そんなこともご存知ありませんの?
国王エドワードは、腕の中の柔らかな重みを愛おしむように抱き直し、遠い日の記憶を辿っていた。
*
エドワードが婚約したのは、わずか六歳の時だった。
相手は有力貴族ケルン侯爵家の次女、一つ年上のゲルダ。
以来、彼女は頻繁に王宮を訪れてはエドワードと時を過ごしたが、幼い彼にとってその時間は苦痛でしかなかった。
「まあ、殿下。そんなこともご存知ありませんの?」
幼少期の「一歳差」は、残酷なほどの知識の差を生む。
ゲルダは常に自分の知識をひけらかし、エドワードが「知らない」と正直に認めると、勝利を確信したように嘲笑った。
初めは「色んなことを知っていてすごいな」と純粋に感心していたエドワードだったが、やがて彼女の歪な性質に気づき始める。
エドワードが精一杯選んだ話題を出すと、彼女は決まってこう言い放つのだ。
「わたくし、そのようなことにはこれっぽっちも興味がございませんの」
突き放すような、冷ややかな声。
自分の話題選びが悪いのかと反省を繰り返したエドワードだったが、ある日、信頼する従者にその悩みを打ち明けた。
「ゲルダはいつも僕の話を『興味ない』って切り捨てるんだ。どうしたら仲良くなれるのかな?」
従者は困ったように苦笑し、こう答えた。
「ゲルダ様は……非常に負けず嫌いなのでしょう。ご自身が知らないことを殿下が知っているのが許せず、防衛のために『興味がない』と仰っているのでは」
エドワードは衝撃を受けた。なんて身勝手で、嫌な子だろう。
僕の無知は盛大に馬鹿にするくせに、自分が知らないことは存在しないかのように切り捨てる。
怒りに震えたエドワードは、父王の膝の上で泣きながら訴えた。
「あんな嫌な子、お嫁さんにしたくありません!」
だが、父から返ってきたのは非情な言葉だった。
「これは、義務としての結婚だよ」
「ぎむ?」
「そう、王子としてのお仕事なのだよ」
「おしごと……」
「うん、だから、本当に大切な人は、二番目の妻として迎え、生涯をかけて守り抜きなさい」
それ以来、エドワードは心を鉄の仮面で覆った。
ゲルダに嫌味を言われても「これは仕事だ」と自分に言い聞かせ、耐えた。
成人してからの婚姻も、第一王子の誕生も、すべては王太子としての職務を遂行しているに過ぎなかった。暖かい家庭など、自分には一生縁のないものだと諦めていた。
しかし――運命は辺境の地、アルテミス領で動き出す。
隣国侵攻の急報を受け、エドワードは騎士団を率いて戦地へと急行した。
到着した時には、アルテミス辺境伯の手によって既に敵兵は退けられていたが、戦火の爪痕はあまりに凄惨だった。
家を焼かれ、親を失い、絶望に暮れる人々。
エドワードは復興支援のため、自ら陣頭指揮を執った。炊き出し、仮設住宅の建設、けが人の看病……。
その混乱の中で、エドワードの目は一人の少女に釘付けになった。
粗末な衣服を身にまとい、泥に汚れながらも、誰よりも献身的に働く少女。
孤児を抱き上げるその手つきはどこまでも優しく、ふとした所作には隠しきれない気品が宿っている。
気づけば毎日彼女の姿を探している自分に驚き、エドワードは辺境伯に尋ねた。
「あの、一生懸命に働いている娘はどこの誰です?」
「ああ、あれですか。お恥ずかしい、私の娘です。邸でじっとしていられぬほどのお転婆でしてな」
呆れたような言葉とは裏腹に、辺境伯の瞳は深い慈しみに満ちていた。
「ポレッタ!」という呼び声に応え、パッと顔を輝かせて駆け寄ってきた少女の笑顔――。
その一点の曇りもない輝きに、エドワードの心は鮮やかに射抜かれた。
凍りついていた彼の人生に、初めて、本当の春が訪れた瞬間だった。




