ルミエラ・エルバート男爵令嬢の場合(1)
男爵令嬢ルミエラ・エルバートは、心底疲れ果てていた。
内気な自分が学園で上手くやっていけるのか。そんな不安を抱えていたルミエラにとって、初めて同級生に話しかけられた瞬間は、まさに救いの手に見えたのだ。
相手が、ダニエル・ルドナイン侯爵令息という異性であったことは少し気にかかったが、彼が友人を紹介したいと言い出した時も、ルミエラは純粋に喜びを感じていた。
だが、紹介された友人たちの反応は、初対面の令嬢に向けるものとしては変わっていた。
チャールズ・ランドマーク伯爵令息、オットー・パンハンドル子爵令息、シドニー・ヘッジ子爵令息。彼らは、ルミエラを値踏みするように眺め、顔を寄せ合ってヒソヒソと囁き合う。
「うっわ、マジでダニエルの言った通りだ。あのピンクブロンド、イメージ通りすぎる」
「名前も最高だよ。ルミエラって、ほとんど『ルミエール』じゃないか」
「家柄が男爵家ってのもポイント高いね。もはや本人そのものだ」
「だろ? 見た瞬間、ビビッときたんだよ」
それ以来、平穏は崩れ去った。
同じクラスのダニエルはもちろん、他クラスの三人も頻繁に現れては、休み時間や放課後のたびにルミエラを包囲するようになったのだ。
「ルミエール、今日のお昼は何を食べるんだい?」
「ルミエール、苦手な教科は? 僕が教えてあげようか」
「ルミエール、学園には慣れたかな。何か困ったことがあれば言ってくれ」
……名前を間違えられているのは、百歩譲っていい。
それに、この状態に対し、家格の低いルミエラが文句を言える立場ではない。
ただ、この「親切」といえるだろう言動が、ひたすら重く、違和感がつきまとう。
異変はすぐに訪れた。
ルミエラを囲む四人の派手な行動のせいで、周囲から白い目で見られ始めたのだ。一人の時に聞こえてくるのは、隠そうともしない悪口の数々。
「見て、あの男爵令嬢。殿方を侍らせて、いい気なものですわ」
「ルドナイン様には立派な婚約者がいらっしゃるのに。あの方は何をお考えかしら」
「ランドマーク様まで……。お可哀想に、あの方の許嫁様が……」
このままでは、取り返しのつかないことになる。
ルミエラは勇気を振り絞り、四人におずおずと切り出した。
「あの……皆様。私が差し出口を叩ける立場でないことは重々承知しております。ですが、休み時間などは、その……ご自身の婚約者様方を優先されるのがよろしいかと思いまして……」
その瞬間、四人はパッと顔を見合わせ、さらに熱を帯びた声で密談を始めた。
「出たよ、悪役令嬢イベント!」
「すごい、セリフまでストーリー通りじゃないか」
「誰がいつ何をやらかしたか、正確に把握しておきたいな」
「やっぱり間違いない。ルミエールこそが『ヒロイン』だ」
ルミエラには、彼らが何を興奮しているのかさっぱり理解できなかった。ただ、生理的な恐怖に近い不穏さだけが背筋を這い上がる。
「あのう……?」
「大丈夫だよ、ルミエール。君は何も気にしなくていい」
「僕たちが必ず君を守るから」
そう言って、四人はルミエラに微笑みを浮かべ、詰め寄った。その瞳は、獲物を見つけた子供のような輝きに満ちている。
「何か嫌がらせを受けたら、すぐに教えてほしいんだ。例えば、教科書をズタズタに引き裂かれるとか」
「上からバケツで水をかけられるとか」
「あるいは、階段の踊り場から突き落とされるとかさ」
「ええっ……!?!??」
(私、これからそんな目に遭うの!?
なんでこの人たち、ワクワクした顔でそんな具体的な犯罪予告みたいなこと言うの?
階段から突き落とすって、それもう「嫌がらせ」のレベルじゃないわよね!?
っていうか――そもそも、どうして私がそんな目に遭わなきゃいけないのよ!?)
ルミエラの困惑は、ついに絶叫に近い声となって心の中で爆発した。
それからの日々、四人の執着はさらに激しさを増していった。
休み時間も放課後も、常に彼らがルミエラを包囲している。
(このままじゃ、本当に心が壊れてしまう。でも、どうすればいいの……?)
逃げ場のない檻の中に閉じ込められたような心地で、ルミエラから完全に笑顔が消えた。
そんな、絶望が日常になりかけていたある日のこと。
「こんにちは。ルミエラ・エルバートさんね」
凛とした、しかし柔らかな声が彼女を呼んだ。
反射的に顔を上げようとしたルミエラの視界を、即座に四人の背中が遮る。彼らは示し合わせたような素早さで、ルミエラを背後に隠し、一歩も近づけさせまいと立ち塞がった。
自称「鉄壁の騎士」たちの包囲網である。
「彼女に何かご用ですか?」
ダニエルが、威嚇するような鋭い声を上げた。
だが、声をかけた女性は、その圧に眉一つ動かさない。
「私は生徒相談室の室長、ソフィア・ローズウェルよ。最近、ルミエラさんの元気が無いようにお見受けしたので、少しお話を伺えればと思って」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、四人が口々に吠えた。
「そんな必要はありません! 彼女に悩みなんてない!」
「ルミエールは僕たちが守ります。余計な手出しは無用だ!」
「僕たちがついているんだ、外部の人間は放っておいてくれませんか?」
「生徒相談? 彼女にそんなものは必要ありませんよ!」
彼らは「ルミエラの意思」などこれっぽっちも介在させず、まるで自分たちの所有物を守るかのように断言する。
だが、ソフィアは彼らの剣幕を静かに受け流すと、背後に縮こまっているルミエラをまっすぐに見つめた。
「……ルミエラさん。あなたはどうしたいかしら?」
その瞳には、彼らのような「観察対象を見る熱」ではなく、一人の人間を案じる温かな理性が宿っていた。
ルミエラは、震える足で一歩踏み出した。四人の背中の隙間から、消え入りそうな、けれど明確な意志を込めた声を絞り出す。
「私……お話ししたいです。……助けてください」
その言葉を聞いた瞬間、ソフィアは花がほころぶような笑みを浮かべた。
「ええ、喜んで。こちらへいらっしゃい」
ソフィアに促され、ルミエラは吸い寄せられるように歩き出す。
四人は、言葉を失ったまま、呆然とその背中を見送ることしかできなかった。
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