第6話:猫の楽園へ進化する
朝起きると、外が明るかった。
いつもより明るかった。
アルトは目を細めながら扉を開けて、少し止まった。
雪がなかった。
コテージの周囲一帯に、緑の草が生えていた。足で踏んでみると、ふかふかと沈んだ。土が温かかった。
コテージの周辺だけ、ぽっかりと空が青かった。
遠くのコールドランドは今日も灰色の吹雪に沈んでいるのが見えた。
「春みたいだな」
ミィちゃんが足元から出てきて、芝草の上をゆっくりと歩いた。
前足で踏んで、後足で踏んで、それから思い切り伸びをして腹ばいになった。
ゴロゴロゴロゴロ。
他の猫たちも次々と出てきた。温泉の湯気が朝の空気に溶けていった。
アルトは台所に戻った。今日は少し手をかけた飯を作ろうと思っていた。
燻製の準備をしていると、コテージの前で音がした。
ミィちゃんたちが数匹、扉の方を見ていた。誇らしげな顔だった。何か良いものを持ってきたときの顔だった。
扉を開けると、芝草の上に人間が転がっていた。
ずんぐりとした体格の小柄な男だった。白いひげが顔の半分を覆っていて、革の作業着を着ていた。泥だらけで、所々に霜がついていた。胸が微かに動いていた。生きていた。
隣でミィちゃんが鳴いた。
ミィ。
やけに得意げな声だった。
「……拾ってきたのか」
ゴロゴロゴロ。
アルトは男を見て、猫たちを見て、また男を見た。
「人間もテイム対象なのかな」
まあいいやと思った。
このまま外に置いておくわけにもいかない。
脇に手を入れてコテージの中に運び、毛布をかけて温かい場所に寝かせた。
その間も燻製の火加減だけは気にしていた。
男が目を覚ましたのは、夕方だった。
起き上がろうとして、うめいた。
アルトは温めておいたスープを差し出した。男はそれを受け取って、一口飲んだ。
止まった。もう一口飲んだ。
それからスープを見て、アルトを見て、スープを見た。
「……なんじゃこれは」
「スープです」
「わかっとる。なんでこんなに美味いんじゃ」
「魔草を少し入れました」
男はスープを飲み干してから、コテージの中をゆっくりと見渡した。壁。床。キャットタワー。四隅の光る石。
四隅の石のところで、目が止まった。立ち上がって近づき、指で触れた。光が揺れた。
「……超高純度の魔石じゃ」男の声が低くなった。
「国宝級どころか、四十年鍛冶をやってきたが、これほどのものは見たことがない」
「綺麗なので角に使いました」
「重り!?」
「ええ」
男はしばらく動かなかった。それから大きく息を吸った。
「わしはガインじゃ。鍛冶職人だ」
「アルトです」
「アルト。一つ聞くが、さっきのスープ。あれはどうやって」
「炉で煮ただけですが」
「もう一杯もらえるか」
「どうぞ」
ガインはスープのおかわりを両手で受け取って、今度はゆっくりと飲んだ。目が細くなっていた。しみじみとした顔だった。
「温泉もありますよ。よかったら」
「温泉まであるのか」
「体が温まります」
ガインはしばらくアルトを見てから、立ち上がった。
温泉から上がったガインは、顔色が人間のものになっていた。
焼き立てのパンを出した。燻製も温めて出した。
ガインは一口食べた。
動かなくなった。
ゆっくりと噛み締めた。目が潤んでいた。
「わしは騙された」ガインが呟いた。
「悪徳貴族に仕事を横取りされて、金を踏み倒されて、追われてコールドランドに逃げ込んで」
息を吸った。
「どうせ死ぬならどこかで倒れてもいいと思っとった」
ゴロゴロゴロ。
ミィちゃんがガインの膝に乗ってきた。ガインは恐る恐る頭を撫でた。ミィちゃんは目を細めた。
「猫まで懐く」ガインの声が震えた。
「アルトよ。ここに置いてくれ。美味い飯を食って、猫に囲まれて、お前のために最高の道具を作る。それだけでいい」
目から一筋流れた。
アルトは少し考えた。
キャットタワーの精度が上がるかもしれなかった。爪研ぎ台も、もっと丈夫なものが作れるかもしれなかった。
「よかったら、ぜひ。猫のための道具を色々作りたいので、手伝ってもらえると助かります」
ガインは一瞬きょとんとした顔をした。
それから、腹の底から笑った。
「猫のための道具か! わしの四十年の技術が猫に使われる日が来るとは思わんかったが……ええ、やったろうじゃないか!」
ゴロゴロゴロゴロ。
猫たちが一斉に鳴いた。コテージの中が、重なった音で満たされた。
アルトはそれを聞きながら、パンの最後の一切れを口に入れた。
外では温泉の湯気が夕空に溶けていた。芝草の上を、猫たちがゆっくりと歩いていた。
コールドランドに、春が来ていた。




