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足手まといの没落貴族を拾ったら、数年後、相棒へと成長した彼から逃げられません  作者: *しおり*
第二部

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18/21

真実7

波の音だけが響く薄暗いキャビン。


 ニコは手元にあるアルドの機関銃の冷たい鉄を撫でながら、ぽつり、ぽつりと、これまで誰にも語ることのなかった過去の全貌を語り始めた。


「……私たちは、スラムの吹き溜まりで身を寄せ合って生きる、四人の孤児だった」


 ニコの瞳の奥に、遠い昔の陽だまりのような記憶が灯る。


「アルドは無鉄砲なヤンチャ坊主で、ジュリオは冷静なしっかり者。……ジーナは、信じられないくらい綺麗で、儚げで、いつも微笑んでいて……末っ子でガサツだった私にとって、絶対に敵わない、理想のお姫様みたいな人だった」


 そこで一度言葉を切り、ニコは自嘲するように小さく息を吐いた。


「……いつからだったかは、分からない。でも、気づいた時には、私はずっとジュリオの背中を目で追いかけていた。……だけど、私は男の子に混ざって鉄パイプや棒を振り回すようなガサツな女の子だったし、ジュリオの隣にふさわしいのは、私じゃなくてジーナだって、最初から分かっていたんだ」


 ニコの指先が、機関銃の冷たい銃身をそっとなぞる。


「……だから、ジュリオがジーナと付き合い出した時も、本当にお似合いだと思った。


ニコの視線が、ふと遠い虚空を彷徨う。


「ジーナにはね、幼い頃に裏社会の泥水から命からがら逃げ出してきた過去があったんだ。ジュリオはそれを全部知った上で、彼女の因縁を清算し、あの日向のような店を構えるために、それこそ血反吐を吐くような思いで身を粉にして働いていた。彼が泥だらけになりながら古い木材を磨き上げ、少しずつあの清潔で柑橘の香りがする場所を作り上げていく姿を……私はずっと、一番近くで見ていたんだよ」


ニコの指先が、膝の上にあるアルドの機関銃の冷たい銃身を、愛おしむようにそっとなぞる。


「そして、ついに店が完成した日。ジュリオの左手に、ジーナとお揃いの指輪が光っているのを見た時……私は、涙が出るほど嬉しかった。私の大好きな二人が、理不尽なスラムから抜け出して、誰も傷つかない完璧な『光の世界』を手に入れたことが、自分のこと以上に誇らしかったんだ」


だが、その直後にニコが浮かべた微笑みは、ひどく惨めで、泣き出しそうなほど歪んでいた。


「でもね、同時に痛いほど悟っちまったんだよ。ジュリオが命懸けで作った、その完璧で美しい絵画のような世界に……ガサツで、薄汚れた私が入る隙間なんて、最初から一ミリもなかったんだって。私のちっぽけな初恋は、あの二人の幸せな笑顔を見た瞬間に、完全に終わったのさ」


「大好きな二人の幸せを、私はどこまでも願っていた。……私のこの汚い気持ちは、一生胸の奥にしまっておくって、そう決めたんだ。


ニコの真っ直ぐで不器用な愛の形。

自分の恋心を殺してでも、家族のように愛する者たちの笑顔を守りたかったという切実な想いに、ロレンツォは胸が締め付けられるのを感じた。


「私たち四人は『家族』だった。いつまでも、この四人でずっと幸せでいたかった……。ヴェネトの街でルカたちを見た時、冷たく突き放そうとしてもどうしても放っておけなかったのは……泥水の中で身を寄せ合うあいつらが、昔の私たち四人に重なって見えちまったからだよ」


 だが、そのささやかな夢は、あまりにも残酷な形で崩れ去った。


「アルドが『俺が手っ取り早く金を稼いで、お前らに腹一杯美味いもんを食わせてやる』って共和国の傭兵に志願して……最前線で、原型を留めないほど肉片になって吹き飛んだ。遺されたのは、この銃と、あいつが騙されて背負わされていた莫大な借金だけだった」


 組織の借金取りが、ジュリオとジーナが必死に開いたばかりの酒場を差し押さえにきた日。


「だから、私がアルドの代わりに汚れ仕事を被ることにした」


 ニコの漆黒の瞳が、過去の暗闇を見つめるように細められる。


「初めて人を殺して、返り血を浴びて泥水をすすった夜……怖くて、吐き気で気が狂いそうになった。でも、不思議と耐えられたんだ。私がこの手を血で汚せば、ジュリオとジーナのあの光の世界は守られる。大好きな二人の幸せを守れるなら、私なんだってできる、無敵だって……本気でそう思えたんだよ」


 自己犠牲という名の、痛ましくも純粋な恍惚。


 自分が裏社会の泥水に深く沈めば沈むほど、彼らの日常は守られるのだと信じて疑わなかった。


「……でも……神様ってのは、本当に底意地が悪いよ。」


 ニコの瞳に、拭い去ることのできない凄惨な地獄の光景が蘇る。


「ある夜……私が裏仕事から帰ると、ジュリオの店から煙が上がっていた。ジーナは、かつての因縁の男たちに髪を掴み上げられ……その細くて白いお腹を、ナイフで何度も、ぐちゃぐちゃになるまで抉り取られていた」


「……ッ」


 ロレンツォが、息を呑んで絶句した。


『髪を掴み上げられ』。


 その凄惨な言葉を聞いた瞬間、ロレンツォの脳裏に、鉄屑の街の薄暗い船室での光景がフラッシュバックした。  ニコが血に塗れたナイフで、無造作に自分の髪を削ぎ落としていたあの夜。


ロレンツォはてっきり、彼女が自身の「女性らしさ」という不要な部分をただガサツに切り捨てているだけなのだと思っていた。

 だが、違ったのだ。


彼女は、愛するジーナが髪を掴まれて無惨に殺されたという強烈なトラウマから、

二度と同じように殺されないため

——そして何より、愛する家族を救えなかった自分への罰として、強迫観念のように髪を伸ばすことを恐れていたのだ。


 彼女が女性としての自分を殺し続けてきた本当の理由に気づき、ロレンツォの胸は張り裂けそうになった。


「……ジーナは、自分の内臓がこぼれ落ちそうな傷口を押さえながら、泣き叫ぶジュリオには目もくれず、私を見て微笑んだんだ。『ニコ……ごめんね。私の代わりに、ジュリオを……お願い』って」


 ニコの両手は、機関銃の銃身を白くなるほど強く握りしめていた。


「店の床に広がる赤黒い血溜まりの中で、急速に冷たくなっていくジーナの細い手。そして、血まみれの彼女に取りすがり、声にならない絶望の叫びを上げて泣き崩れるジュリオの姿……。いつも冷静で、誰よりも立派な大人だった彼が、血だまりの中で子どものように泣き叫び、完全に心が壊れてしまったあの凄惨な光景を見た瞬間……私の中でも、何かが決定的に壊れてしまったんだ」


ニコは自身の腕を抱きかかえるようにして、声を震わせた。


「私が自分の気持ちを隠し、汚れ仕事を被って、あれだけすべてを犠牲にして彼らを守っていたつもりだったのに。結局彼女を守り切ることはできなかった……それどころか、私のせいで、一番大切だったジュリオの心を殺してしまったんだよ!」


子どものように泣きじゃくる彼女の姿から、長年抱え込んできた強烈なトラウマと自責の念が溢れ出していた。


「私は、愛する者を不幸にする疫病神なんだ。……だから、ジュリオは私を店から追い出した。ジーナのように、私まで因縁に殺されないように……私を突き放すことで、守ろうとしてくれていたんだ……っ」


 すべてを悟り、腐ったレモンを踏み砕かれた今。


 ニコの目から、二十六年間溜め込み続けてきた後悔と絶望、そして決して報われることのなかった切ない恋心の涙が、堰を切ったようにポロポロとこぼれ落ちた。


「……もう、どうやって立っていいか分からないよ。アルドの銃を握って、バケモノみたいに強がって……そうしなきゃ、今日まで息をすることすらできなかったのに……っ」


 膝を抱え、子どものように泣きじゃくるニコ。


 ロレンツォは、黙って彼女の告白を聞き終えると、静かに立ち上がった。


 そして、泣き崩れる彼女の小さな身体を、彼の広く分厚い胸板で、力強く抱きしめた。


「……ロレンツォ……」


「よく、一人で立っていたな。……よく、一人で生きてきた」


 甘ったるい慰めなど言わない。ロレンツォはただ、彼女が背負い続けてきた地獄のような痛みをそのまま肯定し、その背中を強い力で包み込んだ。


「君は疫病神なんかじゃない。自分の心を殺してまで彼らの幸せを願い、すべてを背負い込もうとした、誰よりも優しくて不器用なバカだ」


 頭上から降ってくる低く落ち着いた声に、ニコの嗚咽が激しくなる。


「ジュリオが君から手を離したのなら、僕が君の手を引く」


 ロレンツォは、彼女の涙に濡れた頬を大柄な手でそっと包み込み、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。


「君の血生臭い因縁も、過去の痛切な恋心も、そのどうしようもない不器用さも……全部ひっくるめて、僕が隣で背負ってやる。だから、もう一人でバケモノのふりをして泣くのはやめろ。……ニコ」


 それは、四年間彼女の隣で泥水を啜り続け、ついに彼女の過去の核心に触れる権利を得た相棒としての、そして一人の男としての、絶対的な誓いだった。



ーー翌朝。  


イゾラの裏港にひっそりと佇む、故買屋を兼ねた闇の武器商人の店。


 ロレンツォは、カウンターの上に「白い布でぐるぐる巻きにされた長い棒」を無造作にドンと置いた。


「……これを売りたい。結社の艦隊の装甲をぶち抜くための対艦徹甲弾と、海底遺跡に潜るための特殊な潜水装備一式を頼む」


 商人の男が訝しげに布を解くと、中から眩い光を放つ豪奢な品が姿を現した。四年間封印され続けていた、バルディ家の家宝である『ルビーの装飾剣』だ。


「お、おい……こりゃあ、本物のルビーじゃねえか。しかもこの細工、王侯貴族の国宝級だぞ。本気でこれを売り払うってのかい、兄ちゃん?」


 商人の驚愕の声に、ロレンツォは微塵も惜しむ様子を見せず、静かに頷いた。


「ああ。今の僕には、無用の長物だ」


 ロレンツォは、カウンターに置かれた美しい剣を見下ろした。


 十四歳の頃の自分にとって、これは自分を自分たらしめる唯一の誇りであり、虚栄心を満たすための象徴だった。だが、過酷な泥水の中で幾つもの死線を越え、真の強さと守るべきものを知った今の彼には、もうこんな冷たくて重いだけの飾りは必要ない。


 過去のちっぽけなプライドを完全に売り払い、彼は今、相棒と共に世界を救うための『最後の力』を手に入れたのだ。


 交渉を終え、ずっしりと重い弾薬箱と装備の詰まった麻袋を軽々と肩に担ぎ上げると、ロレンツォは店の外で待っていたニコの元へ歩み寄った。


 朝の光の中、ニコは新品の対艦徹甲弾の箱を見て、少しだけ目を丸くした。


「……お坊ちゃん。その高価な装備、どうやって手に入れたんだい?」


「ただのガラクタを処分しただけだ。……行くぞ、ニコ。父上の負の遺産を、この手で完全に終わらせに」


 ロレンツォが大人の男の余裕を孕んだ笑みを向けると、ニコもまた、昨夜までの重い憑き物が落ちたような清々しい笑みを浮かべてタバコに火を点けた。


「……生意気な相棒だ。振り落とされないようにしな」


 過去の呪縛と決別し、真の相棒としての契りを交わした二人。  彼らを乗せた中型艇は、結社の野望が眠るイゾラ近海の海底遺跡——そして『天使の錨』へ向けて、最後の戦いの海へと白波を蹴立てて出航していった。



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