第一章 泰三の話-8
※本作は 文芸社より2026年7月に書籍化 されます。
応援してくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます。
30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。
それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。
この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。
読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。
次に向かったのは、渋谷のスクランブル交差点。何度もテレビで映る、ちょっと有名な場所だ。ここに一日中立っていれば、もしかしたらテレビの大勢の人の中に映りこむかもしれない。確率的には低くはないだろうが、映り込んだとしても、誰も泰三のことに気付くはずもない。結局は、大勢の人の中に紛れ込むだけだ。俺も大勢のうちの一人なのだと再確認させられているように感じた。いや、そんなことよりも、予想外の混み具合だ。人口密度が過剰に高い、こんな異常空間に、長時間は滞在できない。都会の人たちは、こんな世界で生きているのか。東京駅の構内といい、渋谷スクランブル交差点といい、田舎で生まれ育った泰三にとっては、あまりにも過酷で疲れてしまう場所だった。小さな頃は、大人になったら東京で働くんだ、と漠然と認識していたのだが、長く居続けるには、精神的に、あまりよくないと感じた。まるで、小さな水槽で、尚且つ、汚れた水の中で飼われた熱帯魚のようだと感じてしまった。
もちろん東京には、泰三が経験することもないであろう、様々な娯楽施設がある。長年暮らしていれば、自然と慣れるものなのだろうか。住めば都、そんな言葉も確かにある。ただ、泰三の心は都会に揺れ動くことは無かった。忙しく仕事に追われるサラリーマンを見ていると、残念ながら、魅力的には決して思えなかった。仕事のため、生きていくために、あまり良いとは言えない環境で、仕方なく、時間を過ごしているのではないかと感じた。
泰三には、東京で生まれ育ったいとこがいた。田舎である泰三の実家に来るたび、「こんな田舎に何かあるの」と明らかに小馬鹿にした調子で言ってくる。面倒なので、「別に何もないよ」と受け答えているが、普通に生きていられれば、それでいいじゃないかと毎回思う。わざわざそんなことを言ってくるのは、こちらの方が上だということを示し、マウントを取りたいだけなのかもしれないし、実は心の奥底で、人込みの少ない落ち着いた環境で生活を送りたい願望の表れかもしれないなと泰三は思ったが、そんなもの、どっちもでいいよと思った。
今日、インターネットが普及していて、昔とは違ってみんなスマホを手にしている。都会で生きている人だけではない。田舎暮らしの年配者さえも、老人や小さな子供以外は大体みんながスマホを所持している。事実、インターネットが普及してからは、田舎に住んでいても不自由な経験はあまりしてこなかった、と言いたいところではあるが、東京みたいなおしゃれな店は少ないし、娯楽施設も限られている。行きたい店が近場になくて遠方まで車を飛ばすことも多々あった。それでも、生きていくには十分だ。泰三が住む田舎は、車を停める場所に苦労することはあまりなかったし、誰でも自由に運動ができるグラウンドがたくさんあった。娯楽施設は多くはないかもしれないが、泰三はゲームや運動、それに読書ができればそれで十分だった。今後、情報化社会はさらに加速していき、今現在では予想もつかない技術が生まれることだろう。そして、都会と田舎の差は、ますます縮まっていくことだろう。田舎がいいか都会がいいかの論争は、決着などつくはずもなく、不毛な論争だと思う。それよりも、自分が如何に満たされているかどうかの方がよっぽど大事だろうと思った。
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