第50話:ひんやり甘酒
今日も書類は十時に終わった。
バルドが最後の一枚に署名して、束を揃えた。
「終わったな」
「終わりましたね」ヴァルテが言った。
二人は顔を見合わせた。
「余った時間は」バルドが言った。
「猫を撫でる時間です」ヴァルテが言った。
ゴロゴロゴロゴロ。
ミィちゃんが答えた。
昼過ぎに王都の醸造職人から荷が届いた。
手紙が入っていた。
「先日の醸造所建設の許可決裁、誠にありがとうございました。おかげで新しい醸造所が完成しました。感謝を込めて、特製の米麹をお送りします」
箱を開けると、白い塊が包んであった。甘い匂いがした。麹特有の、穏やかな香りだった。
「甘酒が作れますね」アルトが言った。
「王都では冬に温めて飲むものだな」ヴァルテが言った。
「ここはポカポカですから、冷たくして飲んだら絶対美味しいですよ」
「冷やし甘酒か」
「作ってみます」
ドラゴンが台所の方を向いた。
フシュー。
「準備できていますよ、という声ですね」アルトが言った。
米麹を水に溶いて、弱火でゆっくり温めた。混ぜ続けた。甘みが出てくるまで、急がなかった。
コテージの中に甘い匂いが広がった事で、ガインが作業場から顔を出した。
「何の匂いだ」
「甘酒です」
「酒か」
「ノンアルコールですよ。米の甘みだけです」
「そうか」ガインは少し考えた。
「それを冷やすのか」
「冷やしてみぞれにします」
ガインは作業場に戻った。しばらくして、削り器を持って出てきた。
「わしが削ろう」
「ありがとうございます」
甘酒が仕上がり、器に移した。
ドラゴンが近づいてきた。
口を少し開けた。
「フシュー」
冷気が出た。甘酒の表面が白くなった。端から固まり始めた。中まで冷えていくにつれて、甘い香りがさらに立った。
ガインが削り器を当てた。
サッサッサッ。
薄いみぞれが出てきた。甘酒の淡い白が、ふわっと積み重なってから、生姜を少し削って散らした。
アルトが「デッキで食べましょう」と言った。
全員が外に出た。
夕方になっていた。
聖域の空が、薄いピンク色に染まっていた。
吹雪との境界線のところで、灰色と橙色が混ざっていた。見たことのない色だった。
ガインが縁側に腰を下ろし、バルカンがその隣に座った。
バルドとヴァルテが椅子を出してきた。
全員が夕空を見ながら、みぞれ甘酒を食べた。
スプーンを入れると、シャリッとした。
冷たくて、甘みがサラサラと来た。生姜のわずかな辛みが後から来て、口の中がすっきりした。
「……サラサラと喉を通るな」ヴァルテが言った。
「温かい甘酒とは違いますか」アルトが聞いた。
「全然違う。温かいものは少し重く感じることがあったが、冷やすとこうなるのか」
「ドラゴンさんのおかげです」
ドラゴンが縁側の端で丸くなっていた。フシュー、と小さく鼻息を吐いた。満足そうだった。
ガインがみぞれ甘酒を一口食べた。
「……酒好きにも分かる甘さだな。すっきりしている」
「お酒じゃないですよ」
「分かっている。でも、こういう甘さがある」
バルカンが頷いた。
「体に染み渡るな。繊維の目が揃ったときの手触りみたいに、一点の曇りもない甘さだ」
「繊維に例えるんですね」
「わしはそうなる」
バルドはミィちゃんを膝に乗せたまま、スプーンを持ち、一口食べた。空を見た。
「……王都の激務の中にいた頃は、夕焼けを眺める時間などなかったな」
誰も答えなかった。
答える必要がなかった。
バルドはもう一口、みぞれ甘酒を食べた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
ミィちゃんがバルドの膝の上で鳴いていた。
ガインが器を置いた。
「美味かったな」
「そうですね」アルトが言った。
「また作ってくれるか」
「いつでも」
ドラゴンが顔を上げた。
フシュー。
「ドラゴンさんもいつでも手伝ってくれますよ」アルトが言った。
ゴロロロ。
ミィちゃんがバルドの膝の上で鳴いた。
ゴロゴロゴロゴロ。
夕空の色が、だんだん暗くなっていった。
外の吹雪の音が、遠くで続いていた。
コールドランドのデッキに、静かで優しい夜が来ていた。




