第7話:名工の初仕事
朝のブラッシングは、アルトの日課だった。
順番に膝に乗せて、毛の流れに沿って櫛を入れる。絡まりを解して、汚れを取って、また次の一匹。猫たちは順番待ちの列を崩さなかった。
割り込もうとした猫が他の猫に睨まれて大人しく列の後ろに戻る、ということが毎朝一度は起きた。
ブラッシングをするたびに、抜け毛が出た。
ふわふわの、柔らかい毛だった。色によって手触りが違う。ミィちゃんの白い毛は絹みたいに滑らかだった。黒い猫の毛は少し張りがあって、虎縞の猫の毛は密度が高かった。
アルトはそれをまとめて籠に入れていた。捨てるのも忍びなかったし、何かに使えるかもしれないと思っていた。籠は三日もすると、こんもりと山盛りになった。
「これ、何かに使えないか」
ガインが籠を覗き込んだ。
指でひとつまみ取って、引っ張った。伸びた。戻った。またつまんで、今度は捻った。
「……なんじゃこれは」
「猫の抜け毛ですよ」
「わかっとる。なんでこんなに質がいいんじゃ」ガインは毛を光にかざした。
「絹より細くて、羊毛より温かい。こんな繊維は見たことがない。これ、紡げるぞ」
「紡ぐ?」
「糸にできる。糸にすれば布にもなる。綿にすれば詰め物にもなる」
アルトは籠を見た。山盛りの抜け毛を見た。
「猫たちのお布団が作れるかもしれないな」
ガインが顔を上げた。
「布団?」
「冬は床が冷えるので、温かい寝床があると喜ぶかと思って」
ガインはしばらくアルトを見てから、立ち上がった。
「腕が鳴るわい」
ガインが紡ぎ始めた。
道具は手持ちのものを組み合わせて作った。錐と木の棒で簡単な紡錘を拵えて、抜け毛を少しずつ引き出しながら撚っていく。最初の一本が糸になったとき、ガインはそれを指に巻いて、引っ張って、光にかざした。
「……均一じゃ。しかもこの強度」
ゴロゴロゴロ。
隣でミィちゃんが揺れる糸を目で追っていた。
「こら、遊ぶな」
ミィちゃんは前足をそっと伸ばした。
「こら」
ゴロゴロゴロゴロ。
ガインは糸をミィちゃんの届かない高さに移動させてから、紡ぎを続けた。
糸が増えた。白と黒と虎縞が混ざった、不思議な色合いの糸だった。単色ではなく、光の当たり方によって色が変わって見えた。
「アルト。お前、魔法で布を仕立てられるか」
「やってみます」
糸を受け取って、魔力を通した。糸が温かくなった。互いに絡み合って、面になって、厚みを持った。引っ張ると弾力があった。空気を含んでいるような、軽い重さだった。
「できました」
ガインが受け取って、両手で広げた。
猫三匹が余裕で乗れる大きさの布だった。白と黒と縞模様が混ざり合って、何とも言えない色になっていた。
「温かいか確かめてみい」
アルトは布を顔に当てた。
温かかった。当てた瞬間から温かかった。外気が遮断されて、布の内側に熱が閉じ込められる感じだった。羽毛布団より暖かくて、しかし重くなかった。
「すごいな、これ」
「だろうが」ガインが鼻を鳴らした。
「神獣の毛じゃからな」
「神獣?」
「お前の猫たちのことじゃ」
アルトは首を傾けた。
「猫ですよ」
「そうじゃな」
ガインは何か言いかけてやめた。
布団と並行して、ガインは爪研ぎ板も作っていた。
材料は近くの林から切り出した木だった。
コールドランドの木は寒さで締まっていて、密度が高く硬かった。ガインはそれを手斧で割り、鑿で形を整えた。
「猫の爪研ぎは、ただ荒くすればいいというもんじゃない」
ガインは板の表面を鑿で少しずつ削りながら言った。
「爪が引っかかりすぎると怪我をする。引っかからなさすぎると気持ちよくない。ちょうどいい抵抗が要る」
「詳しいですね」
「道具屋で猫用品を頼まれたことがある。三十年前じゃが」
ガインの手が止まらなかった。
「あのときは適当に作って納めたが、今は違う。最高のものを作る」
削っては指で触れて、また削る。同じ動作を何十回と繰り返した。板の表面が、少しずつ変わっていった。
昼を過ぎた頃、ガインが手を止めた。
「アルト。ミィちゃんとやらを連れてきてくれ」
ミィちゃんを連れてくると、ガインは板をミィちゃんの前に置いた。
ミィちゃんは匂いを嗅いで、板の端を前足で押した。それから、爪を立てた。
ざっ。
引いた。
ざっざっ。
また引いた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
喉が鳴り始めた。前足に力が入って、体重をかけながら爪を引いた。気持ちよさそうだった。目が細くなっていた。
「どうじゃ」ガインがアルトに訊いた。
「気に入ったみたいです」
「当たり前じゃ」ガインは腕を組んだ。
「三十年前の自分に謝りたいわい」
夕方までに、布団が三枚と爪研ぎ板が五枚できた。
布団をキャットタワーの各段に敷いた。
一番上の台にはミィちゃんサイズに合わせた一枚を。
中段には少し大きめを。
一番下の広い台には、猫が何匹でも乗れる大判を。
爪研ぎ板はコテージの壁際に立てかけた。
猫たちが一斉に押し寄せた。
布団の匂いを嗅いで、足で踏んで、寝転がった。自分の毛で作られた布団だと分かるのかどうかは不明だったが、気に入ったのは確かだった。何匹かが爪研ぎ板に殺到して、取り合いが始まった。
ミィちゃんはキャットタワーの一番上に飛び上がって、自分の布団をひとしきり踏んでから、丸くなった。
目を閉じた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
音が大きかった。壁が微かに震えた。
「喜んでるな」アルトが言った。
「当たり前じゃ」ガインが言った。
今度は声が少し違った。穏やかな声だった。
コテージの中がゴロゴロ音で満たされた。
あちこちから重なって、低く響いた。
ガインはしばらくそれを聞いていた。それから、独り言のように呟いた。
「こんな場所があるとは、思わんかったわい」
アルトはパン生地をこねながら、答えた。
「夕飯にしましょう。今日は魚を多めに仕入れてあります」
「おう」
ガインの返事は、いつもより少し弾んでいた。
キャットタワーの上で、ミィちゃんのゴロゴロ音が続いた。
新しい布団の上で、丸くなったまま、動かなかった。




