第42話:王都への手土産
目が覚めると、空が青かった。
セルジュはしばらくそのまま芝草の上に寝転がっていた。
体が軽かった。王都を出発してから、ずっと肩が張っていた。吹雪の中を進んで、荷を守って、ドラゴンに冷気を吹きかけられて、かき氷を食べて、猫に膝に乗られて。
気づいたら眠っていた。
「よくお休みになれましたか」
アルトの声がした。
セルジュは上体を起こした。
アルトがデッキに座っていた。お茶を持っていた。ミィちゃんが膝の上にいた。
「……不覚を取りました」セルジュは言った。
「任務中だというのに」
「でも顔色が良くなりましたよ」
セルジュは周りを見た。
精鋭たちが思い思いの場所で起き上がっていた。全員の顔から険が抜けていた。肌のツヤが、王都を出発したときより明らかに良かった。
一人が伸びをした。
「天国だった……」
「任務中だったと言いなさい」
「天国でした」
セルジュは立ち上がった。服についた草を払った。
「王都に戻らなければなりません。荷の確認を」
「その前にお茶だけでも」アルトが言った。
「……いただきます」
出発の準備をしていると、アルトが箱を持ってきた。
魔導保冷の術式が刻まれていた。白い霧が隙間から漏れていた。
「遠くから蜜を届けてくれたお礼です。バルド長官へのお土産をお願いできますか」
「何が入っていますか」
「木の実の葛押しと、冷やしスープです。ドラゴンに冷気をかけてもらったので、王都に着くまで冷たいままのはずですよ」
ドラゴンが横に来ていた。
「フシュー」
鼻息を吐いた。冷気が白く揺れた。
「精鋭たち」セルジュが言った。
「はい」
「この箱を長官に届けるのも任務だ」
「承知しました」
全員がゴクリと喉を鳴らした。
「今のは何の音ですか」
「気のせいです」
「そうですか」
セルジュは箱を受け取った。
アルトに一礼した。
「責任を持ってお届けします」
「バルドさんによろしくお伝えください」
「はい」
セルジュは馬に乗った。
境界線を越えた瞬間、吹雪が戻ってきた。
精鋭たちが外套を引き寄せた。
「寒いですね」一人が言った。
「戻ってきました」別の一人が言った。
「また行けますかね、聖域に」
「任務があれば」セルジュが言った。
「任務が増えればいいですね」
「不謹慎です」
「増えればいいですね」
セルジュは答えなかった。
王都の執務室で、バルドが書類を読んでいた。扉が叩かれた。
「セルジュ卿が帰還しました」
「通せ」
セルジュが入ってきた。
バルドは顔を見た。
「……随分と良い顔で帰ってきたな」
「命がけの任務でした」
「そうは見えないが」
「至福の、とは言っていません。命がけの任務でした」
「そうか」バルドは書類に戻った。
「報告を」
「聖域にて全フレーバーのかき氷の試運転を完了しました。貢ぎ物の蜜は全て消費されました」
「お前たちが食べたのか」
「試運転に参加しました」
「任務中に」
「試運転への参加は断れない状況でした」
バルドはペンを置いた。
「それと、アルト伯爵から長官へ手土産を預かっております」
セルジュが箱を差し出した。
白い霧が漏れていた。
バルドは受け取った。
重くなかった。冷たかった。箱の表面が、指先にひんやりと伝わってきた。
「これは」
「ドラゴンの冷気で冷やした特製のおやつだそうです。王都に着くまで冷たいままとのことで」
「ドラゴンの冷気」バルドは箱を見た。
「分子運動を停止させた、極低温凍結品か」
「そのようなものかと」
バルドは蓋を開けた。白い霧が上がった。中に、小さく切り分けられたぷるぷるした塊が並んでいた。半透明で、中に赤い木の実が透けていた。
副長官が飛んできた。
「長官、毒や精神攻撃の恐れが。まず鑑定を」
「黙れ」
バルドは一切れ取り、口に入れた。
ぷるん、とした。
冷たかった。芯まで冷えていた。木の実の甘みが、冷たさと一緒にじわっと広がった。
止まった。もう一切れ食べた。
「……美味い」
「長官」
「黙れと言った。美味いものは美味いのだ」
副長官が引いた。
バルドはお皿を手に持ったまま、窓の外を見た。王都の空が、初夏に向かっていた。じわじわと暑くなり始めていた。
胃が、ずっと痛かった。
コールドランドのことを考えるたびに痛んだ。聖域が何を企んでいるのかを考えるたびに痛んだ。
今は、少しだけ和らいでいた。
「副長官」
「はい」
「来週の視察日程を全て空けろ」
副長官が止まった。
「……全て、ですか」
「全てだ」
「何かご予定が」
「コールドランドへ行く」
執務室が静かになった。
「長官ご自身が聖域へ」
「現場の状況を直接確認せねばならん」
バルドはおやつの最後の一切れを食べた。
「聖域の実態把握は、長官が行うべき重要な任務だ」
「……先日、かき氷を全種類食べてきた精鋭部隊に代わりに確認させることも」
「私が行く」
「承知しました」副長官は一礼した。
「準備を整えます」
副長官が退出した。
バルドは空の皿を見た。
「……コタツアイスとやらも、試してみるか」
独り言だった。誰も聞いていなかった。
コールドランドのコテージでは、アルトデッキ側に座っていた。ミィちゃんが膝にいた。ドラゴンが足元で丸くなっていた。
「次は何を作りましょうか」アルトが言った。
「蜜をまだ余分に持って来てくれましたし、また作れますよ」
ゴロゴロゴロゴロ。
ゴロロロ。
「バルドさんも気に入ってくれるといいですね」
外の吹雪の音が、遠くに続いていた。
コテージの庭は、今日も春だった。




