↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クラブ・ジェムノット~エピソード2-少女の歌は花開く~  作者: (さ)くま
第5章 進んでゆく

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
31/36

2-5‑1 2回生の学年末

2回生の学年末が…暮れてゆきます…。

今日で最後です…。


全ての試験が、

まるで昨日のことのようです。


まずは重唱…。本当に嫌だった……。

合わせるの、難しすぎ。

相手の呼吸がほんの少し早いだけで、

私の音程がふわっと揺れる。

二人で歌うって、なんでこんなに怖いんだろう。


三度のハモりが何度も何度もあって…

「もっと寄せて」って、散々言われた。

寄せるって何……?

寄せたつもりでも「まだ甘い」って言われるし。

甘いって何……?

四川の中華でも食べに行く?


最後の最後で相手がほんの少し走って、

私もつられて走ってしまって、

終わった瞬間に心臓がぎゅっとした。

あれ絶対減点……。


オペラ実習は、もう……

なんであんなに動かされるの。

神楽と何か違うんだよねえ、

歌と動きが別々な感じ、っていうか…


「ここで一歩前へ」「ここで振り返って」

「ここで相手を見る」「ここで感情を乗せて」

「ここで歩きながら歌う」


わかんない……。


歩きながら歌うの、

息が変なところで切れるし、声が揺れるし、

足音が気になって集中できないし。


しかも今回の場面、

“恋人を見送る”っていう設定だったんだけど、

恋人なんていないし……。

どうやって感情を乗せればいいの……。


教授は「もっと自然に」って言うけど、

自然って何……?

自然にできるなら苦労しないよ……。


合唱は……ちょっと忘れよう。

パートリーダーとか、私、たぶん一番向いてない。


(忘れよう。忘れよう。忘れよう……)


…試験では、

パートの音程がほんの少し揺れて、

私が必死で支えたけど、絶対バレてた。

教授の眉、動いたもん。ピクッ、って……。


(ダメダメ!忘れよう。)


外国語歌曲は、もう……発音が地獄。

ドイツ語の「ch」が出てこない。

イタリア語の「gli」が出てこない。

口がついてこない。


教授は「もっと言語のリズムを感じて」って言うけど、

感じようとしても、

感じる前に音程が来るんだよ……。


ドイツ語の詩、意味が重くて、

声に乗せるのが難しいし、

イタリア語は軽やかすぎて、

私の声がついていかないし。

でも、日本語は日本語で難しい。

母音が多いから声が前に出ないし、

言葉が流れやすいし、息が続かないし。


教授は「もっと言葉を大切に」って言うけど、

言葉を大切にすると音程がズレるし、

音程を大切にすると言葉が死ぬし、

どっちを優先すればいいの……。


しかも今回の曲、詩が繊細すぎて、

声を乗せるのが怖かった。


「はぁ…」


ソルフェージュは……もう……。

聴音が難しすぎる。

なんであんなに臨時記号が出るの。

なんであんなに跳躍するの。

なんであんなに不協和音が出るの。


書きながら手が震えた。

音が頭の中で形にならない。

教授がピアノを弾くたびに、

心臓がぎゅっとする。


視唱も、

「もっと正確に」って言われるけど、

正確に歌おうとすると声が固くなるし、

声を柔らかくすると音程が揺れるし。


二回生のソルフェージュ、本当に地獄。


終わったはずなのに、まだ生々しい。

全部の科目が、私の弱いところを正確に刺しにきてた。


……疲れた。ほんとに疲れた。


新曲視唱がラスボスって言われるけど…

…ずっと地獄だったよ……?



ううん、わかってる。

私は、わかってる―――。


私は今、私が今まさに始まる

新曲視唱の試験から――――



現実逃避をしてるって。



「では、準備ができたら始めてください」


楽譜が、机の上にそっと置かれた。


教授の声が、やけに静かに響く。

……準備なんて、できるわけないのに。


私は深呼吸をして、譜面をのぞき込んだ。


まず、調。

え……これ、何調?

最初の音は分かるけど、

臨時記号が散らばってて、

どこに着地するつもりなのか全然読めない。


跳躍、多い……。

上に跳ぶの?下?三度?五度?えええ…

一瞬で判断しないといけないのに、

頭の中で音がまだ形にならない。


拍子……変わるの?

四拍子から三拍子に、そしてまた五拍子?

なんでそんなことするの……。

呼吸の位置どうしよう。止まったら終わりなのに。

リズムも、なんでこんなに不安定なの。

付点が変なところにあるし、休符が唐突すぎる。


歌の流れが見えない。

これ、本当に“歌”なの……?


……だめ、考えすぎると余計に怖くなる。


私はそっと目を閉じて、

最初の音だけを頭の中で鳴らした。

そこから、跳躍の方向だけをざっくりつかむ。


完璧じゃなくていい。

止まらないことが一番大事。


息を吸う。

喉が少し震える。


教授が、譜面越しにじっと私を見ている。

あああああ、神様……。


「……はい」


声が、少しだけ上ずった。


…もう逃げられない。

私は、譜面の最初の音に向かって声を出した。


声を出した瞬間、

世界が譜面と私だけになった。


―――ラー…


最初の音は……合ってる。はず。

教授の表情は変わらない。

これ……まだ死んでないよね?


二つ目の音。跳躍。

上……だよね?教授、そうですよね?

頭の中で鳴らした音より、

ほんの少し高く出てしまった気がする。

でも止まれない。


止まったら終わり止まったら終わり

止まったら終わり止まったら終わり

止まったら終わり。


三つ目。臨時記号。

なんでなの。なんでここで♭なの……。

どういう意味なの…。

音が一瞬迷って、喉が震える。

でも流れを切らないように、息を押し出す。


ここ!拍子変える。三拍子。

呼吸の位置がずれる。身体がついてこない。

足元がふわっと浮くような感覚。

だめ!止まらないで。止めない。止めない……。


次の跳躍。五度!

高い!怖い!!

でも、声を飛ばすしかない。

喉の奥がぎゅっと縮む。

音程が合っているかどうか、もう分からない。

怖くてたまらない。

でも止めないために前へ進む。


意味不明休符。

なんでここで止まるの。流れが切れるよ、おかしいよ。

息が乱れる。拍が分からなくなる。

でも、止まったら終わり。

教授の視線が刺さる。

こわいこわいこわいこわい!こっち見ないで。


また臨時記号。また跳躍。また拍子が変わる。

譜面が、私を試しているみたい。

ここは地獄の1丁目でしょうか。


最後の小節。

終止形……なのかな。

調が曖昧すぎて、

どこに着地すればいいのかまるで分からない。

でも、最後の音だけは絶対に外したくない。


終わり良ければ総て良しって言うもん。


息を吸う。喉が震える(ダメダメヤメテ声は震えないで)。

勇気を振り絞る。声を出す。


……お願いだから合ってて。

私は、祈るように最後の音を響かせた。


ララ~……


お…終わった…………。


いつもの癖でお辞儀をした。

顔を上げると、教授と目が合った。


「後で、私の研究室に来るように」


!?


「は、はい。」


部屋を出てからどのくらい呆然としてたか

わからないくらい放心して、

教授の研究室に向かった。


「2回生の斎宮です。失礼します」


眼鏡を少し下げて、教授が私を見た。


「斎宮君、きみ、進路はどうするの?」


…はい?


「いえ、実はあまりなにも…

 神社の実家から、一度出てみたかっただけで…」


「お宮さんですか。その道に進むのは嫌ですか?」


「いえ、神事は好きです」


「それはいいですね」


それきり、教授から

何か話してくれる様子は、ない。

え、呼ばれたのって…それだけ?


「あの、教授…」


せっかくだし、聞いちゃえ。


「なんですか」


「試験、私…どうでしたか」


教授は眼鏡を外して、

私に向き直ってくれた。


「斎宮君ね、

 声の質がとてもいいです。

 響きが素直で、無理がない。

 それは訓練では作れない“素材”だ。」


…お父さんお母さん、

この声に産んでくれて、ありがとう……。


「それに、

 流れを止めなかった。あれは才能だ。

 読譜力もあるし、音楽の筋がいい。」


授業で散々言われていたので、

ひたすら徹底しました……。


「だから、

 少し話をしておきたいと思ったんです。」


……つまり、私はラッキーだった、と。


「……私、ただ必死で……

 止まらないように歌っただけで……」


教授の評価と、

自分の必死さが噛み合わなくて、

胸の奥がふわふわ揺れてる。


「来年度も、また会えると嬉しいです」


教授が、本当にほんの少しだけ

にこりとしてくれた。


私、今日死ぬのかな…。


「…ありがとうございました。

 失礼します。」



進路、かあ……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。