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婚約破棄対策室 〜王太子に婚約破棄されましたが、あざと可愛い弟王子に懐かれています!?〜  作者: 空丘ジル


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『お兄様』って言えたねえ

お読みいただき、ありがとうございます。

 ところ変わって、ここは王宮。

 かつては権勢を誇った第一王妃の居所、北(ウイング)


 王太子の廃嫡と共に、華やかだったかつての面影は消え失せ、今や人影もまばらな静寂が支配している。


 その薄暗い自室で、一日中、呪詛のような恨み言を吐き続けている女がいた。

 第一王妃、ゲルダである。


 彼女の胸を焦がすのは、ただ一つの後悔。唯一の愛息が廃嫡され、国外追放されるという屈辱を阻止できなかったことだ。

 悔しい。その一念が、彼女の精神を黒く塗りつぶしていた。


 燃え盛る怒りの矛先は、複数の人物へと向けられている。


 そもそも、すべての発端を作った元凶――カサンドラ・レクトル。

 我が子に冷徹な裁きを下した、元学園長アテナ・ルーミス。

 貴族たちを扇動した学園理事長、イングリッド・シンクレア。

 情け容赦なく息子の処分を決めた、夫である国王陛下。

 そして、空いた王太子の座を掠め取ろうとするノエル王子と、その母、ポレッタ。


「ふふふ……。一人ずつ、ゆっくりと地獄へ落としてやるわ」


 ゲルダはまず、事の元凶であるカサンドラの行方を追わせていたが、蛇のように狡猾な彼女は未だに尻尾を掴ませない。

「……仕方ないわね。逃げ足の速い小娘は後回しにしてあげましょう」


 ゲルダは机の上に広げたリストを、指先でなぞる。

 怨念の籠もった指がピタリと止まったのは、二番目に記された名前。

 ――アテナ・ルーミス。


 ゲルダの口角が、歪に吊り上がった。



 ところ変わって、こちらは第二王妃の住まう南翼最上階の一室。


 ポレッタ王妃の第六子である幼い王子がハイハイを始めたため、床は鏡のように磨き上げられ、清潔で柔らかな敷物が隅々まで敷き詰められていた。


 この部屋は完全なる「土足厳禁」。それどころか、赤ん坊と同じ目線で過ごすために「立って歩くこと」すら禁じられている。

 ゆえに、この部屋にいる者は皆、ハイハイで移動するのがルールだ。


 兄姉である王子や王女たちは、この幸せ溢れる空間をたびたび訪れては、赤ん坊と一緒に床を這い回り、末の弟をこれでもかと可愛がっていた。


 学業に疲れ果てたノエルがこの部屋を訪れたとき、そこには母のポレッタ、弟妹たち全員、そして乳母が勢揃いしていた。


 ノエルはとろけそうな笑顔を浮かべ、末の弟へとじりじりと「ハイハイ」で歩み寄る。

「ロビンた〜ん、お兄たまですよ〜」


 多くの弟妹がいるノエルだが、赤ん坊の愛らしさには何度でも感動してしまう。


 大きな頭に小さな体のアンバランスさ、つるりと広いおでこ、一点の曇りもない瞳。飾り物のようにちっぽけな鼻や耳、それとは対照的にふっくらとはち切れそうな頬。


 そして、何よりこの甘ったるいミルクの香り――。


「バーバーブゥ」

「そうそう、お上手! 今『お兄様』って言えたねえ」


 ノエル、絶賛癒やされ中である。

(はあぁぁ……幸せ……♡)


 愛おしい弟を抱き上げ、幸福を噛み締めていると、そこへ父である国王陛下が姿を現した。

 珍しいことではない。陛下は公務の合間を縫って頻繁にここへ顔を出し、そのたびに側近に引きずられて、嫌々仕事に戻っていくのが日常茶飯事なのだ。


「ロビンちゅわ〜ん♡」


 国王自ら猛烈な勢いのハイハイで突進してきたため、ノエルはそっと弟を差し出した。


 宝物を扱うように末息子を抱く父の姿に、自分もこうして愛されたのだろうかと、ノエルの胸に少しくすぐったい温かさが広がる。


 ふと、背後から袖を引かれた。

 すぐ下の妹、十二歳のアイラである。


「兄さま、少しお話が……」

 彼女はノエルの耳元で、密やかに何かを囁いた。


 その内容に、ノエルは驚愕して妹の顔をまじまじと見つめた。


 この妹はまだ幼いながら、王宮の使用人を手懐けて独自の情報網を築き、時には自ら変装して潜入工作までこなす、底知れない少女なのだ。


 彼女が掴んできた情報は――ゲルダ王妃の不穏な動きについて。


 アイラが差し出したのは、ゲルダの部屋から盗み出したという「リスト」の写しだった。


「これは……」

「ええ、間違いないわ」


 ノエルも確信した。これは、モルティマー元王太子の廃嫡事件に関わった者たちを記した、復讐のリストだ。

 そこには、自分や両親、そして前校長のアテナの名も連なっている。


「すぐに父上に相談しよう」

「ええ。でも兄さまもお気を付けて」


 平和そのものだったハイハイ部屋に、冷たい風が吹き抜ける。

 ノエルは深く頷き、手元にあるリストを強く握りしめた。

お読みいただき、ありがとうございました。

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