幕間・3 リップ
(学祭、伏見視点です)
少し睡眠不足の、日曜の朝。
チャイムを鳴らす少し前から、
俺はイヴの下宿のドアの前で逡巡していた。
学祭に行く。
ただそれだけのことなのに、
胸の奥が妙にざわつく。
イヴはどんな顔で出てくるだろう。
どんな服を選ぶだろう。
どんな声で「おはよう」と言うだろう。
そして……
俺は、少しはイケオジだろうか…。
そんなことを考えている自分に苦笑する。
意を決してチャイムを鳴らす。
少しして扉が開く。
イヴが立っていた。
白いペンシルスカートに、
少しミニマルなハイネックのトップス、
大人びた黒のジャケット。
……少しだけ、唇に色がのっている。
それが……とても、目を惹いて。
気づいた瞬間、心臓が跳ねた。
本人は気づいていないだろう。
ほんの少しの変化なのに、
その“少し”が胸に刺さった。
視線が自然と彼女の唇で止まってしまった。
「朝から唐揚げでも食べた?」
冗談でごまかしたが、
完全に動揺していた。
タクシーに乗り込む。
隣に座るイヴは、
いつもより少し緊張していて、
でも嬉しそうで、
その横顔を見るだけで胸が温かくなる。
(……見とれないように気を付けないと…)
学祭の構内に入ると、
イヴは少し早歩きになった。
いつもより、早い。
俺は歩幅を合わせ、いつもより急ぐ。
歩幅を合わせた瞬間、
イヴがほんの少しだけ肩を揺らした。
気づかれたかもしれない。
だが、言葉なしに伝わったと感じられた。
急ごう、と。
陽菜ちゃんの演奏。
空いている席に二人で並んで座る。
イヴの隣で、俺は静かに彼女を見守った。
陽菜ちゃんには申し訳なかったが、
イヴをずっと見ていたかった。
彼女の表情は、
まるで光に照らされているみたいだった。
(……まぶしいな)
その言葉が、胸の奥で静かに形になった。
演奏が終わり、
舞台袖で花束を渡すイヴ。
イヴが陽菜ちゃんと話している間、
俺はイヴの隣で二人を見ていた。
本当に、
今日のイヴは、“とびきり素敵”だ。
若さ、瑞々しさで、
まぶしく、キラキラ輝いている。
――これは、俺が独り占めしていいものじゃない。
「構内を案内してくれると嬉しいかな。
イヴの日常を、見たい」
構内を歩く。
イヴが案内してくれる。
声楽校舎。
練習室。
お気に入りのベンチ。
どれも、イヴの“日常”だ。
その日常に、
自分が入れていることが、嬉しかった。
でも、今―――
イヴの日常に、非日常―――
“とびきり素敵”なイヴがいる。
先ほどから、イヴを振り返る
男子学生がチラチラいる。
(お前ら程度には、イヴは、やらん)
こんな素敵な姪を
隠しておきたい気持ちも、
本当は……少しだけある。でも。
(……クリスマス、どうするか)
学祭のざわめきの中で、
俺は静かに考えていた。
レーヴの歌は、ただの歌じゃない。
心が動く。影が整う。
翁さんのときもそうだった。
イヴ自身がまだ気づいていないだけで、
あれは“才能”だ。そして“研鑽”だ。
クリスマス。
聖歌。
レーヴの歌は、きっと、
彼女自身も、店も、次のステージに伸し上げる。
まだ大学生だ。
試験もある。
帰省もある。
負担はかけたくない。
それでも───
この、“とびきり素敵な”イヴを見てしまったから。
“世界中に見せびらかしたい”と思ってしまった。
(……レーヴを、クリスマスの目玉にする)
歩きながら、
イヴが楽しそうに話す声を聞いていた。
「ここ、陽菜ちゃんとよく練習するんです」
「そうか」
「この廊下、声が響くんですよ」
「そうだな」
胸の奥がずっとほわほわと優しい何かで満ちている。
返事も、まるで上の空だ。まずい。
広い世界に羽ばたくレーヴを想像して、
今日のイヴが上の空なんて。
この上なく、よろしくない。
(…俺のせいじゃない。イヴがかわいすぎるのが悪い)
そのあともいくらか模擬店を回ったが、
帰る時間が来てしまい。
イヴを下宿まで送り届けたあと、
俺はひとりで事務所に戻った。
机に座り、深く息を吐く。
…本当に。
……ほんっっっっっっっとうに。
(……かわいかったなああああ……!)
素直にそう思った。
そして、その“愛らしさ”が、俺の心を動かした。
クリスマスの構成を変えよう。
レーヴを中心に据える。
イヴの声を、ジェムノットの“聖夜の光”にする。
サポートを徹底する。
腹は括った。
俺は机の上の資料を開き、
静かにペンを走らせた。
―――レーヴの歌が、
もっと遠くまで届くように。




