第21話:国家の危機②
王都の魔法省で、バルドが地図を広げたのは真夜中だった。
「大魔導炉の現状を報告しろ」
炉管理局の局長が、青い顔で答えた。
「現在、出力が通常の四割まで低下しています。このまま大寒波が続けば、三日以内に凍結します」
「凍結した場合は」
「王都の防壁結界が落ちます。暖房魔導網も止まります。冬の王都で、それが何を意味するかは」
「分かっている」バルドは地図を見た。
「魔導炉の熱源補強は」
「手を尽くしましたが、我々の技術では限界です」
沈黙があった。扉が開いた。
エリナ皇女が入ってきた。夜中だというのに、目が冴えていた。手に何かを抱えていた。
白くて、もこもこした外套だった。
「バルド長官」
「殿下。こんな時間に」
「報告は聞きました」
エリナは外套を両手で持った。
「この外套の温度は、三日経っても落ちていません。魔導炉に使用している最高級の魔石より、熱量が高い」
「はい」
「この技術があれば、魔導炉を救えますか」
バルドは少し間を置いた。
「理論上は、可能かもしれません。ただ、この外套の素材も術式も、我々には解析できていません。作り方が分からない以上」
「作った人間に聞けばいい」
エリナは外套を胸に抱いた。
「私がコールドランドへ行きます」
「殿下が直接」
「国を救うためです。アルト辺境伯に直談判します。この技術を、王都のために貸していただけないか」
バルドは止めようとした。
しかし、エリナの目を見た。
止められなかった。
「……護衛を最低五十名はつけてください」
「分かりました」
「防寒装備を最大限に。コールドランドは極寒の」
「分かっています」
「それと殿下」バルドは一瞬だけ止まった。
「着いたら、パンを勧められると思います。断らない方がいい」
エリナは首を傾けた。
「なぜですか」
「食べた方が、後々楽です」
三日後の早朝、エリナたちは王都を出発した。
護衛騎士五十名。魔法省から随行魔導士三名。それから御付きの侍女が二人。全員が最高級の防寒装備を身につけていた。毛皮の外套、魔導式の防寒靴、手袋の上から魔力を通した手甲。
エリナは馬車の中で地図を広げていた。
「コールドランドまで三日。王都の魔導炉が持つのも三日」
侍女が頷いた。
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりです」エリナは窓の外を見た。
「でも間に合います」
馬車が北へ向かった。空が灰色だった。大寒波の風が横から吹きつけた。
エリナは外套を胸に抱いた。温かかった。
「アルト辺境伯。どうか、力を貸してください」
コールドランドのコテージでは、アルトが汗をかいていた。
「暑いですね」
キースが扇を出した。
「もみもみベッドの出力を上げてからです。申し訳ありません」
「猫たちは気持ちよさそうですが」
二人でキャットタワーを見た。全員が液体のように溶けていた。特にミィちゃんが溶けていた。冬毛がふわっと広がって、台の上で完全に平らになっていた。足がどこかにあるはずだったが、見えなかった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「機嫌は最高みたいです」アルトが言った。
「ですね」キースが頷いた。
嬉しそうだった。
ガインが作業場から汗を拭きながら出てきた。
「なあ、最近コテージの周りが妙に暑くないか」
「もみもみベッドの熱が外まで」
「夏みたいなってるぞ」
「少し出力を絞りましょうか」
「絞ってくれ頼む」
アルトは窓を開けた。心地良い風が入ってきた。空が青かった。芝草が青々としていた。遠くのコールドランドは今日も吹雪が見えたが、コテージの周囲だけ別の季節が続いていた。
「こんなに暑いなら、ゼリーでも作りたいですね」
アルトが言った。
「猫たちにも」
「ゼリーですか」
「果物を煮溶かして固めるやつです。冷やして食べると美味しくて。ルークさんが持ってきた夏みかんが余っていて」
「固めるには冷やす必要がありますね」
キースはカチッと眼鏡を押し上げた。
「どのくらいの温度が必要ですか」
「なるべく早く固まると助かります」
「分かりました」
キースが立ち上がった。
「魔法省の術式に、凍土の棺というものがあります」
「物騒な名前ですね」
「本来は敵の大型魔獣を瞬時に凍結する術式ですが」キースは指を鳴らした。
「出力を最小にして対象を鍋だけに限定すれば、ゼリーを三秒で固められます」
「三秒で」
「やってみます」
アルトが夏みかんを絞って、鍋で煮た。固める粉を溶かして、型に流した。
キースが型の前に立った。
眼鏡が光った。
指先に魔力が集まった。
「凍土の棺」
型が、白く凍った。
三秒だった。
アルトが型から出してみると、透き通った橙色のゼリーが出てきた。ぷるぷるしていた。冷たかった。夏みかんの香りがした。
「できましたね」
「当然です」
アルトは小さく切って、猫たちに配った。ミィちゃんが起き上がって、ぷるっとしたゼリーを舌先で舐めた。
止まった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
また溶けた。
「気に入ったみたいです」
「そうですね」キースが頷いた。眼鏡の奥の目が細くなっていた。
ガインが「わしの分は」と言って、アルトが「猫用ですが」と言って、ガインが「一個だけ」と言った。
その頃。
コールドランドの境界線に、馬車の列が止まっていた。
「殿下」
騎士団長が馬から降りてエリナの馬車に近づいた。
「前方に、コールドランドのコテージの境界が」
エリナは馬車から降りた。
防寒外套をしっかりと合わせた。手袋を確認した。侍女が毛皮の帽子を押さえた。
「参ります」
一歩、踏み出した。
「……」
もう一歩、踏み出した。
「……殿下?」
エリナは止まっていた。
「暑い」
「は」
「暑いです」
騎士たちが顔を見合わせた。
エリナは外套を少し開けた。温かい風が吹いていた。南から来るような、柔らかい風だった。空が青かった。芝草が見えた。
コテージのその前の芝草に、白い板があった。板の上に、白い液体のようなものが広がっていた。
「あれは……聖獣様、ですか」
「溶けています」
随行魔導士の一人が言った。
「聖獣が、溶けています」
「溶けている」
「でも生きています。喉が鳴っているので」
ゴロゴロゴロゴロ。
遠くからでも聞こえた。
コテージの脇に、人影があった。涼しそうな白い服を着た若い男が、鍋の前にしゃがんでいた。隣に眼鏡をかけた男が立っていた。
眼鏡が夏の日差しで光っていた。
眼鏡の男が指を鳴らした。
鍋が白く凍った。
三秒だった。
エリナは防寒外套の前を全開にした。汗が出ていた。
「あれが」侍女が囁いた。
「コールドランドですか」
「地図ではそうです」
「南国です」
「そうですね」
コテージの扉が開いた。茶色い髪の青年が出てきた。エリナたちを見た。
「あ、皇女殿下」
穏やかな声だった。手に透き通った橙色のものを持っていた。
「ちょうど冷えたところです。どうぞ」
エリナは防寒外套を着たまま、汗をかきながら、しばらくその場に立っていた。
後ろで護衛騎士の一人が外套を脱ぎ始めた。
「脱ぐな」騎士団長が言った。
「暑いです」
「任務中だ」
「暑いです」
エリナは一歩前に出た。
「アルト辺境伯」
「はい」
「王都が、大変なことになっていまして」
「そうですか」アルトが言った。
「とりあえず中へどうぞ。スープも温めます」
エリナは外套を脱いだ。
後ろで護衛騎士五十名が、一斉に外套を脱いだ。




