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役立たず猫テイマーの辺境もふもふ開拓記  作者: ゆもニャ
第五章 冬ごもり

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第47話:逃避

 朝、コテージの居間に書類が積んであった。昨夜、王都から転送されてきたものだった。二人分だった。


 バルドとヴァルテが、コタツに並んで座った。


「では始めるか」バルドが言った。


「はい」ヴァルテが言った。


 二人が書類を読み始めた。


 バルドの膝にミィちゃんがいた。

 ゴロゴロゴロゴロ。


 ヴァルテの足元に縞猫がいた。

 ゴロゴロゴロゴロ。


「この北部の予算案ですが」

 ヴァルテが書類を持ちながら縞猫を撫でた。


「先月の実績と照らし合わせると、二割の削減余地があります」


「そうだな」バルドがミィちゃんを撫でながら署名した。


「削減して、その分を医療網の整備に回せ」


「承知しました」ヴァルテが書類に書き込んだ。


「次の案件は」


「南部の魔獣対策費の見直しです。騎士団の装備費が昨年比で跳ね上がっていて」


「予備費から充当できるか確認しろ。それが無理なら緊急予算を組む」


「はい」


 二人の手が止まらなかった。


 ルークが事務処理をし、キースが淡々と分析数値を弾き出した。


「以前の王都での執務と比べて、処理速度が上がっていますね」


「気のせいではないか」バルドが言った。


「記録しています。一日の決裁件数が、王都にいたときの一点五倍です」


 バルドは書類を読みながら少し考えた。


「胃が痛くないと、集中できるのかもしれんな」


「そうかもしれません」ヴァルテが言った。

 縞猫を撫でる手が止まらなかった。




 昼前に、通信石が激しく光った。


 バルドが受け取った。


「長官!」


 聞いたことのない若くて、高い声だった。


「誰だ」


「貴族院の書記官です。緊急の通達です。昨夜王都本部機能の七割移転などという報告書が届きましたが、これは一体どういうことですか。長官と副長官が何者かに脅迫を受けているのではないかと、貴族院が大変な騒ぎに」


「騒いでいるのか」


「騒いでいます。前代未聞だと。長官のご正気を疑うものまで出ておりまして」


「正気だ」


「しかし行政機能の移転など」


「効率が上がっているから移転した。それだけだ」


「でも、なぜコールドランドに」


「環境が良いからだ」


「環境とは、どのような」


 バルドは少し考えた。


「言葉では伝わらん」バルドが言った。


「ヴァルテ、対応しろ」


「はい」ヴァルテが通信石を受け取った。


「貴族院の諸君、副長官のヴァルテだ。私は自らの意思で、最高効率の執務環境を構築しているに過ぎない。脅迫など受けていない」


「し、しかし副長官、聖域というのは危険な」


「阿呆め」


 通信が切れた。ヴァルテが通信石を返した。縞猫がヴァルテの足元に戻ってきた。


 ゴロゴロゴロゴロ。


「言葉で言っても伝わらんな」バルドが言った。


「そうですね」ヴァルテが言った。


「報告書と共に、何か実物を送るか」


「何を送りますか」


「アルト伯爵に相談しよう」




 アルトが台所から顔を出した。


「貴族院に何か送りたいとのことですが」アルトが言った。


「昼食ができたところなので、食べながら考えましょう」


「何を作ったんだ」


「ひんやり出汁茶漬けです」


 器が運ばれてきた。炙った魚の身が乗っていた。刻んだ薬味が散らしてあった。

 そこに、淡く透けた何かが乗っていた。


「それは」


「出汁を凍らせたものです。ドラゴンさんに冷やしてもらって、ガインさんに包丁で削ってもらいました」


 ドラゴンが横から鼻息を鳴らした。フシュー。


「出汁が、氷になっているのか」


「食べながら少しずつ溶けて、出汁になります。その加減がちょうど良くて」


 バルドが一口食べた。冷たかった。出汁の旨味が、冷たさと一緒に来た。氷が少し溶けて、さらさらとした液体になって喉を通った。炙り魚の香ばしさが鼻を抜けた。


「……出汁が、氷になっておる」


「そうです」


「冷たさと旨味が、同時に来るのか」


「そうです」


 バルドはもう一口食べた。


 ヴァルテが食べて、思考が止まった。


「……っ」


「どうですか」アルトが聞いた。


「胃に染み渡ります」ヴァルテが言った。


「冷たいのに、体の中から温まるような」


「出汁の旨味のせいかもしれませんね」


 ヴァルテは食べ続け、バルドも食べ続けた。しばらく、二人とも何も言わなかった。


「これを貴族院に送ろう」バルドが言った。


「出汁氷をですか」


「報告書と共に。実物で伝わるものがある」


 キースが手帳を出した。


「コールドランド分室における執務効率の数値データと、健康状態の記録をまとめます。送付する報告書に添付します」


「頼む」


 キースは手帳に書き始めた。


 翌日、報告書と共にドラゴンが冷気を極限まで込めた魔導保冷箱に入った出汁氷が王都の貴族院に届いた。書記官が受け取り報告書を読んだ。


 数値があった。コールドランド分室における一日の決裁件数。王都執務室との比較。長官と副長官の健康診断の結果。胃痛の頻度。睡眠の質の変化。


 全部の数値が、王都時代より上だった。


 しかも大幅に上だった。


 書記官は貴族院の議長のところへ走った。


 議長が読んだ。


 黙った。


「……処理速度が一点五倍だと」


「はい」


「健康状態が観測史上最高レベルだと」


「はい」


「それで、移転したと」


「はい」


 議長は報告書を置いた。

 

 冷やされた箱を開けた。


 出汁氷が入っていた。


 薄く削られた、透明な塊だった。出汁の色が薄く混じっていた。


 一かけら食べた。冷たかった。出汁の旨味が来た。議長は動かなかった。


「…なるほど」議長が言った。


「どういう意味でしょうか」書記官が聞いた。


「私も、視察に行かねばならんな」


「視察、ですか」


「行政機能の移転先を、議長自らが確認するのは当然の責務だ」


 書記官は止まった。


「それは、視察という名目で」


「視察だ」議長が言った。


「ただの視察だ」




コールドランドのコテージでは、夕方になっていた。


バルドとヴァルテがデッキに出ていた。冷たいお茶を飲んでいた。外の吹雪の音が遠くにあった。


「副長官。王都に残した三割の業務は大丈夫か」


「問題ありません」ヴァルテが言った。


「残りの職員にも、定期的にこちらからお裾分けを送っています。出汁氷と焼き芋を一緒に。士気が上がっているそうです」


「そうか」


「ただ、残った職員から『私たちも行きたい』という要望が増えています」


「順番待ちにしろ」


「はい」


 アルトが出てきた。


「みんなで美味しく食べられるのが一番ですね」アルトが言った。


 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。


 ミィちゃんがバルドの膝に乗った。


 ゴロロロ。


 ドラゴンが足元に来た。


 外の吹雪が、今日も鳴っていた。


 コールドランドの分室は、今日も平和に暮れていった。

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