第3話:異物
魔王覇気。
メルは人心掌握術の一種と呼んでいた。
人の心を掴むなどという、生易しいものではない。
私を上だと認識した人間に。
意思を押しつける。
あの世界で。
魔王が配下を従わせていた力。
あれから数週間。
私は魔王覇気の検証を続けた。
教師。
同級生。
上級生。
知らない大人。
命令の内容も変えた。
物を取れ。
座れ。
帰れ。
黙れ。
結果は、最初に立てた仮説とほぼ同じだった。
相手が私を上だと認識するほど。
命令は強くなる。
なら。
あとは、自分の格を上げればいい。
成績。
運動。
知識。
人望。
金。
地位。
この世界で人間が価値だと思うものを。
可能な限り手に入れる。
十五年間。
剣を振った。
今度は。
自分自身を鍛える。
やることが決まれば。
楽だった。
・
・
・
学校からの帰り道。
人だかりができていた。
最初は、事故かと思った。
駅前の路地。
何人かの大人が、遠巻きに何かを見ている。
「警察呼んだ?」
「もう誰か呼んでるって」
「やばいだろ、あれ」
足を止める。
悲鳴が聞こえた。
人垣の隙間から。
男が見えた。
三十代くらいだろうか。
スーツ姿。
その男が。
別の男に馬乗りになっていた。
殴っている。
一発。
二発。
三発。
倒れている男は。
もう抵抗していない。
それでも。
殴り続ける。
「やめろ!」
誰かが叫ぶ。
スーツの男が振り向いた。
「うるせえ!」
その顔を見て。
違和感を覚えた。
怒っている。
それ自体は普通だ。
人間は怒る。
私も。
何度も怒った。
だが。
違う。
あの目。
私は知っている。
殺すことを。
楽しんでいる目。
人間も。
そういう目をする。
戦場で何度も見た。
だから。
それだけなら。
立ち止まらなかった。
だが。
男の首筋。
一瞬。
色が変わった。
黒ではない。
紫にも見える。
血管が。
皮膚の下から浮き出たような。
奇妙な変色。
一瞬だった。
瞬きをすると。
元に戻っている。
「……」
背筋に。
嫌な感覚が走った。
知らない。
この世界では。
知らないはずなのに。
知っている。
そんな感覚。
スーツの男が。
再び拳を振り上げた。
私は人垣を抜けた。
「やめろ」
男がこちらを見る。
「なんだ、ガキ」
「その人はもう動いていない」
「だから?」
口元が。
笑っていた。
ぞっとする。
「殺すつもりか」
「だったらなんだよ」
周囲がざわついた。
男は。
何も隠そうとしていない。
普通なら。
人を殺せば捕まる。
そんなことくらい分かる。
酔っているようにも見えない。
薬物か。
精神疾患か。
あるいは。
「退け」
魔王覇気を使う。
男を見る。
冷たい感覚が。
胸の奥から広がる。
「そこから退け」
男の身体が。
ほんの一瞬だけ止まった。
「……は?」
首を傾げる。
そして。
笑った。
「なんだ、お前」
私はすぐに理解した。
当然か。
こいつにとって。
今の私は。
ただの子供だ。
自分より上だとは。
欠片も思っていない。
なら。
魔王覇気がまともに効くはずもない。
男が立ち上がる。
私より。
遥かに大きい。
今の身体では。
まともに殴り合えば負ける。
「ガキが」
男が手を伸ばす。
私は半歩下がった。
身体が。
遅い。
分かっていても。
十五年間鍛えた身体とは違う。
男の腕を避け。
手首を取る。
捻る。
「っ……!」
崩れない。
体重差。
筋力差。
やはり。
技術だけでは限界がある。
男の肘が飛んでくる。
頭を下げる。
だが。
完全には避けきれなかった。
肘が頬をかすめる。
痛い。
久しぶりの感覚だった。
だが。
怖くはない。
魔王に比べれば。
遅い。
私は距離を取った。
遠くから。
サイレンの音。
男も気づいた。
「チッ」
逃げようとする。
その瞬間。
私はもう一度。
覇気を使った。
「止まれ」
男の足が止まる。
今度は。
さっきとは違う。
私を見ている目が。
明らかに変わっていた。
恐怖ではない。
だが。
警戒している。
少なくとも。
先ほどまでの。
ただの子供を見る目ではない。
なら。
通る。
「座れ」
男の膝が。
ゆっくりと曲がった。
「な……」
本人も。
理解できていない。
「そのまま動くな」
男が。
地面に座った。
顔だけが。
私を見る。
怒り。
困惑。
そして。
自分でも説明できない何かに従わされている恐怖。
警察が到着する。
私は。
人混みの中へ戻った。
説明する必要はない。
警察官が男を取り押さえる。
男は。
抵抗しなかった。
いや。
できなかった。
私の命令が。
まだ残っている。
そこまで確認して。
その場を離れた。
・
・
・
夜。
私は机に座っていた。
教科書は開いている。
だが。
一文字も読んでいなかった。
思い出していた。
あの男。
変色。
異常な暴力性。
「……何だったんだ」
独り言が漏れる。
人間。
そう考えれば。
説明はできる。
暴力的な人間など。
いくらでもいる。
戦場では。
人を殺すことに慣れ。
それを楽しむようになる者もいた。
だが。
あの男は違う。
平和な国で。
路上で。
人目も気にせず。
倒れた相手を殴り続けていた。
殺したいから。
殺す。
それだけに見えた。
そして。
あの皮膚。
記憶を探る。
十五年間。
何万という魔物を見た。
その中に。
似たものがいた。
「……ゴブリン」
声に出した瞬間。
自分で否定した。
違う。
姿が違う。
体格も。
皮膚も。
顔も。
何もかも。
あれは。
どう見ても人間だった。
だが。
衝動が表に出た時。
変色した。
私は。
椅子にもたれた。
普通なら。
偶然と考えるべきだろう。
考えすぎだ。
そう処理する。
だが。
私には。
それができない。
私は。
異世界へ行った。
女神に会った。
魔法を使った。
魔王を殺した。
そして。
十五年前へ戻った。
あり得ないことを経験した人間に。
「そんなことはあり得ない」
という言葉は。
もう使えない。
もし。
私以外にも。
あの世界から。
何かが来ているとしたら。
私は立ち上がった。
調べる。
あの男が誰なのか。
どこで生まれた。
家族は。
過去に何をした。
同じような人間が。
他にもいるのか。
偶然なら。
それでいい。
私の考えすぎだったと。
笑えばいい。
だが。
そうでなかったなら。
話は変わる。
この世界は。
私が思っていたほど。
平和ではないのかもしれない。
窓の向こうを見る。
父も。
母も。
妹も。
この世界にいる。
十五年かけて。
もう一度。
会うことができた。
今度は。
失うつもりはない。
レナは。
今も生きているのかもしれない。
エリオも。
左腕を失いながら。
あの世界で生きている。
バルドは。
もういない。
私は。
あの世界へ戻れない。
なら。
せめて。
こちらで同じことを繰り返すわけにはいかない。
あの世界で。
私は。
異変に気づくのが遅すぎた。
村が焼かれてから。
軍を動かした。
人が死んでから。
敵を調べた。
同じ失敗を。
二度するつもりはない。
翌日から。
私は。
人間に紛れた異物を探し始めた。
こちらが本編です。
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