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役立たず猫テイマーの辺境もふもふ開拓記  作者: ゆもニャ
第五章 冬ごもり

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第46話:王都の動揺

 副長官のヴァルテが報告書を受け取ったのは、朝の執務開始直後だった。


 封を開け読んだ。読み返した。


「……王都執務室の一部機能を、コールドランドへ移転することを検討する」


 ヴァルテは報告書を机に置いて、立ち上がり窓の外を見た。


王都の空は、普通の空だった。雲があって、風が吹いていた。


「長官のお心が」ヴァルテは呟いた。


「壊れてしまわれた」


 扉が開き、書記官が入ってきた。


「副長官、貴族院から問い合わせが来ています。長官の報告書について、聖域の詳細を教えてほしいと」


「なんと伝えた」


「超氷結兵器と酸性極冷エネルギーの実証実験中とお伝えしました。皆、戦慄しております」


「そうか」


 ヴァルテは報告書を手に取った。


「私が行く」


「副長官自ら、ですか」


「長官の真意を確認せねばならん。これは副長官としての責務だ」


「しかしコールドランドは極寒の」


「問題ない」


 ヴァルテは胃薬を鞄に詰めた。多めに入れた。念のため倍にした。


「出発の準備をしろ」


 コテージの居間では、バルドがコタツで書類を読んでいた。膝にはミィちゃんがいた。


 ゴロゴロゴロゴロ。


「この予算配分は見直しが必要だな」バルドは書類に書き込んだ。


「ルーク、北部の流通経路について確認したい」


「はい」ルークが書類を広げた。


「先週の交易量と今月の見込みを照合して、差分を出してくれ」


「承知しました」


 バルドは次の書類を読んだ。


 ゴロゴロゴロゴロ。


 振動が来た。集中できないかというと、そんなことはなかった。むしろ、なぜか落ち着いていた。


「アルト伯爵、今日の昼は何を作るつもりだ」


「冷やし出汁鍋です」アルトが台所から顔を出した。


「暑い日や食欲がないときに、さっと食べられるものを考えていまして」


「冷やし鍋か。珍しいな」


「特製の出汁を冷たくして、薄切りの肉と夏野菜をくぐらせます。ドラゴンさんに冷気を当ててもらうと、肉の旨味が閉じ込められて」


「美味そうだな」


「あとでどうぞ」


 バルドは書類に戻った。今日も仕事が捗りそうだった。



 昼に、アルトが鍋を出した。


 透き通った出汁が張ってあった。ドラゴンの冷気を当てて、キリッと冷えていた。


 薄切りの肉をくぐらせた。さっとくぐらせると、ドラゴンの冷気ですぐに締まった。


「召し上がってください」


 バルドが一口食べた。


 冷たかった。出汁の旨味が、冷たさの中でよく分かった。肉がしっとりしていた。夏野菜がシャキシャキしていた。


「……なるほど」


「どうですか」


「冷やすことで旨味が引き締まるのか」


「ドラゴンさんのおかげで一瞬で締まりますので、素材の味がそのまま残ります」


 ドラゴンが鼻息を鳴らした。フシュー。誇らしげだった。



 午後の途中で、庭に馬の足音がした。複数頭だった。


 アルトが窓から見ると、防寒外套を着込んだ人間たちが、境界線を越えてくるところだった。先頭の人間が、吹雪から出た瞬間に止まった。


 外套を押さえていた手が、下りた。


 空を見上げ芝草を見た。


「……春、だと」


 先頭の人間が、震える声で言った。


「副長官が来たか」


 バルドがデッキから言った。先頭の人間がバルドを見た。


「ちょ、長官……!」


 デッキに座って、冷やし鍋を食べているバルドを見た。


 膝にミィちゃん、足元に小型ドラゴンがいて、庭では精鋭たちが猫と遊んでいた。


「長官、これは一体」ヴァルテが歩いてきた。


「お体は、心は、ご無事でしょうか」


「至極元気だ」


「しかし報告書に王都執務室の移転などと」


「現場検証の結果だ。ちょうどいい、副長官もここで確認しろ」

 バルドは冷やし鍋の器を持ち上げた。


「来い。まず食べろ」


「食事より状況の確認が」


「食べながらでも確認できる」


 アルトが出てきた。


「遠いところをご苦労様です」アルトが言った。


「お腹が減っていませんか。冷やし鍋がありますよ」


「あ、いえ、私は任務中ですので」ヴァルテが言った。


「それより長官に申し上げたいことが」


「お腹を空かせた状態では申し上げにくいですよ」


「減っていないわけでは」


「どうぞ、デッキへ」


 ヴァルテは連れてこられ、冷やし鍋の器を渡された。それは薄切り肉と夏野菜が入っていた。


「一口だけ」ヴァルテは言った。


「任務中なので」


 一口食べて止まった。冷たかった。出汁の旨味が来た。肉がしっとりしていた。野菜のシャキシャキ感があった。もう一口食べた。


「……美味い」


「どうですか」アルトが聞いた。


「美味い、ですが」ヴァルテは器を見た。


「私は任務で来ていますので」


「胃の調子はどうですか」


「……それが、王都ではずっと痛くて、胃薬を手放せない状態で」


「もう少し食べてください」


 ヴァルテは食べ続けた。


 半分食べたところで、何かに気づいた。


「胃が」ヴァルテが言った。


「はい」


「胃が、痛くない」


「そうですか」


「長年ずっと痛かったのに」ヴァルテの声が変わった。


「この体の軽さは何だ。なぜここにいるだけで」


「猫たちのゴロゴロ音が効くのかもしれませんね」アルトが言った。


 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。


 ミィちゃんがヴァルテの足元に来ていた。


 頬を押しつけてきた。


「……」


 ヴァルテの目が、少し潤んだ。


 キースが手帳を出した。


「副長官の精神弛緩および完全投降を記録します」


「投降などしていない」ヴァルテが言った。


「私は副長官として」


「完全投降です」キースが言った。


「……まだ任務中だ」


 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。


 ヴァルテは黙って冷やし鍋の残りを食べた。


 夕方になった。バルドがデッキからヴァルテを見た。ヴァルテが精鋭たちと一緒に、猫のブラッシングを手伝っていた。任務の鞄はデッキに置かれていた。


「どうだ、副長官」バルドが言った。


「執務効率が上がる理由が分かったか」


 ヴァルテが振り返った。


「……はい」ヴァルテが言った。


「分かりました」


「そうか」


「長官、一つ提案があります」


「聞こう」


「王都の本部機能の七割を、こちらに移転することを提案します」バルドを見た。


「七割あれば、ほとんどの決裁がここからできます」


 バルドは少し間を置いた。


「三割は王都に残せ。形式上は必要だ」


「承知しました。では七割をコールドランドへ」


「そうしよう」


 アルトが出てきた。


「そんなにたくさん移転して、大丈夫ですか」


「問題ありません」ヴァルテが言った。


「王都の業務が」


「問題ありません」


 ヴァルテは迷いなく答えた。自分もここに長くいることになるということは、分かっていた。問題なかった。


 外の吹雪の音が、遠くにあった。


 コテージの庭では、猫たちとバルドとヴァルテと精鋭たちが、それぞれの場所に落ち着いていた。ミィちゃんがバルドの膝に乗った。


 ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。


「今日も平和ですね」アルトが言った。


「そうだな」バルドが言った。


「そうですね」ヴァルテが言った。


 コールドランドの春は、今日も続いていた。

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