何にでも、一生懸命でしたね
シュッ――。
空を裂くその音は、裏切り者へ向けられた非情な死刑宣告だった。
ジェイソンの背中に、モルティマーの放ったナイフが深々と突き刺さる。
衝撃に膝が折れそうになりながらも、彼は最後の力を振り絞り、腕の中のメリルを高く、前方へと放り投げた。
ジェイソンの疾走と同時に動き出していたレオが、空中でメリルをしかと受け止める。
だが、その直後には、鬼の形相のモルティマーが刃を剥いて迫っていた。
絶体絶命のレオの背後に、一陣の風のように割り込んだのは――アテナだった。
憎悪に燃える目で目の前の人物を認めたモルティマーは、喉を鳴らして笑った。
「ああ、ちょうどいい。お前には恨みがある……! お前さえ俺の卒業を取り消さなければ、この玉座は俺のものだったというのに!」
逆上したモルティマーがナイフを振りかぶり、アテナの喉元へ突き立てようとした、その刹那。アテナは淀みのない動作で深く身を沈めた。
居合わせた者たちが息を呑む。
次の瞬間、無様に床に転がっていたのはモルティマーの方だった。
アテナの身のこなしを正確に捉えられた者は、誰一人としていなかった。
すぐさま騎士たちが群がり、暴れるモルティマーを組み伏せる。
救い出されたメリルは、レオの手から父エドワードの元へと届けられた。何度も死線を乗り越えた愛娘を、エドワードは壊れ物を扱うように抱きしめ、天を仰いで神に感謝を捧げた。
兄や姉たちの小さな手が次々と差し伸べられ、妹の無事を、その確かな肌の温もりで確かめ合う。
エドワードはメリルをポレッタに託すと、重い足取りでもう一人の我が子の元へと歩み寄った。
騎士たちに取り押さえられたモルティマーの前で、エドワードは静かに膝をつく。
自分へ伸びてくる父の手を見て、モルティマーは強烈な殴打を覚悟し、目を細めた。
しかし――その掌は、慈しむような優しさで、そっと彼の頭を撫でた。
それで、十分だった。
言葉など、何一つ必要なかった。
掌から伝わる父親としての「心」に触れた瞬間、彼は己が積み上げてきた残逆非道な日々に、激しい羞恥の念を覚えた。
(もっと早く、この温もりに気づけていれば……)
家族に囲まれ、安堵の涙を流すメリルの姿が、霞む視界の先で眩しく輝いていた。
そこへ、一人の少女がトトト、と駆け寄り、エドワードの背中に隠れた。第二王女ルシアだ。彼女は恐る恐るポケットから小さな包みを取り出すと、それをモルティマーへ差し出した。
騎士が受け取り、包みを解く。
中から現れたのは、小さな、可愛らしい収穫祭のケーキだった。
モルティマーはそれを、食い入るように見つめた。
(砂入り……いや、いっそ毒入りであってほしい)
震える口元に運んだそれは、甘く、優しく、そして美味かった。
おそらくは、彼の人生で最後となるであろう、祝福の味。
彼は静かに騎士たちに引かれ、玉座の間を後にした。
一方、冷たい床に倒れ伏すジェイソンの傍らには、セレナがそっと寄り添っていた。
彼女の脳裏をよぎるのは、自分を暴力で支配しようとした男の顔ではない。もっとずっと昔、共に過ごした日々に見せていた、あの真っ直ぐな瞳だ。
「何にでも、一生懸命でしたね。あの頃のあなたは……」
途切れそうな意識の中でその声を聞き、ジェイソンは穏やかに微笑んだ。
「……セレナ。ごめん……」
それが、彼の最期の言葉となった。
頬にこぼれ落ちたセレナの涙。それは、彼がこの世で受け取った、もっとも美しく、もっとも尊い最後の贈り物だった。




