第17話 母の愛
紅魔の森での戦闘を終え、永芳を含め負傷者がある程度回復した討伐隊は、糸成を加えて鬼門神社へと帰還した。聖界へと戻ると、永芳は神社で待っていた黒子へ赤鬼の群れの発生、梅田中級術師の殉職。そして、糸成のことを報告した。途中、永芳が糸成に声を掛ける。
「そう言えば、名前を聞いていなかったね」
飲み物を飲んでいた糸成は急いで飲み終えると、元気溌剌に返事をした。
「大狼糸成です!」
「大狼家の子だったとは。糸成君か。覚えておくよ。今日は本当に助かった。ありがとう」
御礼を言うと、永芳は報告へと戻る。報告を聴き終え、糸成の名前に聴き覚えがあった黒子がタブレットの奇術師名簿で検索を掛けた。そこには、奇術師の出生からの記録や育てた師匠、こなした任務履歴に得意術式などが書かれている。そして、備考欄の文字に目が留まる。“行方不明”。それを見た黒子は、直ぐに奇術省の車で神隠れの里に帰ろうとする糸成を引き止めた。
「大狼糸成下級術師ですね? 紅魔の森、青鬼討伐任務の聴取をお願いしたい。すみませんが、奇術省岐阜県本部までご同行願います」
糸成は素直に従い、車で岐阜県岐阜市にある本部へと向かった。本部に着くと、取り調べ室に連れられた糸成は、青鬼討伐任務中の詳細、武装した赤鬼と戦闘後、逃げ延びて魔人に救助されたこと。治療を受けた4ヶ月間、魔人の村で匿って貰ったこと。そして、治療が終わり鬼門神社の門へ戻ろうとしたとき、紅魔の森の戦闘音に気付き、苦戦していた討伐隊に加勢したことを話す。しかし、自分が人間と魔人のハーフだということと、魔術が使える様になったことを糸成は言わなかった。
粗方の経緯を話し終えた頃。突然、取り調べ室の重い扉が勢い良く音を立てて開く。そこには、肩で息をする雷蔵が立っていた。
「糸成!」
雷蔵は糸成目掛けて駆け寄り、立ち上がる間も与えずに抱きしめる。
「お前が無事で・・・・本当に良かった」
雷蔵の目には、涙が溢れ出ていた。
「大袈裟だなぁ〜。・・・・ただいま、おじさん」
糸成はいい歳の男泣きに少し引きつつ、落ち着いた声で言うと強く抱きしめてくる雷蔵の背中に手を回し、背中を軽く叩いて宥めた。
この後、糸成生還の連絡を自宅で受けた雷蔵が、“車で向かうよりも速い”と言って神隠れの里から奇術省岐阜県本部まで走って来たと、糸成は奇術省職員から耳にした。
20時、服部邸到着。
糸成と雷蔵が帰宅すると、食卓には赤飯などの豪勢な日本食が並んでいる。雷蔵が、椿へ祝い飯を作る様に言っていたのだ。2人は、早速食卓に着く。
食べ終わり、緑茶を飲み始めたとき。糸成が話を切り出した。
「おじさん・・・・。僕の、本当の両親のことを教えて欲しい」
真剣な糸成の眼差しと確信を持っていた声に、雷蔵は緑茶を一口飲むと語り出した。
「あれは、雨の日だった」
16年前。
服部雷蔵、大狼転哉、安倍結衣、3名の上級術師が、紅魔の森近辺における魔獣の生態調査任務を行っていた。
高台で地図を開いていた雷蔵と結衣の居るキャンプ地へ、転哉が『影狼』で戻って来る。
「雷蔵。東の山に天狗の群れを確認。20体はいるな」
「了解。偵察ありがとな、転哉。やっぱお前の『影狼』、本当に便利だよなぁ。俺にも教えてくれよぉ〜」
媚びる様におねだりする雷蔵へ、結衣が提案する。
「駄目よ、雷蔵。『影狼』は、大狼家秘伝の術式なんだから。教えて欲しいなら、養子にでも入ったら? 転哉の。ふふふっ」
その提案に鼻で笑うと、雷蔵は舌を出して拒絶した。
「おいおい結衣。俺に、こいつの息子になれって? 絶〜対やだねぇ」
和気藹々《わきあいあい》と、3人は順調に生態調査を進めていた。
ある雨の晩。紅魔の森の山の麓に小さな雨を凌げる空間を見つけ、テントを張り野宿をしていた。雷蔵が、座って焚き火の番をしながら見張りをしていたとき。木々の間から人が近づいて来ることに気付き、刀に手を添えて臨戦体勢を取る。
「誰だ! そこで止まれ!」
雷蔵は、敢えて大きな声を出した。その声で、転哉と結衣が異変に気付き起きる。雷蔵の警告を無視して、人影は近づいて来る。ある程度近づくと、それが女性だと気付いた。そしてその腕の中には、布で包まれた赤子が抱かれていることも。ふらつく女性に、雷蔵は駆け寄った。
「大丈夫か! あんた、一体こんなところで何を・・・・⁈」
肩を貸した雷蔵の目に、魔術による攻撃を受け続けた女性の傷だらけの背中が映る。
「酷い怪我だ! 結衣! 直ぐに治療を!」
雨で冷えた女性と赤子を温める為、雷蔵は2人を焚き火まで連れて行った。ぐったりと赤子を抱えたまま横になる女性に、治療の為に近寄った結衣が顔を見て気付く。
「正美姉さん⁈ 何でこんなところに⁉︎」
その女性の名前は、安倍正美。伝説の陰陽師、安倍晴明の子孫にして安倍本家に産まれた聖巫女であった。
聖巫女。それは、先天的に膨大な聖気を宿した女性のことである。その多くは、由緒ある奇術師の家系に産まれることが多い。聖巫女はその膨大な聖気を使い、伊勢神宮の門など国家にとって重要な大規模門の守護結界を任される、国の盾となる存在だ。外国では、聖女とも呼ばれる。
正美は当時、2年前の魔界での任務以降、行方不明となっていた。国を挙げて育成されるほど丁重に扱われる聖巫女の行方不明は、前代未聞の事件である。その事件には、裏があった。安倍本家から産まれた聖巫女の存在は、安倍家と肩を並べる二大陰陽師家系の蘆屋家にとって脅威だった。奇術界での発言力低下を恐れた蘆屋家は、正美と任務を共にする奇術師に蘆屋家の息の掛かった奇術師を手配し、任務中に襲わせる。襲われた正美は、魔界の奥深くまで逃げるしかなかった。実行犯である奇術師2名は有罪判決を受け、処刑された。しかし、画策した蘆屋家を追求出来る程の証拠が無く、厳重注意のみとなった。
駆け寄った結衣が、正美日油術式を行う。
『秘回身法』
結衣が正美に術式札を貼ると、正美の身体が温かみのある光に包まれる。すると、正美が赤子を震えながら結衣に手渡し、声を出すのも辛そうな声で話す。
「この子の名前は糸成。結衣・・・・この子を護り、私の代わりに育ててくれる? あなになら・・・・任せられるわ」
「何を言ってるの姉さん! この子は姉さんが元気になって、姉さんが育てるの! だから、そんな弱気なこと言わないで!」
生きることを諦めた様な正美の発言に、結衣は怒りながら頬に涙を流す。結衣は感じていた。正美にこれまであった膨大な聖気が、一般人と同等程度しかないこと。肉体強化を使わず殆ど生身で受けた背中の傷が、深すぎること。そして、治癒術式を施すのが遅過ぎたことを。
結衣は安倍家の分家の子で、正美とは5歳離れた従姉妹だった。優しく面倒見の良かった正美は、よく結衣に修行をつけていた。そんなこともあり、1人っ子だった結衣は、正美を本当の姉の様に慕っていた。
「私の聖気を、お腹にいたこの子に出来る限り注ぎ込んだわ。残った聖気では、体を盾にして逃げることしか出来なかった。もう・・・・私に生きる力は残っていないの。結衣、糸成の顔をよく見せて?」
結衣が、抱き抱えた糸成の顔が正美に見えるように近づける。正美は、糸成の緋色の組紐を着けた小さな右手を優しく握った。すると、糸成が笑う。正美は、意識が少しずつ薄れる中最後の力を振り絞り、優しい声と眼差しで話し掛ける。
「ほらぁ、見て結衣。こんなに可愛い。右目は、お父さん似なの。ちゃんと育ててあげられなくて、ごめんね? もっと、一緒にいたかった。こんなお母さんで・・・・ごめんね? 愛してるよ、私の可愛い糸・・・・な・・・・」
正美の目から光が消えた。目尻から一滴の涙が、笑った口角に流れ落ちる。結衣の大きな泣き声は雨の音にかき消され、魔獣を呼び寄せることはなかった。




