にいたま、いってらっはーい!
その後、捕らえられた男たちの自白によって肉屋の一家は無事に救出され、逃亡していた最後の一人も法の手に落ちた。王城を揺るがした激動の夜は、ようやく終わりを告げたのだ。
*
事件の翌日。
対策室には、いつもの穏やかな陽光が差し込んでいた。
「昨日は助けていただき、本当にありがとうございました」
レオが直角に腰を折り、アテナへ深く感謝を捧げた。その真摯な態度に、アテナは悪戯っぽく微笑を浮かべる。
「ふふふ。いいえ、こちらこそ。メリル殿下を間一髪で救ってくださり、感謝しておりますわ」
「それにしても、すごい技だったと聞きましたが」
「ええ、まあ、私もアストレア公爵の友人ですので」
「お二人とも、本当になんとお礼を申し上げればよいか……」
ソフィアもまた、安堵と感謝を込めて丁寧に頭を下げた。
そこへ、勢いよくドアが開け放たれた。
「こんにちはーーっ!!!」
飛び込んできたのは、昨日の悲壮感を感じさせないほど元気なノエルだった。彼はレオを見つけるなり、「レオさん、本当にありがとー!」と全力で抱きついた。
「は、はあ……」
困惑しつつも悪い気はしないレオの様子に、室内には自然と苦笑が漏れる。
「メリル殿下のお加減はいかがですか?」
ソフィアの問いに、ノエルは少しだけ困ったように眉を下げた。
「それがさあ、家族の姿が一人でも見えなくなると、火がついたように泣き出しちゃうんだ。仕方ないから、父上なんて子供部屋に机を持ち込んで執務してるくらいだよ。僕も今日は学園に来るのは無理かなって思ってたんだけど……」
そこでノエルは、堪えきれないといった様子で吹き出した。
「じゅ、従者のアランがさ、金髪おかっぱのカツラを被って、似合わない半ズボンを履いて……!」
「まさか、殿下の身代わりに?」
アイリスが目を丸くすると、ノエルは笑いすぎて涙を浮かべながら頷いた。
「そう! 僕のふりをして、僕を学園に送り出そうとしてくれたんだ。でも、その姿がおかしくて、おかしくて……。僕も、家族もみんなでゲラゲラ笑っちゃって。そしたらメリルも釣られて笑い出しちゃってさ。『にいたま、いってらっはーい!』って見送ってくれたから、ようやく出てこれたんだよ」
あの生真面目で切羽詰まった顔をしていたアランの変装姿を想像し、一同は「ぜひ一度見てみたかった」と肩を揺らした。
そして、皆で持ち寄った一日遅れのケーキを渡し合うのだった。
ノエルは、ソフィアの隣に座り、ケーキを食べながら言った。
「ねえねえ、一つお願い聞いてって言ったの、覚えてる?」
「そう言えば、あのとき、そんなことを仰っていたような⋯⋯」
ノエルはニッコリ笑ってソフィアに耳打ちした。
*
ようやくメリルが眠りについたのを見届け、エドワードは執務室へと戻った。
そこへ、一通の知らせが届く。
今朝、モルティマーが獄中で冷たくなっているのが発見された。
禁忌の薬に蝕まれきった身体は、監獄の厳しい環境に耐えられなかったのだろう。エドワードは、静かに報告書を閉じた。
誰にも知られぬよう内密に運び出された遺体と、エドワードは対面した。
横たわるモルティマーの顔は、驚くほど穏やかだった。
生前、誰にも、そして父親である自分にさえ一度も見せたことのないような、優しく、幼い微笑みを浮かべていた。
エドワードは、誰にも悼まれることのないであろう我が子の死を、たった一人で悲しんだ。
大罪人となった彼に、立派な墓を作ることは許されない。
エドワードは、王家先祖代々の墓地の片隅、木漏れ日が差し込む静かな場所に彼を埋葬することに決めた。
名も刻まず、ただ一つ。
慈しむように頭を撫でた、あのときの手の温もりを忘れないよう、丸く滑らかな石だけを墓標として置いて。




