エピローグ 群像、その後
◆リアナとコンラート
銀狼族の屋敷で、二人は八年後に双子を授かった。
銀の毛並みと、人間の栗色の髪が混じった子だった。
リアナは年に一度だけ、人間の国へ手紙を書いた。
宛先は、レオといった。かつて彼女の婚約者だった男だ。
返事は来たり、来なかったりした。
双子の生まれた年、彼から一度だけ、短い手紙が届いた。
『おめでとう。あなたを追いかけなかったことを、私は生涯、悔やみます。
悔やみながら、幸せでいます』
リアナはその手紙を、長いこと膝の上に置いていた。
それから、暖炉にくべた。
泣きはしなかった。ただ、その夜はコンラートの腕を強く握って眠った。
◆マリエルとサラフ
サラフは毎朝、青い花を墓に供え続けた。
結婚しなかった。新しい番も持たなかった。
獅子族の掟では許されないことだったが、彼は王に頭を下げて押し通した。
晩年、彼は獣国の片隅に孤児院を建てた。人間の子も、獣人の子も預かった。
子供たちには毎晩、毛布を二枚かけた。
それが、彼の贖罪だった。
死ぬ年の春、人間の国から一通の手紙が届いた。
マリエルの息子からだった。もう、母の齢を越えていた。
便箋には一行だけ、こう書かれていた。
『母の墓に、花が絶えたことがないと、聞きました』
サラフはその手紙を握ったまま、墓の前で、声を上げて泣いた。
獅子が泣くのを見た村の者は、誰も丘に近づかなかった。
◆テオとニッサ
テオは走らなかった。逃げもしなかった。
ニッサの屋敷で、仕立て屋として名を上げた。
彼の縫う服は、獣人の複雑な体型に完璧に合った。
ある日、彼はニッサに訊いた。
「ぼくは、あなたを愛しているんでしょうか」
ニッサは長いこと考えてから、答えた。
「私には、分からない」
「でも、お前がここにいる」
「それでいい」
テオは頷いた。
その夜、二人は同じ寝台で眠った。
それは愛だったかもしれない。
名前のない何かだったかもしれない。
名前のないものを生涯抱えるということを、二人は選んだ。
◆エドリックとヴォーラ
エドリックは剣を棄て、獣国の片隅で畑を耕した。
ヴォーラは薬草を育てた。
二人は結婚しなかった。ただ、同じ家に住んだ。
彼は亡き妻の命日には、家を空けた。
ヴォーラはその日、彼の好物を用意して待った。
帰ってきた彼に、彼女はいつも同じ言葉をかけた。
「お帰り。長い散歩だったな」
彼は頷いた。
それで、二人の生活は続いた。
◆ミオとレスカン
ミオは書庫の書き手になった。
獣国で唯一の、人間女性の書庫補佐官だった。
彼女の指は、獣国のすべての指文字を流暢に操った。
レスカンは、彼女の書く椅子の隣に自分の机を移した。
百年生きた蛇の獣人が、人間の女の傍らで本を読んだ。
ある日、ミオは紙に書いた。
『私を、お嫁さんにしてください』
レスカンはその紙を額に当てた。
頷くかわりに、彼はその紙を自分の心臓の上にしまった。
それで、答えになった。
◆アイリスとヴェルグリム
二人は北の港町ベルナで暮らした。
アイリスはベルナ市営病院の副院長になり、後年、院長になった。
ヴェルは生涯、雑役夫として勤めた。
その強い手は、何千人という患者の担架を運んだ。
*
獣国から使者が来た日、アイリスは副院長として、病院の応接室で彼を迎えた。
使者は、行方の知れぬ第一王子を捜していた。
アイリスは彼を渡さなかった。
かわりに、机の上に一冊の書物を置いた。
獣人の番の本能について、人間の医師が十五年をかけて書いた、最初の研究書だった。
「番は、運命ではありません」と彼女は言った。
「病です。そして、治療法はあります」
使者は震える手でそれを持ち帰った。
獣国の議会は、その書物を「人間の妄言」として公には退けた。
だが十年のうちに、獣国は人間王国と対等な同盟を結び、番探しの宴は廃された。
廃止の理由を、獣国は最後まで認めなかった。
ただ、獣国の、蛇族の書庫の最奥に、人間の女医の手による研究書が一冊だけ収められている。
題名は、こうである。
『番解きの薬 ── 一方的な愛は愛ではない、という医学的考察』
書名は、長い。
だが、その本の最後の頁には、たった一行、こう書かれている。
『追記。
それでも人は、もう一度、愛することができる。
── アイリス・フォッセル(ロゼ・ファルマン名義)』
*
彼の夜の夢は、年月とともに薄れた。
五十を過ぎたころ、彼はある朝、目を覚まして言った。
「アイリス」
「はい」
「今夜、ぼくは夢を見なかった」
「初めて、誰も傷つけない夢だった」
アイリスはその朝、長い、長い息を吐いた。
それから、彼の頬に口づけをした。
「ヴェルグリム」と、彼女はようやくその名を呼んだ。
ヴェルは首を傾げた。
「変な響きの名だね」と彼は笑った。
「でも、好きだ。なんか知ってる気がする」
「いいの、知らなくて」とアイリスは笑った。
「あなたは、いまヴェル・フォッセルでいい」
「うん」と彼は頷いた。
「ぼくは、ヴェル・フォッセルでいる」
了。




