第44話:長官の出張執務
朝、コタツの前にバルドの書類が積んであった。
昨夜、王都から転送されてきたものだった。副長官が魔導通信で送ってきた。量が多かった。
バルドはコタツに入りながら書類を読んだ。
膝の上にミィちゃんがいた。
ゴロゴロゴロゴロ。
「少し動かないでくれ」バルドが言った。
「書類が読みにくい」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
動かなかった。
バルドは書類を高い位置で持って読んだ。
書いた。署名した。次の書類を読んだ。
「長官、お茶が入りましたよ」アルトが持ってきた。
「ありがとう」
「書類は多いですか」
「いつも通りだ。場所が変わっても仕事は変わらない」
「そうですか」アルトはコタツの横に座った。
「ミィちゃんは邪魔じゃないですか」
「邪魔だ」
「どかしましょうか」
「このままでいい」
アルトは何も言わなかった。
バルドはお茶を一口飲んで、次の書類を読んだ。
ゴロゴロゴロゴロ。
熱が脈打っていた。
庭から甘い匂いが来たのは、昼前だった。
書類を読んでいたバルドの手が、一瞬止まった。香ばしくて、甘かった。焦げた砂糖のような匂いだった。
「何の匂いだ」
「焼き芋です」ルークが言った。
書類を整理しながら答えた。
「王都からの荷に入っていたお芋を、ガインさんが七輪でじっくり焼いてくれています」
「七輪で焼くと変わるのか」
「ゆっくり加熱すると甘みが出るそうです」
バルドは書類に目を戻した。
集中しようとしたが、匂いが続いて甘さが増していた。
「……まだかかるのか」
「あと少しだそうです」
バルドは書類を一枚読んで、署名した。
また読んで、署名した。
ガインがコテージに入ってきた。手拭いの上に、黒っぽくなった芋が乗っていた。
「焼けた」ガインが言った。
「端から食べてみろ、熱いが」
アルトが一本受け取って、皮を少し剥いた。
中から湯気が出た。黄色かった。
「バルドさんもどうぞ」
バルドは書類を持ったまま、芋を受け取った。
一口かじった。
熱かったが、ほくほくとした食感だった。甘みが、ゆっくりと広がった。砂糖を使っていないのに、これほどの甘さが出るのか、とバルドは思った。
もう一口かじった。
「……美味いな」
「コタツアイスの後に温かいものを食べると、また美味しいですよ」アルトが言った。
「冷えたところに温かいものか」
「そうです」
バルドは焼き芋を食べ続けた。
ミィちゃんが鼻を動かした。甘い匂いが気になったらしかった。バルドの手元に顔を近づけてきた。
「これは猫には甘すぎるぞ」
ゴロゴロゴロゴロ。
「匂いだけか」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「そうか」
バルドは焼き芋の残りを食べた。
胃が、温かかった。
コタツアイスで冷えていたところに、焼き芋の甘さが入ってきて、体全体に広がっていくような感覚だった。
「……人生で一番、胃の調子が良い気がする」
「そうですか」アルトが言った。
「よかったです」
「なぜここではこんなに」
「分かりません」アルトは首を傾けた。
「猫たちといると、なんとなく元気になりますよね」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「そうかもしれんな」
午後になって、通信石が光った。
副長官からだった。
バルドは焼き芋の二本目を食べながら受け取った。
「長官、ご報告があります」
「何だ」
「王都で、長官が北の極寒地で捕虜にされたのではないかとの噂が立っています。貴族の一部が騒ぎ始めて」
バルドは芋を一口かじった。
「阿呆か」
「ですから私も否定しているのですが、根拠を示せと言われて」
「私は今、聖域の内部熱源高効率還元システムの最終実証を行っている最中だ。捕虜ではない」
「内部熱源……高効率還元システム、ですか」
「そうだ。詳細は後で報告書にまとめる」
ルークが横から口を開いた。
「要するに、七輪で焼いたお芋を食べてお腹を温めております」
バルドが視線を向けた。
「余計な補足をするな」
「すみません」
「副長官、聞いたか」
「は、はい……お芋を」
「聞いていない。内部熱源高効率還元システムの実証だ。来週まで滞在を延長する。貴族院には私が直接説明する」
「承知しました。それと長官、背後から猫の声が」
「気のせいだ」
ゴロゴロゴロゴロ。
「かなり明確に聞こえているのですが」
「視察地の環境音だ。以上だ」
通信が切れた。キースが手帳を開いた。
「長官の報告書の文章を記録しています。内部熱源高効率還元システムというのは」
「焼き芋のことだ」バルドが言った。
「それを報告書にまとめるとおっしゃいましたが」
「まとめる。正確な表現だ」
「そうですか」
キースは何も書かなかった。
夕方になった。
庭では精鋭たちが猫のブラッシングを手伝っていた。セルジュが一匹、縞猫を膝に乗せて丁寧に櫛を入れていた。他の精鋭たちも思い思いの猫を担当していた。
「任務外の作業をしているぞ」バルドがデッキから言った。
「視察地の環境維持です」セルジュが答えた。
「長官の言葉です」
「私はそんなことを言っていない」
「おっしゃいました。昨日の朝、コタツに入りながら」
「……言ったかもしれん」
ゴロゴロゴロゴロ。
ミィちゃんがデッキでバルドの隣に来た。
バルドは焼き芋の最後の一切れを食べ終えた。
「アルト伯爵」バルドが言った。
「はい」
「長官としての決断だ」
「何でしょう」
「来週も滞在を延長する」
アルトは少し考えた。
「書類は大丈夫ですか」
「通信で対応できる」
「部屋は狭いですが」
「コタツがあれば十分だ」
「そうですか」アルトは頷いた。
「じゃあお布団を一枚増やしますね」
「頼む」
外の吹雪の音が続いていた。
庭では精鋭たちが猫と過ごしていた。
コタツの中は温かかった。
ミィちゃんがバルドの膝に乗った。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「……長官の定位置が、ここになりつつあるな」バルドは独り言のように言った。
誰も否定しなかった。
コールドランドの夕方は、今日も穏やかだった。
王都の執務室では、副長官が窓の外を見ていた。
北の方角を見ていた。
「長官は今頃、極寒の地で過酷な実証実験を……」
目が潤んでいた。
「長官の犠牲の上に、今日の王都の平和が」
扉が開いた。
「副長官、バルド長官から通信が来ています」
「繋げ」
バルドの声が出た。
「副長官か。北部の水路整備の件だが、先週の提案で問題ない。承認しろ」
「承知しました。長官、お体は」
「問題ない」
「任務は過酷ではないですか」
「今日は焼き芋を二本食べた」
「……は」
「以上だ」
通信が切れた。副長官はしばらく通信石を見ていた。
「焼き芋を……二本」
理解できなかった。
しかし長官の声は元気だった。
むしろ王都にいるときより、どこか穏やかだった。
「……極限状態での精神防衛機制か」副長官は窓の外を見た。
「さすが長官だ。どんな状況でも冷静を保っている」
感動して、目が潤んだ。




