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足手まといの没落貴族を拾ったら、数年後、相棒へと成長した彼から逃げられません  作者: *しおり*
第二部

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真実2

絶え間なく吐き出される白い蒸気が、巨大な石造りの塔を霧のように包み込んでいた。


 中央記録院。古今東西のあらゆる記録を、冷徹な歯車の回転と共に保存し続ける「絶対中立」の島。塔の内部に足を踏み入れれば、何千もの大小異なる歯車が噛み合うリズミカルな金属音が、心臓の鼓動を上書きするように響き渡っている。


ニコは無骨な機関銃のストラップを肩に食い込ませ、周囲の薄暗い回廊を射抜くような視線で睨みつけていた。鼻を突くのは、真鍮を磨き上げる研磨剤の鋭い匂いと、古い紙が放つ埃っぽい静寂だ。  その三歩前、ロレンツォは迷いのない足取りで解析室の中央へと歩み出た。


「……始めるよ」


 18歳になった彼の声は、かつての裏返った少年のものとは違う。低く、よく通るその響きには、四年に及ぶ逃避行で研ぎ澄まされた重みがあった。


絶え間なく吐き出される白い蒸気が、巨大な石造りの塔を霧のように包み込んでいた。



解析室の台座に、あの『黒いシリンダー』が置かれる。


 ロレンツォは腰の短剣を抜き、慣れた動作で自身の左手親指の腹を切り裂いた。滲み出た鮮血を、シリンダーの冷たい銀の蓋に落とす。


 ——カシャリ、と。


 四年間、どんな鍵開けの技術も、爆薬の衝撃も受け付けなかった堅牢な歯車が、一斉に逆回転を始めた。


次の瞬間、部屋を埋め尽くしていた琥珀色のランプが消え、中心から青白い閃光が爆ぜた。


 中から現れたのは、紙の記録などではない。掌に乗るほどの、透明度の高い古代クリスタルだ。  それが空中で脈打つように発光すると、複雑な幾何学的模様が網膜を焼くほどの密度で展開された。


「……海図?」  


ニコの喉が小さく鳴る。  立体的に投影されたのは、現存するどの海図にも載っていない未知の海域。その最果てには、空を突くような巨大な構造物が光の粒で描かれていた。


「なんだ、これは……?」


 ロレンツォは息を呑み、目を見開いた。


「父上の手紙には、結社の裏取引を記録した『マスターキー』だと書かれていたはずだ。なのに、なぜこんな古代の遺物が……。父上は、僕に嘘を……?」


 混乱するロレンツォの横で、解析にあたっていた老管理官の指先が、ガタガタと震えを刻んだ。


「ば、馬鹿な……。これは裏取引の記録などではない。海の果て、死の海域に眠るとされる古代の巨大移動要塞『天使のエンジェル・アンカー』。そこへ導くための、生きた羅針盤だ……!」


「天使の錨……世界を滅ぼす、古代兵器……」


 ロレンツォの頭の中で、バラバラだったピースが雷に打たれたように繋がった。  父が自ら泥を被って隠し通したかったのは、ただの犯罪の証拠などではなかったのだ。この世界を丸ごと海に沈めかねない、最悪の『劇薬』だったのだ。


(……そうか。十四歳の僕がこの兵器の存在を知れば、その絶望と重圧に押し潰されてしまう。だから父上は、あえて『裏帳簿』だと嘘をついて、僕に戦うための希望と猶予を与えてくれたのか)


 すべてを悟ったロレンツォの声が、乾いた石壁に低く、静かに反響する。


「……父上は、この世界を滅ぼしかねない遺構の存在を盾に、結社を脅し、渡り合っていたんだな」


 父が一人で背負っていた泥の本当の重さと、息子への途方もない愛情の正体が、今、眼前に「光」として具現化していた。


だが、同時に一つの痛切な真実が、ロレンツォの胸を締め付けた。


 なぜ父は、これほど危険な兵器の海図を自らの手で破壊せず、あえて息子に遺したのか。


 ロレンツォは空中に浮かぶ古代クリスタルを凝視した。

おそらく、この物質そのものが現代のいかなる技術をもってしても物理的に破壊不可能な代物だったのだろう。そして、結社はすでに独自のネットワークで『天使の錨』の存在と海域の目星を確実につけ始めていた。


父が一人で泥を被り、この海図を隠し通して時間稼ぎをするだけでは、いずれ結社が兵器に辿り着くのを防げなかったのだ。  だから父は、バルディの正当な後継者である自分にすべてを託した。


 四年間という『過酷な戦場を生き抜き、力をつけるための猶予』を与え、僕が十八歳になり、狂気の演算技術である『海洋算術』を兵器として完全に使いこなせる大人の男へと成長した時。


結社より先回りして兵器の元へ辿り着き、バルディの術式によって『天使の錨』そのものを永遠に封印、あるいは破壊して世界を救う。


 父にはもう、愛する息子に世界の命運を託すという、その悲壮で絶望的な賭けにすべてを懸けるしか道は残されていなかったのだ。


 ロレンツォは眩い立体海図をじっと見つめ、ゆっくりと右手を伸ばした。


「……負の遺産は、僕の代で終わらせる」


 指先が、海図の中心にある巨大要塞のシルエットを通過する。


「結社がこれを見つけ出す前に、僕が辿り着く。そして、この手で完全にぶっ壊す!」


 決意を口にした瞬間、塔の床を突き上げるような激しい衝撃が走った。



耳を劈く爆音と共に、解析室のステンドグラスが内側へと弾け飛んだ。

 破片がランプの光を反射してキラキラと舞い散る中、乳白色の霧を切り裂いて黒砂結社の飛空艇が姿を現す。不可侵条約など、もはや彼らには紙クズ同然だった。


「ニコ、来るよ!」


「ああ、言われなくても分かってるさ!」


 ニコが機関銃のボルトを引き、猛烈な弾幕を窓の外へ叩き込む。


   降り注ぐ銃弾に、ロレンツォはもう身を縮めはしなかった。彼は脳内で『海洋算術』の方程式を猛烈な速度で回転させ、崩れ落ちる瓦礫の軌道と、塔の歯車の回転速度を割り出す。


「窓から飛ぶぞ! 三、二、一……今だ!」


 ロレンツォがニコの腰を抱き寄せ、開いた窓から虚空へと身を投げ出した。


「正気かい!?」

「僕の計算を信じろ!」


ニコが空中で機関銃を真下に向けて引き金を引き、その凄まじい反動で落下の軌道を強引に捻じ曲げる。


二人の身体は、塔の外壁に露出した巨大な動力歯車の上へと吸い込まれるように着地した。  追手たちの銃弾が石壁を穿つが、ロレンツォは止まらない。  彼は迷路のように噛み合う歯車の間を、まるでダンスでも踊るように軽やかに跳ねていく。


「あのレバーを撃て!」


 ロレンツォの指示に、ニコが正確な一撃を叩き込む。

 ロックが外れた巨大な重りが落下し、追走していた敵兵たちは、突然逆回転を始めた歯車のギミックに巻き込まれ、次々と虚空へと放り出されていった。


だが、落下を免れた一人の結社兵が、死に物狂いでロレンツォの背後へと凶刃を振り下ろした。


「危ない!」とニコが銃を向けようとしたが、それより早く、ロレンツォは振り返ることなく腰の実戦用短剣を逆手に抜き放ち、流れるような身のこなしで敵の喉笛を的確に切り裂いた。


 鮮血が空中にアーチを描く。泥臭くも洗練された、圧倒的な力。

 敵が虚空へ崩れ落ちるのと同時に、ロレンツォは上質な黒スーツの胸ポケットから真っ白なシルクのハンカチを取り出した。

そして、短剣の刃にこびりついた血糊を、まるで貴族の晩餐会でグラスを拭うような、極めて優雅な手つきで拭い去る。

 血に塗れた裏社会の暴力と、決して失われない貴族の気高さ。それは、彼にしか出せない深淵の貴族としての、異質で退廃的な美学だった。  血濡れたハンカチを歯車の底へと無造作に捨て去り、彼は再び跳躍する。


ロレンツォが計算した砲撃のタイミング。

飛空艇が放った一弾が、あえて彼らが走り抜けた後の柱を粉砕し、その瓦礫が後続の敵艦を直撃する。  二人のコンバットブーツが石畳を蹴り、桟橋に停泊させていた自分たちの中型艇へと、流れるような動作で飛び込んだ。


小型艇のエンジンが咆哮を上げ、波飛沫が甲板を乱暴に洗う。  ロレンツォは操舵輪を握るなり、計算された最大出力でスロットルを捻り込んだ。船はロケットのような加速で、崩落する島から大海原へと飛び出す。


振り返れば、霧の向こうから結社の首領が乗る黒い巨大旗艦が、怒りに震えるような長い汽笛を響かせて追ってきていた。


「チッ、しつこい連中だね。どうするんだい、鑑定士様。このまま世界中を追いかけっこかい?」


 ニコは潮風に髪を乱しながら、機関銃の熱を冷ますように笑った。

ロレンツォは、操舵席に浮かぶ青い立体海図を指差し、不敵な弧を唇に描く。


「追えるものなら追ってこい。……最初の経由地は、北の『風車と飛行艇の街』だ!」


中型艇が白い航跡を残し、突き抜けるような青空と入道雲の下を疾走する。  もう、背後に怯える「逃亡者」ではない。  誰よりも早く真実を掴み取るための、世界を巡る命がけの「レース」が、今、幕を開けた。





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