2-3‑2 知恵熱
「タクシーで帰ろう。
俺が送るよ。
…大江さん、戸締り頼みます」
事務所の空気が一瞬だけ張りつめた。
遼叔父さんの声は、
いつもの穏やかさのままなのに、
“判断が早いときの遼叔父さん”のトーンだった。
大江さんが即座に頷く。
「任せろ」
遼叔父さんはスマホを取り出し、
慣れた手つきでタクシーを手配した。
運よく、すぐ近くに一台いるらしい。
「…イヴ」
私にだけ聞こえる声で、
そっと問いかけてくれる。
「一人で頑張りたいか?
俺の家がいいか?」
胸の奥がじんわりする。
この状況でも、そんなふうに聞いてくれるなんて。
タクシーが到着した。
外の空気が少しひんやりしている。
「レーヴちゃん、お大事にね!」
シズクさんが手を振ってくれた。
「ありがとうございます…」
声が少し震えてしまった。
タクシーの後部座席に乗り込むと、
遼叔父さんが隣に座って、
私の肩をそっと支えてくれた。
多分、そんなにひどい熱じゃない。
きっと…一人で頑張れるけど。
「遼叔父さんの家がいいです」
遼叔父さんは目を見て頷いてくれた。
「行き先は…こちらで」
体を預けているせいか、
運転手さんに住所を告げる声が、
いつもより少しだけ低く、
そして身体に響くように感じた。
わけもなく安心する。
タクシーが静かに走り始めた。
肩に触れている叔父さんの手が、
あたたかい。
そのあたたかさに、
身体の力がふっと抜けていく。
「こんなときに、すみません…」
弱々しく言うと、
叔父さんはすぐに首を振った。
「俺の落ち度だ。
わかってたことなのに、すまない」
なんて優しいんだろう。
絶対にそんなことないのに。
斎宮の家だったら、どんな風に言われただろう。
想像もつかない。
窓の外の街灯が流れていく。
少しぼんやりしてきた。
「叔父さん…
学祭、一緒に行きたい」
言えた。…言えた?
言ってしまった、かも。
叔父さんは、
ほんの一瞬だけ目を丸くして、
すぐに柔らかく笑った。
「いいよ。行こう。
楽しみだ」
胸の奥がぽわんとあたたかくなる。
嬉しい。
本当に嬉しい。
「イヴ。
俺からも一つ、お願いがある」
「…?」
きょとんとして見上げると、
叔父さんは少しだけ真剣な顔をしていた。
「大学やプライベートも含めて、
俺にイヴのスケジュール管理をさせてほしいんだ」
「……」
言葉が出ない。
返事もどうすればいいかわからない。
でも、言われたこと自体は全然嫌じゃなかった。
「詳しくは、熱が下がってからまた話そう。
今は、しっかり休め」
タクシーが止まった。
叔父さんの家だ。
だいぶ意識がぼんやりしてきた。
もう眠ってしまいそう。
「イヴ、降りるぞ」
降りなきゃ。
…そう思ったとき、
身体がふわっと持ち上げられた。
叔父さんが抱え上げてくれたみたい。
――あたたかくて、安心する。
客間のベッドにそっと下ろされる。
服を少しゆるめてくれて、
布団をかけてくれる。
額に触れる手が、
すごくやさしい。
少し苦しそうに息をしている自分を、
遠くに感じる。
もう、ダメ。眠い…。
叔父さんが、
髪をそっと撫でてくれた。
「しっかりおやすみ。
……俺の、お姫様」
やっぱり叔父さん、スパダリっぽい。
陽菜ちゃん、私の叔父さん、スパダリみたい―――。
その声を聞いた瞬間、
胸の奥がじんわりして、
私はそのまま深い眠りに落ちた。
―――朝。
目が覚めたら、
身体がすっきりしていた。
熱も、もうない感じ。
でも、
後で体温計を借りよう。
…昨日の、
叔父さんのことを思い出す。
“いいよ。行こう。楽しみだ”
叔父さんの声が、 胸の奥でぽわんと響く。
嬉しくて、
布団の中で少しじたばたしてしまった。




