第37話:小さな(大きな)庭番
朝、デッキに出ると、ドラゴンが猫たちの間に収まっていた。
大型犬くらいのサイズだった。
縮んだドラゴンは、見た目が変わった。
鱗の深い藍色は同じだったが、輪郭が丸くなった。翼が小さく畳まれていた。目が大きく見えた。
猫たちと並んで日向ぼっこをしていた。
「今日も仲良しですね」アルトが言った。
ドラゴンが目を開けた。鼻息を鳴らした。フシュー。
「そうですか」
ゴロゴロゴロゴロ。
猫の方が答えた。
昼前から、風が変わった。
聖域の結界が雪を止めていても、風の圧力と冷気は通り抜けることがあった。
コールドランドの季節の変わり目の風だった。細くて鋭くて、刺すように冷たかった。
庭を横切った。
日向ぼっこをしていた猫たちが、体を丸めた。耳を伏せた。身を寄せ合った。
ミィちゃんがアルトの足元に来た。
ゴロゴロゴロゴロ。
「寒いですね」アルトが言った。
「風よけの板を立てましょうか」
板を探しに行こうとしたとき、デッキで音がした。
振り返ると、ドラゴンがアルトを見ていた。
大型犬サイズのドラゴンが、アルトの顔をじっと見ていた。
それから庭の端に走った。
風上の方向だった。
走りながら、大きくなった。
三歩で馬の大きさになった。五歩でコテージの屋根を超えた。七歩で本来の姿に戻った。
庭の端に立った。
翼を広げた。
バサッ、という音がした。
大きな翼が、コテージ全体を覆った。
風が完全に止まった。
庭に静けさが戻った。それだけでなく、翼の下が温かくなった。ドラゴンが微かに魔力を通しているらしかった。翼の内側が、じんわりと熱を持っていた。
庭全体が、特設の温室になった。
「おお」ガインが出てきて言った。「丁度いい壁になったな」
猫たちが翼の下に集まった。ドラゴンの足元に、黒いの、縞のの、白いのが集まって、また日向ぼっこを始めた。
ミィちゃんがドラゴンの前足の横で丸くなった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「助かりますね」アルトが言った。
ドラゴンは翼を広げたまま動かなかった。じっと立っていた。
ルークの通信石が光ったのは、昼過ぎだった。
バルドからだった。
「北の観測所で異常な魔力風が感知された。聖域に被害はないか」
「問題ありません」ルークが言った。
「詳細を」
ルークはドラゴンを見た。翼を広げて立っていた。猫たちが足元で眠っていた。
「現在、当コテージではドラゴンを絶対防衛型広域障壁として配置完了いたしました」ルークは事務的な声で言った。「外部からのあらゆる物理的および魔力的衝撃を完全に遮断しております」
間があった。
「絶対防衛型広域障壁」バルドが繰り返した。
「はい。ドラゴンの巨大な翼と体躯により、広域の衝撃波および冷気をミリ単位で完全相殺しております」
「……あのドラゴンを、盾にしたというのか」
「そのような運用です」
また間があった。今度は長かった。
「分かった。報告ご苦労だった」
通信が切れた。
キースが手帳に書いていた。
「ルーク殿、今日は何と伝えたんですか」
「事実だけです」
「絶対防衛型広域障壁とは」
「防風壁のことです。広域をカバーし、完全に遮断しています。事実です」
「そうですが」
「解釈は長官にお任せしています」
アルトはお茶を持ってデッキに出た。縁側に座って、庭を見た。
猫たちがドラゴンの翼の下で眠っていた。温かそうだった。
風が収まったのは夕方だった。
庭の木が揺れなくなった。外の吹雪の音が遠くなった。
ドラゴンが翼をゆっくりと畳んだ。
巨体のまま、アルトの方を見た。
「お疲れ様でした」アルトが言った。「温かいものを作りますね」
台所で魚を焼いた。塩を振って、ガインの七輪でじっくり焼いた。皮がパリッとした。
ドラゴンに差し出した。
大きな口が開いた。
一口だった。
「ゴロロロ」
地響きにしては小さい音だった。
「美味しかったですか」
「ゴロロロロ」
「よかった」
ドラゴンが体を縮め始めた。
大きくなるときとは逆に、シュルシュルと縮んだ。三歩分の高さが二歩になり、一歩になり、大型犬のサイズに戻った。
翼が小さく畳まれた。
目が大きく見えた。
「可愛いですね、小さくなると」アルトが言った。
ドラゴンがアルトの手に頭を押しつけた。
撫でた。
鱗が、ブラッシングの後は滑らかだった。
「抱っこしていいですか」
ドラゴンが体を低くした。
アルトが抱き上げた。
重かったが、抱けた。
「ミィちゃんより重いですね」
ゴロロロ。
ミィちゃんが足元を通った。
止まった。
ドラゴンを見上げた。
前足を上げた。
ドラゴンの頭を、ポンポンと叩いた。
それだけだった。
また歩き出した。
「よくやったと言ってますよ、きっと」アルトが言った。
ドラゴンが鼻息を鳴らした。フシュー。
嬉しそうだった。
王都では、夕方に緊急の報告が回っていた。
「聖域がドラゴンの翼で絶対防空圏を構築した。外部からの魔力攻撃を全て無効化できる広域結界を完成させたと、ルーク商会から報告があった」
バルドが報告書を受け取った。
副長官が続けた。
「ただ、観測所からの報告では、冷風が止んだ後、聖域からは猫の鳴き声と、小規模の地響きが確認されているだけです。被害の形跡はありません」
「猫の鳴き声と地響き」
「はい。それだけです」
バルドは報告書を置いた。
「直ちに防壁補強用の高級部材を手配しろ。貢ぎ物に追加だ」
「承知しました。それと、長官」
「何だ」
「冷風を防いでくれたおかげで、聖域の皆様は快適にお過ごしのようですが」
バルドは窓の外を見た。
王都の空は夕方の色だった。
「相手は国家を吹き飛ばせる防風壁を、昼寝の風よけに使っているんだぞ」バルドが言った。
「それで機嫌が良ければいい。それだけだ」
「それだけでいいんですか」
「それだけでいい」バルドは椅子に座った。
「胃が痛い」
コールドランドの夕暮れは静かだった。
デッキに、アルトとドラゴンとミィちゃんが並んでいた。
ドラゴンが小さな体でアルトの膝に頭を乗せていた。ミィちゃんが膝の反対側に乗っていた。
両側から重みがかかっていた。
「今日も平和でしたね」アルトが言った。
ゴロゴロゴロゴロ。
ゴロロロ。
二種類の音が重なった。
コールドランドの夕空が、橙色に染まっていた。




