空への出発
出発当日の朝。
学院の飛空港は、まだ早い時間だというのに慌ただしかった。
白い蒸気が噴き上がり、巨大な飛空艇の周囲を整備員たちが忙しく動き回っている。
金属の軋む音。
ロープを引く声。
空を渡る風の匂い。
そのすべてが、リゼには少し現実離れして感じられた。
「……ほんとに行くんだ」
思わず呟く。
目の前に停泊している飛空艇は、学院の訓練船より遥かに大きかった。
細長い船体の側面には、王立研究院の紋章が描かれている。
青い結晶を組み込んだ浮遊機関が、低い唸りを上げていた。
「今さら怖くなった?」
隣でミナが荷物を抱えながら言う。
「ちょっとだけ」
「ちょっとなんだ」
ミナは半分呆れたように笑った。
その後ろからノクトが顔を出す。
「大丈夫だって。落ちても多分一瞬だから」
「安心材料が一個もない」
「冗談だよ」
「今のタイミングで言う?」
リゼが抗議すると、ノクトは楽しそうに肩をすくめた。
一方、ガルドは大きな荷袋を軽々と持ちながら飛空艇を見上げている。
「……でかいな」
短い感想だった。
だが、その声には少しだけ感心したような響きが混ざっていた。
そのとき。
飛空艇のタラップから、一人の女性が降りてきた。
黒い外套。
腰には細身の剣。
長い紺色の髪を後ろで束ね、鋭い目でこちらを見ている。
年齢は二十代半ばほどだろうか。
研究者というより、軍人に近い空気をまとっていた。
「学院の学生たちね」
落ち着いた声だった。
学院長から渡された書簡を確認すると、女性は小さく頷く。
「私はセレナ。今回の調査隊の現場責任者を務める」
リゼたちは慌てて頭を下げた。
セレナは四人を順番に見回したあと、最後にリゼで視線を止めた。
「古代文字を読んだというのは君?」
「は、はい」
「……本当に?」
かなり疑っている顔だった。
リゼは少し肩を縮める。
するとノクトが横から口を挟む。
「俺も最初そう思った」
「ノクト」
「でも実際読めてたし」
セレナは数秒だけ考え込む。
やがて、小さく息を吐いた。
「まあいい。研究院でも確認は済んでいる」
どうやら完全には信用していないらしい。
だが同行を止めるつもりもないようだった。
「出発まであと十分。乗船しなさい」
セレナはそれだけ言うと踵を返した。
ノクトが小声で呟く。
「厳しそう」
「でも強そうだった」
リゼが言うと、ガルドが静かに頷いた。
「ああ。実戦慣れしてる」
ミナは少し不安そうに飛空艇を見る。
「本当に学生が来る場所じゃない気がしてきた……」
その言葉に、リゼも少しだけ緊張した。
だが同時に。
胸の奥は、期待で熱くなっていた。
やがて搭乗の合図が鳴る。
低く長い汽笛が、朝の空へ響き渡った。
リゼたちはタラップを上がり、飛空艇へ乗り込む。
船内には研究員らしき人々が慌ただしく資料を運んでいた。
壁には観測地図や遺跡のスケッチが貼られている。
その中の一枚を見た瞬間、リゼは足を止めた。
紙に描かれていたのは、遺跡の外壁に刻まれた古代文字だった。
複雑に絡み合った線。
読めるはずのない文字。
なのに、視線を向けた瞬間、胸の奥が妙にざわついた。
「……これ」
小さく呟く。
意味がわかる、というほどではない。
ただ、どこかで見たことがあるような感覚だけが残った。
「リゼ?」
ミナが不思議そうに振り返る。
「え、あ……ううん。なんでもない」
リゼは慌てて視線を逸らした。
そのとき。
飛空艇全体が大きく震えた。
浮遊機関が強く唸りを上げる。
窓の外で、景色がゆっくり動き始めた。
「浮上するぞ」
誰かの声が響く。
次の瞬間。
ふわり、と身体が軽くなった。
飛空艇が地面を離れる。
リゼは思わず窓へ駆け寄った。
学院の街並みが、少しずつ遠ざかっていく。
白い屋根。
石畳の道。
小さくなっていく人々。
そして、その向こうに広がる青空。
青空の向こうに、ルミナ遺跡が眠っている。
リゼは静かに窓の外を見つめた。
冒険が、始まろうとしていた。




