夏の盛り
世間のお盆休みが終わった8月の中旬。校内の図書室では書庫整理の名目で2人の図書委員が駆り出されていた。
2人の男女は生気が乏しく、緩慢な動きで重い書籍を整理していた。当然仕事が捗る筈も無く、半ば諦めた少年少女は長テーブルの椅子に並んで座り込む。
空調機器の調子が悪かった為、図書室の窓は全て開け放されていた。窓の外のグラウンドからは金属バットの音と掛け声が聞こえてくる。
その度に、戸室坂まひるは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。 外からの音が時折途切れ、耳が痛くなるほどの静寂が図書室内を支配していた。
「······窓閉めようか? 戸室坂さん。野球部の音を聞くの辛いでしょう?」
麻痺棚俊は、虚ろな両目で隣に座る友人に提案を持ちかける。
「······気遣いありがとう。麻痺棚君。でも大丈夫。野球部の憎らしい音と、窓を閉めた時の室内の暑さ。どちらを選べと言われれば前者を選ぶわ」
戸室坂まひるは死んだ魚のような目で水筒の麦茶を一口飲む。
「麻痺棚君こそ大丈夫? 元々細いのにガリガリになってきてるよ。ちゃんと食べてる?」
「······食欲があんまり無くてさ。特に甘い物は楓ちゃんと一緒に食べた思い出が甦るんだ。そしたら涙がとまらなくて」
「······辛いね。それは。私は逆にやけ食いで夏なのに2キロも太っちゃった。テレビで甲子園の映像見ると、坊主頭の選手を全員蹴り倒したくなるのよね」
「戸室坂さんも深刻な症状を抱えているね。でも、こんな話を聞いてくれる相手がいてまだ良かったよ 」
「それは私も同感。失恋した時って、誰かに話を聞いてもらえると救われるよね」
暫く沈黙が続き、俊は突然目頭を指で押さえる。 まひるは黙ってハンカチを差し出し、俊はありがたく友人の好意に甘えた。
「······前に佐為北さんとランチした時にね。彼女言ってた。麻痺棚君には幸せになって貰いたいって。あんな優しくて真面目な人が幸せになれなかったら、この世界はひとかけらの価値もないって」
「······楓ちゃんが? 本当にそんな事を言ったの? 」
「本当だよ。こうも言ってた。短かったけど、麻痺棚君と恋人同士になれて良かったって。佐為北さん。微笑みながらそう言ってたよ」
まひるは精一杯の優しさを込めて楓の想いを俊に伝える。それを聞いた俊は再び涙ぐむ。まひるは黙って俊の背中を擦った。
突風のような強い風が図書室に流れ込んで来た時 、俊は突然立ち上がった。その拍子に椅子が後ろに音を立てて倒れる。
「戸室坂さん。俺。やっぱりお笑い芸人になるよ。テレビに出れるような人気芸人になる。俺がテレビで人を笑わせれば、それを楓ちゃんが見れば。あいつ、テレビで頑張ってるなと楓ちゃんが思ってくれれば。楓ちゃんが生きて行く理由になるかもしれない」
「······自分を振った相手の為に、将来の仕事を決めるの?」
「うん。俺決めた。楓ちゃんに振られてたのは悲しいけど、楓ちゃんが長生きできるように、俺は俺に出来る事をやるよ。俺はそうして生きて行くよ」
若者にありがちな浅はかな決断。明日になれば容易く決意を翻す安易な目標。誰が見ても、俊の決意表明を本気で信じる者はいないのかもしれなかった。
だが、これほど純粋に他人を想える人がどれだけこの世にはいるのだろうか。それは、未熟な若者に許された特権かもしれなかった。
まひるはそんな事を考えながら俊を見上げていると、自分が涙ぐんでいる事に気付く。東魁優仁に振られた時も出なかった涙が、何故今流れようとしているのか。
ガタッ。
俊に引けを取らない勢いでまひるは席から立ち上がった。そして水筒を一気飲みして手の甲で口を拭う。強い決意を秘めた両目で、まひるは図書室の引き戸を開けた。
「戸室坂さん? どうしたの?」
「私の中に残っている失恋、ちゃんと成仏させてくるね」
まひるはそう言い残すと、大股で校舎内を出てグラウンドに向かって行った。グラウンド内では18名の野球部部員が外野フライの練習をしていた。
ライトの位置に立っていた東魁優仁は、練習中のグラウンドに乱入してきた人影に気付く。
「······戸室坂?」
まひるは歩みを止めて優仁を見つめる。2人は30メートルの距離を挟んで向かい合った。
「そこの坊主頭のお節介男! アンタに言いたい事があるから、耳をかっぽじってよく聞きなさい!!」
まひるは腹の底から大声を出し、グラウンド中にその声が響いた。他の野球部員達もその声に驚き練習の手を止める。
「何が素顔が可愛いよ! 人を勝手に期待させといて振るなんて、アンタって本当に最低!!」
まひるの絶叫に、手を止めた部員達はただならぬ雰囲気を感じ始めた。乱入者の女子の視線は優仁に向けられており、部員達も自然と優仁に注目する。
一方、当の本人の優仁は呆然とカカシのように立ち尽くしていた。
「私の肌を心配してくれてありがとう。私の素顔を可愛いって言ってくれてありがとう」
「······戸室坂」
痛烈な批判の後に始まった感謝の言葉に、野球部員達はいよいよ混乱して行く。
「東魁優仁さん! 私は貴方の事が好きでした! 大好きでした!!」
まひるは涙を流しながら想いを言葉に乗せる。心に一粒の未練も残らないように。全てを出し切ろうとするように。
「貴方を好きになって幸せでした! ありがとう! この馬鹿野郎!!」
夏の青空に響き渡るその絶叫は、聞く者の耳にいつまでも残る力強さがあった。まひるは力尽きたようにその場にかがみ込み、自分の太ももに頭を埋める。
だが、まひるは直ぐに立ち上がった。そして、他の部員に向かって口の左右に両手を立てる
「野球部の皆さーん! 東魁優仁には、他校のそれは美人な彼女がいますよー!!」
今日の1番のまひるのその声量は、優仁を除く17人の聴覚に確実に届いた。17人の暑苦しい少年達は自らの顔に羨望の文字を書きなぐり、一斉に優仁の周囲に集まり始めた。
優仁は仲間達から肩や胸ぐらを掴まれ、強制的な 聞き取り調査が始まった。まひるは助けを求めるような表情の優仁と一瞬だけ目が合った。
その時まひるは悪戯っぽい顔で思いっきり舌を出して見せた。そして踵を返し、2度と後ろを振り返らなかった。
まひるの視線の先には、日傘を持つ俊の姿があった。日傘をまひるに手渡した俊は、憑き物がとれたような晴れ晴れとした顔をしていた。
「成仏させれた? 戸室坂さん」
「うん。ばっちり綺麗に成仏させたよ。もう来世で生まれる場所が決まってるくらいにね」
まひるも俊に負けず劣らず痛快と言った表情を見せた。
「いやあ。良いもの見せてもらったな。俺、やっぱり戸室坂さんと友達になれて良かったよ」
「ふうん。麻痺棚君って男女の友情を信じる派?」
「えっと。いや。ごめんだけど信じない派」
「気が合うね。私も信じない派だよ」
「でも。俺は戸室坂さんとずった友達でいたいと思ってるよ。これホントだから」
「奇遇だね。私も麻痺棚君とは友達付き合いできると思う。これからも末永くよろしくね」
「うん。こちらこそ。俺らみたいなこう言う関係って、腐れ縁って言うんだっけ?」
「ちょっと字面が嫌だなあ。もう少し見栄えと響きの良い言い方ないかな?」
「うーん。そうかあ。他にあるかな」
「そうね。いざ考えると難しいかも」
校舎内の廊下を歩きながら、超絶イケメンと地味目女子が並んで思案にふける。そして、2人は急に足を止め、互いに人差し指を相手の顔に向けた。
「宿縁だ!」 「奇縁よ!」
少年少女の思いつきは、惜しくも重ならなかった 。人と人とはそれぞれ全くの違う心があり、違う想いを抱えている。 だから相手を知りたくなり、その為に会話を重ねる。時にはぶつかり、時には衝突しながら。
「あはは。私らって気が合わないね。麻痺棚君」
「ホントだね。息も合ってないね。戸室坂さん」
意味不明な可笑しさが2人を笑顔にさせた。失恋の愚痴を言い合える相手。下らない話で笑い合える相手。 そんな付き合いが出来る貴重な相手を得たまひると俊は、心の中で言葉には出来ない安らぎを感じていた。
あと2時間で図書整理を終わらせることを決めたまひると俊は、若者らしい生き生きとした顔で図書室に向かって勢い良く駆け出した。




