……だいたい五十人くらいか?
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翌日。
廊下の向こうから歩いてくる弟のフィンを見つけ、レオは「よっ」と軽く手を上げた。
ところがフィンは、教科書に載せたいほど見事な「プイ!」を繰り出し、兄を無視して通り過ぎようとする。
その態度にイラッとしたレオは、逃がさじとフィンの肩をガッチリと掴んだ。
「兄貴を無視たぁ、いい度胸だな」
フィンは獲物を捕らえた獣のような兄の手に、ギョロリと恨みがましい視線を向けた。
「……昨日、自分が何したか覚えてる?」
「もちろんだ。具合の悪そうなお前を医務室まで運んでやったんだ。礼の一つも言うのが筋ってもんだろ」
「キーッ!! これだから、これだから無神経男は!」
「なんだと、おい!」
「いい、兄さん。その壊滅的な朴念仁っぷりじゃ、一生かかっても恋愛なんてできないからね!」
「えっ、はっ……ええっ!?」
混乱するレオを置き去りに、フィンは指を突きつけた。
「今日は真っ直ぐ家に帰ってきて。いい?約束だよ!」
「え、あ、ああ。わかった」
釈然としないものの、レオはとりあえず実家へ顔を出すことを承諾させられた。
*
その夜。
家族との和やかなディナーが終わり、一息つこうとしたレオの前に、般若のような形相のフィンが立ちはだかった。
「兄さん、僕の部屋に来て」
部屋に入るなり、フィンの怒声が飛んだ。
「だいたいさあ! なんで『肩』に担ぐのさ!」
「はあ?」
「兄さんは、僕を、麦袋みたいに肩に担いで医務室まで運んだでしょ!」
「……状況を判断した結果だ。一刻も早い処置が必要だと思ったからな。もし頸椎損傷の恐れがあるなら、もっと違う運び方をしたさ」
「もう! 僕はね、何人の同級生に『荷物』として運ばれる姿を見られたと思ってるのさ!!」
レオは顎に手を当て、真剣に記憶を遡った。
「……だいたい五十人くらいか?」
「正確な人数なんてどうでもいいんだよ! 恥ずかしいだろうが!」
「しかしだな、一刻を争う事態にそんな見栄を——」
「すとーーーーーっぷ! 僕は別に具合が悪かったわけじゃない! ちょっと……うっとりしてただけなんだ」
「うっとり?」
レオが眉をひそめると、フィンは顔を赤くして視線を泳がせた。
「あのとき、兄さんの後ろを通り過ぎた人がいて……」
「ああ、なんだ。セレナ嬢か」
「はあーーーっ!? なんでわかったのさ!」
「なんでって……お前、わかりやすすぎだろ」
「うっ、こんな朴念仁に……不覚!」
「ハハハ、そう照れるな」
「まあいい、ちょうどいい。兄さん、協力して」
「やだよ、面倒くさい。母上にでも相談しろ」
「なんでそうなるのさ!」
「なんでって、それが一番ストレートだろ。『セレナ嬢と婚約したいので、スコット家に打診してください』ってな」
フィンは頭を抱えた。
「兄さん、バカだねえ。セレナ嬢は婚約解消したばかりだよ? すぐに次の婚約なんて考えるわけないだろ」
「まあ、それもそうか。だが、申し込みが殺到して、その中からすんなり決まっちまう可能性もあるぞ」
「……それなんだよね。そこが怖いんだよ」
「なら、なおさら母上に——」
「だって、同じ学園にいるんだよ!? もし断られたら、僕は残りの学園生活をどんな顔して過ごせばいいんだ!」
「まあ、偶然会えば多少は気まずいか」
「多少じゃない! 超絶気まずいんだよ!」
「ふむ、じゃあどうするんだ」
「まずは仲良くなる。そこからだ」
「まあ、それが妥当だな。頑張れよ! じゃあな」
レオが腰を浮かせた瞬間、上着の裾をギュッと掴まれた。
そのままズルズルと椅子に引き戻される。
「協力してって言ってるでしょ!」
「だから、何をだよ」
「セレナ嬢と仲良くなりたいの! 兄さんは彼女に認識されてるでしょ? だから『やあ、元気にやってる?』って話しかけて、そこに僕が偶然通りかかる」
「いや……多分、認識なんてされてないぞ。せいぜい『あの場にいた騎士かな』くらいだろう」
「えーっ! 三ヶ月も(陰から)見守ってたのに!?」
「うん」
レオが平然と答えると、フィンは探るような目で兄を見つめた。
「……じゃあ、もう一人の子は? えっとなんて言ったっけ、あのセレナ嬢と一緒にいた……」
「ア、ア、ア、ア、アイリス嬢だ」
途端、レオの顔が茹で上がったように真っ赤になった。
それを見たフィンは、勝ち誇ったようにニヤリと口角を上げる。
「へぇ……。そのアイリス嬢はどうなのさ」
「か、彼女は……俺が見守っていたことに、気づいていたようだ……」
「なるほどね」
フィンは椅子の背もたれに深く寄りかかり、指先を合わせた。
「だったら簡単じゃないか。アイリス嬢がセレナ嬢と一緒にいるところに、兄さんが話しかけるんだ。『やあ、元気?』とか『あの時の体捌き、凄かったね』とかさ」
「お、俺から話しかけるのか!? い、いや、無理無理無理! 死ぬ!」
さっきまでの堂々とした態度はどこへやら、レオは猛烈な勢いで首を横に振った。
「兄さん、僕は断言するよ」
フィンが冷徹な宣告を下す。
「もし今行動しなきゃ、兄さんは一生独身だ。そのうち、独身寮の守護神とか独身寮の主なんて呼ばれるようになるんだ」
「……っ!」
レオの顔から血の気が引き、想像した未来にガタガタと震えだした。
「ね、嫌でしょ? そんな末路、回避したいでしょ?」
レオは、まるで何かに取り憑かれたかのように、コクコクと激しく頷く。
「だったら、決まりだね」
フィンが浮かべた極上の甘い微笑み。
だが、今のレオにはそれが、獲物をじわじわと追い詰める蛇の眼差しにしか見えず、心の底から恐怖を感じるのだった。
「……わかった。わかったから、そんな目で見るな」
レオは観念したように肩を落とし、重い腰を上げて机に向かった。
フィンは満足げに頷くと、紙とペンを取り出し、軍師のごとき鋭い目つきで作戦図を描き始める。
「いい、兄さん。作戦名は『ダブル・アプローチ作戦』だ」
「……なんだその、気恥ずかしい名前は」
「黙って。まず、僕たちの最大の武器は何だと思う?」
「……騎士としての、鍛え抜かれた体と忠誠心か?」
「ブッブー! 答えは『二人一組』であることだよ!」
フィンが紙に二つの丸を描き込み、力強く繋いだ。
「いいかい、セレナ嬢とアイリス嬢はよく一緒にいる。そこへ僕が一人で突っ込めば、ただの不審な同級生だ。でも、兄さんが『セレナ嬢の戦技』について話しかけるという『大義名分』があれば、僕が横にいても不自然じゃない」
「な、なるほど……。昨日の、あの見事な体捌きについて、直接称賛を伝えたい……という形にするのか」
「そう! 兄さんはセレナ嬢に話しかけるふりをして、実はその隣にいるアイリス嬢の視線を釘付けにするんだ。兄さんがアイリス嬢を足止めしている間に、僕は横でセレナ嬢に『あ、兄が失礼を。実は僕もあのアクロバティックな動きに感動しまして……』と、スマートに会話に混ざる」
「……お前、計算高いな」
レオが引き気味に呟くと、フィンはフンと鼻を鳴らした。
「これくらいしなきゃ、あの高嶺の花たちには届かないよ。いい? 兄さんの任務は『アイリス嬢の意識を自分に向けること』。一歩も引いちゃダメだよ。独身寮の主になりたくなければね」
「うぐっ……」
レオは喉を鳴らし、覚悟を決めたように拳を握りしめた。
「わかった。やってやる……! セレナ嬢の戦技を、これでもかというほど分析して伝えてやるぞ。その勢いで、アイリス嬢にも俺の存在を……」
「……いや、分析しすぎて引かれないようにね? あくまで『爽やかな称賛』だよ。練習してみようか。はい、僕が二人組だと思って!」
「えっ、お前が……? ……あ、あの、セレナ嬢。昨日の、あの、アウトサイドからの崩しが実に見事で……」
「ダメ! 顔が怖い! 尋問官みたいになってるよ、兄さん!」
夜は更けていくが、レオの「爽やかな笑顔」への道は果てしなく遠かった。
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