第32話:王都の会議
朝、目が覚めたらコタツが軽かった。
アルトは布団をめくったが、ミィちゃんがいなかった。起き上がって窓を見ると庭に、白い球体があった。
コテージの外――聖域の芝生の上で、ミィちゃんがゴロゴロと転がっていた。
黒、白、縞、茶色いのたちも出ていた。思い思いに青々とした草の上で伸びをしたり、仰向けになって短い足をパタパタさせていた。
聖域のポカポカとした陽気と、柔らかな風。
外の境目では相変わらず凄まじい吹雪が吹き荒れているが、庭の中だけは変わらず温かい天国だった。
「……外の方が、猫たちと遊べるな」ガインがぼやいた。
ガインがコタツから出た。
それを見てキースが出て、バルカンが出た。ルークが最後に出た。
「……一度、お布団をお洗濯して大掃除しましょうか」アルトが言った。
誰も反論しなかった。
コタツ布団が畳まれ、居間が広くなった。 みんなで庭へ出ると、猫たちが足元にすり寄ってきた。
アルトが庭の隅の、ポカポカとした土を指さした。
「聖域の温かさのおかげで、年中採れる特製の山菜がまた芽を出していますね。今日はこれで天ぷらにしましょうか」
「天ぷら……」ガインが喉を鳴らした。
「コタツがなくても、庭で食べる天ぷらは美味そうだな」
外の吹雪の音が遠く聞こえる中で、全員が芝生の上に座り込み、猫たちを撫でながらお昼の準備を始めたのだった。
同じ頃、王都の最高安全保障会議が開かれていた。バルドが上座に座っていた。
学者が書類を持って立っていた。
「長官。先日ルーク商会から届いた報告書を、我々なりに分析しました」
「何と書いてあった」
「コタツ内冷戦状態、温波と寒波の同時干渉による精神の完全気化、とあります」
「それで」
「聖域の者たちは、熱波と極冷気を同時に制御する気候改変魔法を完成させたと考えられます」
学者は声を落とした。
「一歩間違えれば、王国全域が永久氷河期に包まれます。いや、世界規模の気候変動が」
バルドは黙っていた。
「どう対処すべきかと」バルドは少し考えた。
「機嫌を損ねるな」
「は」
「それだけだ。春の高級油と岩塩を大至急用意しろ。貢ぎ物として北へ運べ」
「それだけでよろしいんですか」
「よろしい」バルドは立ち上がった。
「聖域の者たちは、不満があれば何かしら言ってくる。何も言ってこないということは、今は機嫌がいい。機嫌がいいうちに、油と塩を送って機嫌を保て。それだけだ」
「承知しました」
学者が退出した。副長官が小声で聞いた。
「長官は、聖域が本当に気候改変魔法を持っていると思いますか」
バルドはしばらく黙った。
「持っていても、持っていなくても、どちらでも同じだ」
「どういう意味ですか」
「あそこの猫が本気を出せば、持っているかどうかに関係なく、結果は同じになる」
副長官は黙った。
「油と塩を送れ」バルドが言った。
「急ぎで」
コールドランドに油と岩塩が届いたのは、その日の夕方だった。
アルトは荷を開けて、目が輝いた。
「ちょうど天ぷら用の油が欲しかったんです」
縁側に揚げ物鍋をセットした。
採ってきた山菜に衣をつけ、小麦粉を水で溶いた。冷たい水を使い、混ぜすぎなかった。油が温まった。
ふきのとうを沈めた。
パチパチパチ、と音がした。春の空気に、香ばしい油の匂いが広がった。
「いい匂いですね」
ルークがデッキに座りながら言った。
「もう少しで揚がります」
ふきのとうが浮いてきた。衣が固まったので引き上げて、岩塩を少し振った。
デッキに腰掛けた全員に配った。
かじった。
サクッ。
音がした。
苦みが来た。春の苦みだった。それから甘みが後から来た。衣の香ばしさが全部をまとめた。
「サクサクだ」ガインが言った。
「春の苦みが身体の毒素を追い出していくようだ」
「詩人みたいなことを言いますね」ルークが言った。
「本当のことを言っただけだ」
キースが天ぷらを食べながら手帳に何か書いた。
「コタツなしでも精神の弛緩現象が継続しています。春の気候と揚げたての衣の組み合わせによる多幸感、数値化困難」
「数値化しなくていいです」アルトが言った。
タラの芽の天ぷらも揚がった。こちらは苦みが少なくて、芽の旨味が前に出た。つくしは衣が薄くても十分だった。
デッキに春の風が吹いた。
ミィちゃんが天ぷらの匂いにつられてアルトの膝に来た。
「熱いから食べられないぞ」
ゴロゴロゴロゴロ。
「匂いだけか」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「まあ、一緒に食べているみたいなものですね」
通信石が光ったのは、デッキでお茶を飲んでいるときだった。
バルドだった。
「アルト伯爵、聞こえるか」
「聞こえますよ」
「貢ぎ物は届いたか」
「油と塩ですね。ありがとうございます。ちょうどよかったです」
「ちょうどよかった、か」バルドの声が少し安堵した。
「気候改変の件は、王国として全面的に受諾する。今後も何か必要なものがあれば言ってくれ。優先して手配する」
「気候改変?」
「届いた報告書に記載があった。温波と寒波の同時干渉、とあったが」
アルトは少し考えた。
「コタツの中でアイスを食べていた話だと思いますが」
間があった。
「コタツの中で、アイスを」
「ええ。腰から下が温かくて、口の中が冷たくて、最高でした」
また間があった。今度は長かった。
「気候改変兵器では、なかったのか」
「天ぷらしか揚げていませんよ、今日は」
アルトはデッキを見た。
「届いた油でふきのとうとタラの芽とつくしを揚げました。サクサクで美味しかったです。春の山菜って最高ですね」
「……天ぷら」
「バルドさんも春になったらぜひ。採れたての山菜で揚げると全然違いますよ」
しばらく沈黙があった。
「またしてもアルト伯爵の深謀遠慮に惑わされたか」
バルドが小さく言った。
「何か言いましたか」
「何でもない。以上だ」
通信が切れた。
ルークが冷めたお茶を飲みながら言った。
「長官、何か勘違いをしたようですね」
「何を勘違いしたんですかね」
「聞かない方がいいと思います」
アルトはデッキに足を伸ばした。
春の日差しが温かかった。
ミィちゃんが膝の上で丸くなった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
庭では他の猫たちが草の上に溶けていた。
天ぷらの匂いが春風に乗ってどこかへ流れていった。
コールドランドの春の昼下がりは、穏やかに続いた。




