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足手まといの没落貴族を拾ったら、数年後、相棒へと成長した彼から逃げられません  作者: *しおり*


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4

悪臭と赤錆にまみれた『鉄屑の街』が、白い航跡の彼方へと遠ざかっていくのが見える。

 淀んでいた灰色の雲は去り、頭上には突き抜けるようなアルラド海の青空が広がっていた。甲板を吹き抜ける強い潮風が、こびりついていた油の匂いを洗い流していく。


ロレンツォは、甲板の隅に力なく座り込んでいた。その目の前には、泥と、慣れない労働で潰れた手のマメから流れた血で汚れた「バルディ家の装飾剣」が転がっている。


 鈍く光るルビーの柄。昨日までの彼なら、これこそが自分を自分たらしめる唯一の拠り所だった。だが、今となっては重すぎて鞘から抜くことすらままならない、ただの豪奢な鉄屑にしか見えない。


「……飾りのルビーより、ナイフ一本の方がよっぽど命を繋ぐ……か」


 ニコから投げかけられた淡々とした言葉が、波の音に混じって脳裏でこだまする。この過酷な海の上で、家柄やプライドが何一つ自分を守ってくれないことを、彼はこれまでの短い期間で身を以て理解していた。


ロレンツォは震える手で、泥だらけになった上等な絹のシャツの裾を掴んだ。そして、思い切り力を込める。


 バリッ、と。


 かつての栄華の象徴が、無惨な音を立てて引き裂かれた。

 彼はその白い布で、バルディ家の象徴であった美しいルビーの柄を、そして長い刀身を、まるで死者を弔うように丁寧に、けれど固くぐるぐる巻きに縛り上げていった。


 それは、守られるだけだった温室育ちの貴族としての自分を、自らの手で葬り去る儀式だった。


剣を甲板の隅に置くと、ロレンツォは覚束ない足取りで立ち上がった。そして、操舵輪を握り、空を睨んで紫煙を吐き出しているニコの背中へと歩み寄る。


 エンジンの咆哮と風の音に負けぬよう、彼は声を張り上げた。


「……ニコ!」


初めて呼んだ、彼女の名前。


 ニコは振り返らない。ロレンツォは恐怖で足がすくみそうになるのを必死に堪え、彼女の小さな、けれど圧倒的に強い背中を見つめた。


「僕に……生きる術を教えてくれ」


 ニコの肩が、わずかにぴくりと動いた。


「僕はもう、君の背中に隠れて震えているだけのお荷物でいたくない。……いつか、あんたに認めさせてやる。僕がただの足手まといのガキじゃないってことを!」


 それは、無力な子供扱いをされる自分への悔しさと、必死に背伸びをしようとする14歳の少年なりの、剥き出しの承認欲求だった。


ニコはしばらく無言のままタバコを吸っていたが、ふう、と深く、呆れたようなため息をついた。


「……子守りをする気はないって言っただろ、お坊ちゃん」


 彼女が投げやりに視線を落とすと、そこには布でぐるぐる巻きにされ、プライドを封印された装飾剣が転がっていた。


 ニコは一瞬、わずかに瞳を細めた。


この生意気な天使が、泥にまみれる覚悟を決めたことを悟ったのだ。

 彼女は腰のポーチに手を突っ込むと、鉄屑の街で手に入れた予備のナイフを取り出した。ルビーの装飾など一切ない、黒ずんだ鉄の塊。実用性だけを追求した、薄汚い刃。


 それを、背中越しのままロレンツォの足元へ放り投げた。


「足手まといが野垂れ死のうが知ったこっちゃないが……荷物になりたくないなら、まずはそのナマクラで自分の身くらい守れるようになりな。 私の背中を見て勝手に盗め」


 カラン、と乾いた音を立てて転がったナイフを、ロレンツォはマメの潰れた手で拾い上げた。

 自分の背丈ほどあった装飾剣とは違い、それは今の彼の腕でも十分に扱える重さだった。冷たい鉄の感触が、手のひらの傷に染みる。彼は唇を強く噛み締めながら、力強く頷いた。


「……次は『海賊の闇市場』へ向かう」


 ニコが操舵輪を切りながら告げる。


「お前の持ってる『海図』を狙う連中の情報も、撃ち尽くした弾薬の補充も、あそこなら揃うはずだ」

 

小型艇が白波を蹴立てて紺碧の海を進んでいく。

 ロレンツォは甲板の隅で、渡されたばかりの短いナイフを不格好に構え、必死に素振りを始めた。その動きはまだ頼りなく、潮風に煽られてよろけるほどだ。


操舵輪を握るニコは、背後で繰り返される稚拙な鉄の風切り音を、チラリと一瞥した。

 彼女は呆れたように鼻を鳴らし、けれどその口角を、ほんのわずかだけ、誰にも見えないほど密かに上げた。

 吐き出された紫煙が、少年の未来を祝福するように、自由な空へと消えていった。

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