第3話_実の兄たちの嘲笑
翌日、早朝に発った馬車で王都へと入ったセレスティアは、休む間もなく貴族議会の法務局や商業ギルドの上層部へと陳情に回った。
しかし、そこで彼女を待ち受けていたのは、あまりにも冷酷な「中央の壁」だった。
「アルトリア伯爵令嬢、お言葉ですが、カルネ子爵家からの報告では『アルトリア家が違法な魔鉱石の密輸を企てたため、正当に差し押さえた』となっておりますぞ」
「ガマル商会との契約書も、専門の鑑定士が本物だとお墨付きを与えております。これ以上の訴えは、虚偽申告として逆にアルトリア家が処罰の対象になりますが?」
どこの窓口へ行っても、役人たちはまるで申し合わせたかのように冷淡な態度で書類を突き返してきた。すでにガマル商会の莫大な賄賂と、ある「強大な権力」の根回しが、王都の隅々にまで行き届いていたのだ。
夕暮れ時、最後の頼みの綱であった貴族議会の控え室で途方に暮れていたセレスティアのもとへ、一組の豪華な一団が笑い声を響かせながらやってきた。
「おいおい、見てごらんよ兄上。本当にこんなところまで泣きつきに来ているじゃないか、我が家の『落ちこぼれ』と田舎の女当主様が!」
「まったく、ヴォルター侯爵家の名が泣くというものだ。見苦しいにも程があるな」
金糸の刺繍が施された極上の礼服を身にまとい、数名の取り巻き貴族と、ニヤつくカルネ子爵・ガマル会頭を従えて現れたのは、二人の青年だった。
傲慢そうに顎を上げ、見下すような視線を向けてくる大柄な男が、ヴォルター侯爵家の長男・ガルド。
そして、軽薄そうな笑みを浮かべながら金の懐中時計を弄んでいる細身の男が、次男のディノであった。
「ガルド様、ディノ様……! なぜ、ここにカルネ子爵やガマル会頭と一緒に……!?」
セレスティアが息を呑むと、次男のディノが心底愉快そうに腹を抱えて笑った。
「なぜって、決まっているだろう! カルネ子爵に知恵を授け、ガマル商会に資金を融通してやったのは、何を隠そうこの僕とガルド兄上だからさ!」
「な……っ!? どういうことですの!? ヴォルター侯爵家は、レイジ様の婿入りを通じて我がアルトリア家と縁戚を結ぶお約束のはずでは……!」
「ハッ! 縁戚だと? 勘違いするなよ、北方の田舎娘が!」
長男のガルドが、吐き捨てるように怒鳴りつけた。
「我々がなぜ、お前たちのような辺境の貧乏伯爵家に、いくら無能で役立たずとはいえ我が家の三男を下げ渡してやったと思っている? すべては、お前たちの持つ『蒼輝石鉱山』の利権を、合法的に我がヴォルター侯爵家が吸い上げるための布石に決まっているだろうが!」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃に、セレスティアは立ち尽くした。
最初から、この婚約話そのものが、ヴォルター侯爵家の長男と次男が仕組んだ巨大な乗っ取り計画の一部だったというのか。
ガルドは、セレスティアの斜め後ろで相変わらずぼんやりと立っているレイジに視線を移し、蔑みの色を濃くした。
「おい、レイジ。貴様もたまには実家の役に立て。その強情な田舎娘を説得して、今すぐ鉱山の全権利をガマル商会と我がヴォルター家に献上させろ。そうすれば、貴様が一生遊んで暮らせるだけの端金くらいは恵んでやるぞ。どうせ貴様は、帳簿の一つも読めない無能なのだからな!」
周囲の取り巻き貴族たちから、一斉に下品な哄笑が巻き起こる。
「さすがはガルド様、お慈悲深い!」
「魔力も実務能力もない穀潰しの三男坊には、もったいないほどのお言葉ですなあ!」
セレスティアは、隣にいるレイジを見た。
実の兄たちから、これほど大勢の面前で人格を踏みにじられ、ゴミのように扱われている。
それなのに、レイジは前髪の陰で目を伏せたまま、小さく力のない声で笑っただけだった。
「いやあ、兄上たちは相変わらず厳しいなあ」
(どうして……どうして言い返さないの!? こんな連中に、どうして頭を下げて笑っていられるのよ……!)
セレスティアは悔しさと怒りで胸が張り裂けそうになりながら、レイジの前に一歩立ちはだかった。まるで、無力な彼を自分の背中で庇うかのように。
「……お言葉を返すようですが、ガルド様、ディノ様! たとえレイジ様がどれほど実務に疎い方であろうと、現在は我がアルトリア家が正式に迎え入れた大切な婚約者です! そして、我が領の鉱山は、亡き母と病床の父、そして領民たちが血と汗を流して守り抜いてきた誇りそのものです! あなた方の不正な脅しになど、私は絶対に屈しません!」
セレスティアの気高い宣言に、ガルドの顔が醜く歪んだ。
「ほう……田舎娘の分際で、この俺に口答えするか。おい、ディノ」
「はいはい、兄上。まったく、身の程を知らない女には困ったものだねえ」
次男のディノが一歩前に出ると、セレスティアの胸元に飾られていたブローチ――亡き母の形見である、小ぶりな蒼輝石のブローチに目を留めた。
「それが母親の形見かい? くすんだ安っぽい石だな。そんなガラクタを後生大事に抱えているから、田舎貴族はいつまで経っても泥臭いんだよ」
ディノが嘲笑いながら手を伸ばし、セレスティアの胸元のブローチを乱暴に引きちぎろうとした、その瞬間だった。
パシッ――!
乾いた音が控え室に響いた。
ディノの手首を、白く長い指が、まるで鋼鉄の万力のような力で掴み止めていた。
「……い、痛っ……!? な、なんだ貴様……!」
顔を歪めたディノが視線を上げ、そして――息を呑んで凍りついた。
ディノの手首を掴んでいたのは、レイジだった。
だが、そこに立っていたのは、先ほどまでの気怠げで頼りない青年ではなかった。
片手で無造作にかき上げられた黒髪の下から現れたのは、一切の感情を排した、深淵のように暗く冷徹な黒曜石の瞳。
その瞳がディノを射抜いた瞬間、控え室全体の温度が氷点下まで急降下したかのような、圧倒的で暴力的なまでの魔力の威圧感が空間を支配した。
窓ガラスがビリビリと細かく共鳴し、シャンデリアの結晶がチリチリと触れ合って鳴る。
「……気安く、その汚い手で彼女の髪一本、ブローチ一つに触れるなよ、ディノ」
低く、静かで、それでいて心臓を直接鷲掴みにされるかのような絶対強者の声。
「ひっ……!?」
ディノは自分がなぜ怯えているのかも分からないまま、本能的な恐怖に突き動かされて手を振り払い、二歩、三歩と後ずさった。
「な、なんだ貴様、その目は……! 無能の分際で、実の兄に逆らう気か!?」
ガルドが虚勢を張って怒鳴りつけたが、その額には冷や汗が滲んでいた。
その時、セレスティアが戸惑ったようにレイジの袖を引いた。
「レイジ様……?」
すると、先ほどまでの凍てつくような覇気は、まるで最初から幻であったかのように霧散した。レイジは瞬きを一つすると、いつものふにゃりとした愛想笑いに戻っていた。
「あはは、ごめんごめん。セレスティアがあまりにびっくりしていたから、つい咄嗟に手が出ちゃったよ。ほら、行こうかセレスティア。これ以上ここにいてもお話にならなさそうだしね」
レイジは呆然とするセレスティアの肩を優しく抱き、まだ顔を青ざめさせて固まっているガルドやディノたちの前を、悠然と通り過ぎていった。
「……な、なんだったんだ、今のあれは……? あの無能のレイジが、なぜあんな薄気味悪い威圧感を……」
「ば、馬鹿を言うなディノ! ただのハッタリに決まっている! 明日の午前十時、特別監査院での公式査問会で、あいつらを完膚なきまでに叩き潰してやる! ガマル、カルネ、抜かりはないな!」
「は、はいっ! 監査官の買収も、偽造証人の手配も完璧でございます!」
悪役たちが己の恐怖を打ち消すように喚き散らす声は、廊下の奥へと去っていく二人の耳には、もはや届いていなかった。
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