第12話 先祖の秘密
時は遡り、紅魔の森青鬼討伐任務から6日前の夜。
雷蔵と話し終わった糸成が部屋に戻ると、机にある電気スタンドの明かりを点ける。椅子に座り、巻物の紐を慎重に解く。
「こっ、これは・・・・古代文字!」
古代文字。それは、紀元前から使われてきた奇術の元となる文字。文学的な意味は無く、古代の奇術師達が唯事象の発現のみを追求したもの。後に、古代文字は現代奇学の元となり、現代の術式はこれを数式化することで、万人の奇術師が同じ現象を発現できるようになっている。
開いた巻物には苦無の図と、古代文字に日本語で細く説明が書き連れていた。その秘伝書からは、文体が古文から徐々に現代文へと変わり、幾度となく説明が違う筆跡で書き加えられていることから、何世代にも渡って大狼家当主が研究、改良を加えてきたことが見て取れた。糸成はその日から3日、自室に籠り雷蔵の蔵書を使いながら、不眠不休で秘伝書の解読作業を行う。
そして、3日後の朝。
「解けた!」
糸成は、本来大狼家当主が秘伝書を使いながら次期当主に教える術式を、独学で解読した。雷蔵による高度な奇学学習の効果もあったが、自分の先祖の秘密を知ろうとする糸成の執念は、驚嘆に値するものだった。解読を終えた糸成の顔はクマが酷く、解読作業の過酷さが目に見えて分かる程疲労感のある顔をしていたが、同時に達成感も凄まじかった。
解読結果は以下の様なものだった。
一般的な転移術式は、誰が聖気を流しても地面に描かれた転移術式上の人物を、別の転移術式の上に転移させるものだ。これは万人の術式発動者が、万物を転移させることを可能にする。その為、術式は複雑化し大量の聖気を複数人で数十分流し続けることで、転移を可能にしたものである。しかし、大狼家秘伝の術式は異なった。転移させる対象を、自身のみと限定する。更に、発動する為の聖気も自身の聖気にのみ反応するように限定化することで、術式を効率化していた。そして、古代文字を改良した術式の上に、自身の血を染み込ませた縄を巻きつけることにより、媒体との繋がりを強化し術式効果を底上げしている。自身専用に作られた転移術式は、大規模攻撃術式と同程度の聖気消費で、術者のみの高速転移を可能にした。その術式の名は、『影狼』。
糸成は、早速自分専用の術式を秘伝書の解説どおりに作ると、形見の苦無に刻まれた術式を研磨で平らにし、聖気を込めながら慎重に自分の術式を彫る。解読した後の自分専用の術式を作ることは、歴代の当主達によって書かれた説明のお陰で、容易であった。苦無へ術式を刻むと、己の胸にも術式を刻む。
かつて古の奇術師達は、術式を物体に描かなければならない奇術を、己だけでも発現出来るように刺青などで自身の肉体に描こうとした。しかし、その目論みは失敗する。術式の発動には、媒体への負荷が掛かる。それは、媒体が人間であっても変わらない。その為、己に刻んだ術式はその深い繋がりから強力な術式効果を得たが、同時に肉体への負荷も凄まじく、刻んだ者は皆身を滅ぼした。
しかしあるとき、古くから転移術式を研究してきた大狼家のある時代の当主が、忍術に苦無が使われ始めたときに閃く。転移術式は、起動する術式と転移先の座標となる術式で、必ず2つ用意しなければならない。その特性を利用し、術式の役割を2つに分けた。1つは、苦無側へ刻む転移先の座標を示す術式。もう1つは、転移させる物体である己自身に刻む転移起動術式である。通常の術式を身体に刻めば、人間の肉体は負荷に耐えられない。だが、1つの現象を2つの術式で発現するということは、媒体への負荷を分散することが出来るということである。これを、本来術式間を行き来出来る転移術式を、自身から苦無への一方通行にする制限を付けることで、身体への負荷を最小限にすることを可能にした。
胸に刻む術式は、聖気を込めた指で描く。描かれた術式は、他人から目視で確認することは出来ない。しかし、術式は確実に体内に刻まれ、消えることはない。
術式を刻み終え、里の武器屋で自分の血を提供し苦無の柄に巻き着ける“血染め縄”の作成依頼を行い家に帰ると、糸成は気を失うように眠りに着いた。
時は戻り現在。
真矢の目の前に転移した糸成は、そのまま刀で赤鬼の大太刀を受け止めた。刀同士がぶつかった途端、周囲には衝撃波が走り、両者の足元は割れる。糸成は、そのまま鍔迫り合う。砕かれ痛む左脇を捨て置き、糸成は踏ん張った。
「真矢! 界斗を連れて逃げろ! こいつは、僕が引き受ける!」
真矢は一瞬迷った。3人で立ち向かい、高い確率で全滅するか。1人を犠牲にして、上級魔獣の武装化を確実に奇術省へ報告するか。二つに一つだ。血を吐きながら大太刀を受け止め続ける糸成を見て、真矢は涙を流し、決断する。
「ごめん」
悔しそうに小さな声で一言だけ謝ると、真矢は界斗の元へ走り、界斗を担ぐと森へ入って北へと向かう。赤鬼に立ち向かった糸成を見て、自分も奮起していた界斗は抵抗した。
「真矢! なんで! 糸成が!」
そのとき、血反吐を吐きながら、糸成は笑っていた。今の自分にとって大切な存在。家族とも言える仲間を自らの手で救えることが、糸成は嬉しかった。そんな糸成を、担がれた界斗だけが見送った。真矢は速度を上げ、森を突き進む。それを横目で見届けた糸成は、聖気の出力を上げる。
「悪いけど、お前にはここに居てもらう! 2人が逃げ切れるまでなぁ!」
上級魔獣相手に下級術師1人。誰もが絶望的と考えるその状況下でも、糸成は諦めていなかった。高速転移術『影狼』を使えば、赤鬼を撒くことが出来ると考えていた。これは、全員が生き残る為の“時間稼ぎ”。糸成に死ぬ気など、初めからなかった。鍔迫り合い中に糸成が雄叫びを上げたとき、聖気出力を上げた刀に負けた赤鬼の大太刀が割れ、そのまま赤鬼の右前腕に刃がめり込む。
「ウォォー!」
それを見て糸成はここぞとばかりに雄叫びを上げ、腕の途中で止まった刀を大量の聖気で強化した額で頭突きする。押し込まれた刃で、赤鬼の右腕が落ちた。振り切った刀の向きを変え、糸成は跳び赤鬼の首へ刃を向ける。
「獲った!」
糸成は、刀を全力で振り切った。しかし、硬い鬼の肌に阻まれて刀は折れる。糸成の渾身の頭突きで、刀の峰からヒビが入っていたのだ。
「え?」
空中で、折れた刀の断面を見る糸成に、赤鬼が掴み掛かる。それを、真矢を助ける為に投げた苦無へ『影狼』で瞬時に転移し、回避した。
大狼家秘伝の苦無は、自分の聖気を宿した苦無の位置を見えずとも座標を脳内で完璧に感知できる。よって、戦闘中でも任意の苦無へ瞬時に転移することが可能である。
2人が走り出して、まだそんなに時間が経っていないと考えた糸成は、回収した苦無を南へ目の届く範囲で投げる。ウエストポーチからもう1本苦無を取り出すと、赤鬼へ斬り掛かった。しかし、苦無の刃渡りでは擦り傷程度で致命傷にはならない。赤鬼が再び掴み掛かろうとするが、糸成は『影狼』で回避する。再び南へ苦無を投げ、回収した苦無で斬り掛かる。これを繰り返し、ヒットアンドアウェイで赤鬼の意識を自分に向けさせ続け、少しずつ逃げた2人から赤鬼を南へと引き離していった。
赤鬼を引き留めて、30分以上が経った頃。糸成の体感では、真矢と界斗を逃がしてから数時間が経っていた。2人が逃げ切れたと判断した糸成は、苦無を全力で遠くへ投げる。放物線を描いた苦無が着地する程の時間を稼ぐと、『影狼』で赤鬼から逃げおおせた。糸成の魂の一投は森を越え、枯れた荒野まで届いていた。地面に刺さった苦無を拾うと。
「よし、皆の元へ戻らな・・・・」
糸成は脱力し、前のめりに音を立てて倒れる。赤鬼に受けた初撃で砕けた肋骨が、複数の内臓に達していたのだ。戦闘中はアドレナリンの大量分泌と気魄により、糸成は痛みを忘れ限界を超えていた。しかし、戦闘を終えたことで緊張の糸が切れ、極めて致命傷に近い攻撃を受けた身体を酷使し続けた結果、とうとう限界を迎える。糸成は困惑していた。幾度となく厳しい修行をこなしても動いてきた身体が、指先さえも動かせない。初めての感覚だった。少しずつ視界が暗くなり意識が薄れ始めると、糸成は初めて死を意識する。こんなところで死ねない。まだ、仇を討てていない。まだ、真矢と界斗の無事を確認出来ていない。そう思いながら、糸成は眠るように気を失った。




