第23話:辺境の特産品
エリナたちが帰る朝、アルトは倉庫を開けた。
「これ、持っていってください」
木箱が二つあった。冬毛の毛玉が詰まっていた。
エリナが箱を覗き込んだ。
「よろしいんですか」
「置いておいても場所を取るので」アルトは頭を掻いた。
「王都の炉に使えるなら、その方がいいですし」
「……ありがとうございます」
エリナは箱を受け取った。侍女が馬車に載せた。もう一つ、アルトが紙を差し出した。
「夏みかんゼリーのレシピです。よかったら」
「これも」
「猫たちが喜ぶので、王都でも作れたらと思って。固める粉はルークさんに聞けば手に入るそうです」
エリナは紙を受け取った。
丁寧な字で、材料と手順が書いてあった。最後に「猫には小さく切って骨がないことを確認してから」と注意書きがあった。
「辺境伯のくせに」バルドが小声で言った。
「何か言いましたか」エリナが聞いた。
「何でもありません」
馬車が動き出した。エリナは窓から振り返った。
コテージの前に、アルトが立っていた。その足元に白い球体があった。短い足をぱたぱたさせていた。
ゴロゴロゴロゴロ。
「また来てもいいですか」エリナが窓から叫んだ。
「どうぞ」アルトが手を振った。
「次は燻製も作っておきます」
馬車が南へ向かった。
バルドは座席に深く沈みながら、天井を見た。
「長官」エリナが言った。
「王都に戻ったら、貴族院に報告しなければなりません」
「何と報告しますか」
「コールドランドは我が国の危機を救った聖域であり、アルト辺境伯は無二の恩人である、と」
「それは本当のことですが」
「本当のことです」エリナは膝の上で手を組んだ。
「それ以外のことは、報告しなくて構いません」
「猫の抜け毛で魔導炉を救ったことは」
「言わなくて構いません」
「王都最強の魔導士が猫用掃除機を作っていることは」
「言わなくて構いません」
「皇女殿下が白い液体に指を突っ込んで現実逃避していたことは」
「絶対に言わなくて構いません」
バルドは目を閉じた。
「承知しました」
王都に戻ったエリナは、貴族院の大広間で正式に宣言した。
「コールドランドは王国の聖域である。アルト・ド・ファルク辺境伯は、この冬の危機において王都を救った。辺境伯領への不干渉を、改めて王家として確約する」
大広間が静まり返った。
貴族たちが顔を見合わせた。
「皇女殿下」一人が立ち上がった。
「コールドランドとは、かつて不毛の荒れ地であった、あの」
「そうです」
「それが今や常春の楽園で、王都の魔導炉を救う熱源を持つ土地に」
「そうです」
「辺境伯のコテージでは、どのような技術が」
エリナは少し考えた。
「猫を大切にしています」
広間がざわめいた。
「猫、でございますか」
「猫です」エリナは真顔で言った。
「それ以上はお答えできません。聖域ですので」
広間のざわめきが大きくなった。
翌日から、王都の貴族たちのあいだに噂が広がった。
コールドランドには未知の超技術がある。辺境伯のコテージで使われている日用品は、王都最高峰の魔導技術を超えているらしい。あの外套は一着あれば極寒の夜会でもドレス一枚で過ごせる。あの塩は王都の最高級品の比ではない。あのパンは一口で脳が溶ける。
そして核心は誰も知らなかった。
猫の抜け毛だということを。
コールドランドのコテージでは、ルークが書類を広げていた。
目が、いつもと違った。
商人として十年以上やってきた。利益の嗅覚には自信があった。しかし今日の書類を前にして、その嗅覚が限界を超えていた。
「アルトさん」
「はい」
「王都の特権階級から注文が殺到しています」
「何の注文ですか」
「外套です」ルークは書類を持ち上げた。
「冬毛で作った、あの外套。一着あれば真冬の夜会でもドレス一枚で過ごせると、貴婦人たちが発狂していまして」
「それはよかった」
「言い値で買うと。七家から同時に連絡が来ています。最高額の提示がこちらです」
数字を見せた。
アルトは首を傾けた。
「これ、一着の値段ですか」
「そうです」
「随分高いですね」
「国家予算の」ルークは深呼吸をした。
「一割に相当します」
アルトは少し考えた。
「でも、あれはただの換毛期の抜け毛を集めて紡いだだけで。余っているから、欲しがっている人に分けてあげてもいいですよ」
ルークは書類を置いた。
「アルトさん」
「はい」
「国家予算の一割を、余り物だから分ける、と言わないでください」
「余ってますよ、実際」
「余っていても」
「倉庫がまたいっぱいになってきてますし」
「アルトさん」
「はい」
「お願いですから、値段のことは私に任せてください」
アルトは素直に頷いた。
「じゃあルークさんにお任せします」
ルークは書類に何か書き始めた。ペンを持つ手が少し震えていた。震えているのは興奮なのか疲労なのか、自分でも分からなかった。
問題は生産量だった。
ブラッシングで出る毛は毎日ある。ガインが紡いで、アルトが仕立てる。しかしそれだけでは追いつかなかった。注文の数が多すぎた。
ガインが腕を組んだ。
「人手が要るな。紡ぎと仕立てができる職人が」
「心当たりはありますか」アルトが聞いた。
「一人おる」ガインは少し間を置いた。
「コールドランドの奥地に、昔からいる奴じゃが」
「どんな人ですか」
「ドワーフの織物師じゃ。繊維の扱いなら、わし以上かもしれん」ガインは渋い顔をした。
「ただ」
「ただ?」
「人間嫌いでな。どれだけ金を積んでも動かん。わしが声をかけても無視された。頑固というか、偏屈というか」
「困りましたね」アルトは考えた。
「あの、冬毛のブラッシングを体験したら、手伝ってくれませんか」
ガインが止まった。
キースが眼鏡を押し上げた。
「理論上」キースが言った。
「あの繊維の触感と魔導共鳴を前にして、職人が正気を保てる確率はゼロパーセントです」
「そんなに低いですか」
「繊維の職人であれば、なおさらです。あの素材を触った瞬間に、全ての抵抗が消えます」
ガインは天井を見た。
「……わしが最初にここへ来たとき、スープを一口飲んで終わりじゃったな」
「そうでしたね」
「連れてくれば、同じことになるか」
「なると思います」アルトは特に深く考えた様子もなく言った。
「まず会いに行ってみましょうか」
夜になった。
もみもみベッドの上で、ミィちゃんが転がっていた。
夏みかんゼリーを食べた後、消化しながら丸くなっていた。冬毛が膨らんで、完全な球体に戻っていた。短い足がぱたぱたしていた。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「次の職人さんも、ミィちゃんを気に入ってくれるといいですね」
アルトが言った。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
重低音だった。
キースが手帳に何か書きながら、眼鏡を押し上げた。
「人間嫌いの頑固者が、繊維に命をかけた職人である場合、抵抗の崩壊は平均三十七分と試算されます」
「詳しいですね」
「セルジュ殿が四日、私が一夜でした。食事と温泉と猫の三段階を経た場合の平均値です」
「データを取っていたんですか」
「記録は大切ですので」
ルークが書類を閉じた。
「次の被害者の準備が整いましたね」
「被害者とは」アルトが首を傾けた。
「何でもありません」
窓の外の空に、星が出ていた。
コールドランドの夜は、今日も温かかった。
エピソードタイトルの話数がズレてるとようやく気づきました。




