混ざった悪臭に顔を歪めている。獣人の鋭い嗅覚にはさぞ堪えることだろう。
逃げ帰った帝国軍で埋め尽くされたパドゥムの拠点は、もはや軍事基地ではなく、巨大な野戦病院と化していた。地面には泥と血にまみれた負傷兵が隙間なく並べられ、まさに阿鼻叫喚の光景だ。
「本来なら負けるはずないんだけどね」
なぜこんなことになったのか。理由は極めて単純、功を焦ったカシウス兄上の兵站軽視だ。
そもそも、今回の南蛮征討軍には、過剰なほどの戦力が投入されていた。帝国近衛騎士団五千騎、カシウス兄上直属の公爵軍五千騎を含む諸侯軍一万五千騎、さらには同盟国という名の属国から徴用された援軍三千人。ここに俺のユスティニア大公国軍二千騎が加わる総勢二万五千の軍勢で、南方の少数民族を圧倒する手筈だったのだ。
ところが、大軍に気を良くしたカシウス兄上が、俺の到着を待つことなく出撃して大惨敗を喫したらしい。たぶん、俺と手柄を分け合うのが嫌だったんだろうね。
「しっかし、揚陸拠点の要塞化もしないで次々に中州を攻略していったら、そりゃ各個撃破されますよね。ましてや相手は、あの『ラーディヤの民』ですよ? ルシウス様」
「まあ、無謀としか言いようがないよね。最初は順調だったらしいけどね。でも、占領地が点在する状況になったら兵站の確保が難しくなるのは目に見えてるし、結局は深入りしすぎたところを後方の補給部隊を強襲された挙句、諸侯軍は各個撃破されたらしいね」
戦場となったパドマ河デルタは、大小無数の中州が複雑に入り組んだ地形をしている。また、ここに暮らす土着の少数民族「ラーディヤの民」は、精霊信仰を篤く守り、その精霊の加護を用いた独自の魔術を操る極めて手強い相手だった。
「結局、動員可能な兵はどれくらい残ってるんだい?」
「どうもまともに戦えそうなのは、拠点防衛に徹していた帝国近衛騎士団の四千五百騎と、後方で補給業務に従事していた同盟国軍の三千人だけみたいですね。これに俺たち大公国軍の二千騎を足したところで、魔法が使える騎士で言えば、実質的に六千五百騎もいないみたいですよ?」
「まったく、戦う前から兵をすり潰してくれるとは...。カシウス兄上にも困ったものだね。まあ、大けがしたことは、ちょうどいい薬になったかもしれないね」
潰走の際、帝国貴族の多くが負傷した。兄上自身も左足を膝元から失う大怪我を負っており、足を再生させる「欠損治療」を施すには世界樹の里へ搬送する他ない。体力が回復次第、後方へ移送される予定らしい。
「ルシウス様! あれが司令部の天幕です」
俺が司令部の天幕をくぐると、激しい怒号が飛び交っていた。
「貴様らそれでも栄光ある帝国近衛騎士団か! 我が軍が危機に瀕しているのを知っていながら加勢しないとはどういう了見だ! 蛮族どもに後れを取ったのは貴様らのせいだぞ!」
ベッドの上で包帯にまかれ、顔を真っ赤にして当たり散らしているのはカシウス兄上だった。そして、その八つ当たりを正面から受け止めているのは、帝国近衛騎士団の軍団長、トラクス少将であった。「少将」は、爵位で言えば「侯爵」に相当する叩き上げの老将だ。
トラクス少将は感情を押し殺した声で、静かに反論した。
「殿下、お言葉ですが、あの状況で我が騎士団が殿下の突撃に同調していれば、退路を完全に断たれ、全滅しておりました。むしろ我々が殿を務めたからこそ——」
「黙れ! 言い訳など聞きたくない! ……あっ、ルシウス! 貴様、いまさら何をしに来た!」
カシウス兄上は割って入ってきた俺の姿を見るや、指をさして言った。
「貴様が来るのが遅いから、このようなことになったのだ! これは帝国に対する明白な反逆行為だぞ! 大公国軍がもっと早く到着していれば、このような不覚は取らなかったのだぞ!」
……無茶苦茶言うな、こいつ。それでも一応は取り繕ってにこやかに答える。
「カシウス兄上、それは無茶というものです。摂政殿下からは年末までに参集するように仰せつかっております。俺たちはその期限に向けて、帝都からここまで街道を整備してきたんですよ? 全軍の終結を待たずに勝手に出撃されたのは兄上じゃないですか。それにトラクス少将の言う通り、みんなで突撃なんかしたら全滅してましたよ」
俺が理路整然と事実を突きつけると、それはカシウス兄上のさらなる怒りを買う結果となった。
「黙れ黙れ……っ! こうなったら、私に恥をかかせたあの蛮族どもを、生かしておくわけにはいかん!」
怒り狂ったカシウス兄上は、とんでもないことを言い出した。
「戦略目標を変更する! 『平定』ではない! これより我が軍の目標を『殲滅』——すなわち、あの蛮族どもを一人残らず皆殺しにせよ!」
「なっ……!?」
天幕内に衝撃が走った。俺や、騎士団の参謀たちが一斉に反対の声を上げる。しかし、カシウス兄上は聞く耳を持たない。しまいには懐から総司令官の印章を取り出し、命令書にサインしてしまった。
「黙れ! 軍の統帥権を持っているのは私だ! 命令は絶対だ!」
皇族の権威を盾に反対派を黙らせると、兄上は俺を睨みつけ、いやらしい笑みを浮かべて言い放った。
「帝国近衛騎士団ならびに大公国軍に命ずる。兵六千五百騎を率いて、即座に進軍を開始しろ。パドマ河デルタに潜む十万のラーディヤの民、一人残らず根絶やしにするのだ!」
まじかよ……。せっかく安全な後方で補給作業にいそしむ気だったのに、いきなり前線司令官に昇格されてしまった。俺は、死んだ魚のような眼をして、カシウス兄上のたわごとを聞き流すのであった。
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