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城へと続く中央の道を、とぼとぼと歩いていたフィーナは、ふと目の前が暗くなるのを感じて立ち止まった。ゆっくりと顔を上げると、そこにはフィーナにとって、慣れ親しんだ青年が立っている。見た瞬間、思わず顔を顰めてしまい、すぐに元の表情に戻したが、目ざとく見ていた青年は、目をつり上げてフィーナの腕を掴んだ。
「フィーナ、やっと捕まえましたよ!」
「ウィド」
フィーナの腕を掴んでいるのは、ウィドス・シー。フィーナの側近であり、幼い頃から兄妹のように育ってきた幼馴染みだ。奔放に育ってきたフィーナのお目付け役を自負している彼は、ふらりと外に出かけてしまう彼女を、探して連れ戻すのが日課になっていた。
「フィーナ、本当に困った人だ。いつも僕の心配をよそに抜け出して。いつか本当に取り返しのつかないことになりますよ!」
「……」
何度説教しても効果がない現状に、半ばあきらめている。それでも、言うべきことは言わねばならないと、ウィドスはいつもの調子で嗜めた。だが、常ならばすぐに来るフィーナからの反論が一向にやって来ない。
「フィーナ?」
不審に思ったウィドスが、様子を伺うと、そこには、湧き上がる何らかの感情を、必死で押し殺そうとする痛々しいフィーナの姿があって、無意識に息を飲んだ。
「フィーナ、どう、したのです?」
「……」
「フィーナ?」
声をかけても、唇を噛みしめたまま、何も答えないフィーナに、ウィドスは困り顔で彼女を見つめる。いつも元気で、明るい彼女に一体何があったのか。思い当たることがないウィドスは、どうしたものかと溜息をつく。その時、フィーナが小さな声でぽつりと問いかけてきた。
「ウィド、は、何も知らないの?」
その問いに、ウィドスは首を傾げる。フィーナはウィドスの様子に、本当に何も知らないことを確信し、なにを言っていいか分からず、再び口を閉ざす。
「……その言い方は、城に情報が届いているということですか。あなたの落ち込んでいる原因が」
フィーナの言いたいことを察したウィドスが、はっきりと言葉にすると、フィーナは少し間を置いて小さく頷いた。
「あいにく、僕は今まで、抜け出したあなたを捜しまわっていたので、城に届いている情報は聞いていません。いったい、なにがあったのですか」
「……」
情報を聞きだそうとしたウィドスだったが、フィーナは何も答えない。これはかなり落ち込んでいるな、と感じたウィドスは、仕切り直すために、フィーナの頭を撫でながら移動を促した。
「取り敢えず、城に戻りましょうか」
詳しい話は、戻ってから聞きますよ、という、いつにない優しい声に、フィーナは目に涙を滲ませながらこくりと頷いた。
美しい街並みの中央には、一本の大きな道が伸びている。それは、セイレーン族の街シーマランの入り口から、街の最奥に佇む城までまっすぐに結ばれており、この道からであれば、妨げる建物もなく、優美な城の全貌が見えるようになっていた。
虹色に光る不思議な光沢の城に、初めて見た者は、一瞬にして見惚れ、意識を奪われる。ただの城と違う、なにか近寄りがたい雰囲気を持つその城の名を、シーザリア城といい、その城の主の名をエリル・ディーナという。
エリル・ディーナはセイレーン族の長である。セイレーン族は代々女性を長と定めている。元々セイレーン族は女系種族であり、男性は女性の三分の一程度の人数しかいない。さらに、王族の直系は女性の方が強い能力を持って産まれることもあり、女性が長になるのだ。
現在の長エリル・ディーナには、今年十七歳になる一人娘がいた。娘の名はエリル・フィーナ。ウィドスが腕を掴んでいる、少女フィーナは、時期セイレーン族の長という立場にあった。
ウィドスが城を抜け出して遊びに行くフィーナに説教するのは、彼女の立場故の危険を回避したいため。フィーナはそれを分かっているはずなのだが、現時点でそれを態度で示してくれたことは無い。そのことについては、ウィドスも頭が痛い所なのだが、こう落ち込んでいる彼女を見ると、城を抜け出すくらい元気な方が遥かにましに見えた。
腕を掴むのを止め、手を繋いで誘導するように歩くウィドスと、元気のないフィーナの姿は、城の者たちにも異様に見えたらしい。二人を見てざわつく周囲に、ウィドスは溜息をつきたいのを我慢してフィーナを彼女の部屋まで送った。
「さて。話をする前に気持ちを落ち着けましょうか。お茶を用意させますから少し待っていてください。私は、城にもたらされている情報を確認してきます」
「うん……」
フィーナが頷くのを見たウィドスは、部屋の外に控えていた侍女にお茶を用意するように指示し、自身はディーナの執務室へと向かった。