第一話 火竜の鼻先で
王立中央病院の三階、第七診察室。
アイリス・フォッセルはその日、十二件目の患者の処方箋を書き終えたところだった。窓の外で銅鑼が鳴った。三度、ゆっくりと。
「番探しの宴」の触れ太鼓だ。
廊下が静まり返った。看護師が祈るような顔で扉を閉めた。エルフォニア王国民にとって、五十年に一度のこの日は、誰かが消える日だった。隣の家のだれかが。あるいは ── 自分が。
アイリスは羽根ペンを置き、白衣の袖口を整えた。怯えても仕方がない。番にされる確率は、計算上、二万分の一以下だ。彼女は確率を信じる女だった。
扉が、音もなく開いた。
そこに立っていたのは、深紅の長い髪を首の後ろで縛った男だった。背は天井に届きそうで、瞳は溶けた金属の色をしていた。耳の上に小さな角が二本。指の関節は人間より一節多く、爪は黒い。
竜人だ ── と理解した瞬間、男はアイリスのほうに一歩、踏み出していた。
「お前だ」
声は思いのほか低く、震えていた。震えていたのは、男のほうだった。
「番だ。私の番だ。間違いない」
アイリスは羽根ペンを取り直した。検証癖が顔を出す。
「失礼ですが ── あなたの嗅覚は、私の体臭から具体的にどのような情報を得たのでしょうか。私には、その判定基準を理解する素養がありません」
男は、目を見開いた。
それから、生まれて初めて笑うような顔をした。
「お前、面白いな」
その声で、アイリスはようやく恐怖を覚えた。
これは、自分の理屈が通じない世界の生き物だ。




