第17話:破滅の日
返済期限の当日。
公爵邸の玄関に、馬車が止まった。
カイルが窓から見下ろすと、見覚えのある顔が馬車から降りてきた。
「ルークか」
慌てて玄関に向かった。
エドガーも廊下に出てきた。
ルークは以前と同じ顔をしていた。
穏やかな商人の顔だった。
ただ目だけが、違った。温度がなかった。
「本日が返済期限でしたので、直接伺いました」
「ルーク殿」
カイルは声を落ち着かせようとした。
「少し待ってほしい。王家の特使団が戻れば、状況が変わる。あと少しだけ」
「特使団でしたら、昨日王都に帰還されましたよ」
カイルは止まった。
「帰還した? では、コールドランドの件は」
「私も報告を聞きました」
ルークは懐から書状を取り出した。
「こちらが王家からの公文書です。本日付けで発行されたものを、お持ちしました」
カイルが受け取った。
読んだ。
コールドランド一帯を王国の保護下に置き、アルト・ド・ファルク辺境伯領として正式に認定する。また、同地を不当に追放し危険に晒したエドガー・ド・ファルクおよびカイル・ド・ファルクに対し、爵位の返上と全財産の没収を命ずる。なお執行は本状到達をもって即時とする。
カイルの手が震えた。
「即時……」
「ええ」ルークが言った。
「今この瞬間から、お二人は平民です」
「なぜだ」エドガーが一歩前に出た。
「なぜアルトごときのために、我が公爵家が」
「公爵家は、もう存在しません」
ルークは穏やかな声で言った。
「ただ、一つだけ教えてさしあげましょう」
ルークは邸宅を見渡した。石造りの立派な建物だった。枯れた庭があった。給金を払えず半分になった使用人がいた。
「アルト様がコテージの基礎に置いていた魔石が、四箱ありました」
「魔石が」
「超高純度の魔石です。アルト様は重りだと思って使っていましたが」
ルークは二人を見た。
「あの魔石一粒で、この邸宅が買えます。四箱分で、この公爵領ごと買えます。何度でも」
カイルは動かなかった。
「それを」ルークは続けた。
「猫が拾ってきたものだと、アルト様はおっしゃっていました」
「猫が」
「ええ。猫が拾ってきた石を、アルト様が重りに使っていた。それだけの話です」
エドガーが何か言おうとした。
声が出なかった。
「ルーク商会からの貸付金の件ですが」
ルークは書状をもう一枚取り出した。
「財産没収の執行により、この邸宅と領地が担保として押さえられます。残債は王家の管理下に移ります。つまり、私への御用はもうありません」
一礼した。
「お世話になりました」
踵を返した。
「待て」カイルが声を上げた。
「待ってくれ。私は公爵家の嫡男だぞ。アルトはただの追放者だ。猫しか懐かせられない無能だ。なぜそんな奴が辺境伯になって、なぜ我々が」
ルークは振り返った。
「アルト様は今頃、猫用のおやつを作っておられると思います」
「何」
「魔魚のジャーキーを、猫のために。それだけです。それだけのことをしている人間が、今や王家直属の辺境伯です」
ルークは穏やかに微笑んだ。
「あなた方が笑った石一粒で、この領地が買えたんですよ」
カイルは何も言えなかった。
玄関の扉が開いて、王家の衛兵が入ってきた。
「エドガー・ド・ファルク殿、カイル・ド・ファルク殿。王命により、ご同行願います」
カイルは衛兵を見た。
ルークの背中を見た。
枯れた庭を見た。
「嫌だ」声が裏返った。
「嫌だ、私は公爵家の」
「元、です」衛兵が言った。
カイルは衛兵に腕を掴まれた。エドガーは一言も言わなかった。ただ、最後にもう一度だけ窓の外を見た。
枯れた畑が広がっていた。
灰色の空の下で、風が吹いていた。
一方その頃。
コールドランドのコテージでは、アルトが石窯の前にしゃがんでいた。
魔魚のすり身を薄く伸ばして、低温でゆっくり乾燥させる。途中で魔鉱塩をひとつまみ振って、また乾燥させる。取り出すと、薄くて透き通った琥珀色の板ができた。
指で割ると、パリッと音がした。
「できたな」
ミィちゃんが近づいてきた。
「冷めてから」
ミィ。
「冷めてから、と言った」
ミィちゃんは座って待った。
十分ほどして、アルトは小さく割ってミィちゃんの前に差し出した。
ミィちゃんが一口食べた。
止まった。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
「美味かったか」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。
他の猫たちが集まってきた。
アルトは一匹ずつに小さく割って配った。冬毛でまん丸になった猫たちがジャーキーをパリパリと食べた。コテージの中がゴロゴロ音で満たされた。
ガインが作業台から顔を上げた。
「わしの分は」
「猫用です」
「一枚だけ」
アルトは一枚渡した。ガインがかじった。目が丸くなった。
ルークが書き物をしながら顔を上げた。
「私も」
「猫用ですよ」
「一枚だけ」
コテージの中で、人間と猫が一緒にジャーキーを食べた。
外では温泉の湯気が夕空に溶けていった。芝草の上を、冬毛でまん丸になった猫たちがのんびりと歩いていた。
「今日も平和ですね、ミィちゃん」
ミィちゃんが膝に乗ってきた。
ゴロゴロゴロゴロ。
アルトはブラッシングを始めた。
窓の外の空は、今日も青かった。




