演戯
王立学園には、寮がある。
とは言え、入寮は義務ではない。ここ数年で入学率の増えた平民や、地方から来ている下位貴族。あるいは、エスカーダに屋敷のない留学生などは入るが、高位貴族は屋敷から馬車に乗って通学する。
(だからレーヴはエトワと一緒に寮に入って、俺はカルバの屋敷から通ってるんだが)
オーベルと共に馬車を降り、教室に向かおうとしたイリヤは、そこまで考えて正門へと目をやった。
ラウラは公爵家なので、通常なら公爵家の馬車で通学する。だが実際は、婚約者であるユージンが馬車で公爵家まで迎えに行き、一緒に登校していた。
仲睦まじいアピールなんだろうが、今朝は違う。
先に馬車を降りたユージンは、手を差し出してラウラが馬車を降りるのを手伝いこそしたが──その後、義務は果たしたとばかりにラウラを置いて、先に歩き出してしまったのだ。
「……っ!」
当然、居合わせた生徒達からの視線が残されたラウラへと集中する。
それに気づいた、というか──イリヤが見ていたのに気づいて、ラウラは顔を真っ赤にした。他の目があるからかイリヤを睨みこそしなかったが、赤くなったのは恥ずかしさではなく怒りからだと思う。
そして令嬢なのに、走ってユージンを追いかけるラウラの後ろ姿を眺めながら、イリヤは先日、カルバの屋敷に招いたレーヴからの報告を思い出していた。
「勉強会って言うより、質疑応答ですね」
「……どう違うんだ?」
「殿下の方が頭が良いから、解らないことがあれば聞くのは正しいんですけど……彼女、解るところも聞いていると言うか、会話の糸口に質問してるみたいで。図書室なので声こそ抑えてますが、あれって殿下には逆効果だと思うんですよね」
「確かにな」
馬鹿ですよねー、と悪口を言って朗らかに笑うレーヴに、イリヤも頷いた。
ラウラの信奉者なら、それすら可愛いと思うかもしれないが──なまじ頭が良いユージンからすると、煩わしさしかないだろう。イリヤと勉強し、イリヤのノートの取り方などを質問していた様子を思い出してそう結論付ける。
(ユージンから勉強態度を改めるか、勉強会自体をやめると言われたかな)
そう思っていると、背後にいたオーベルが小声でイリヤの名を呼んだ。
「イリヤ様」
「……ええ」
ラウラが走り去り、他の生徒達も歩き出したので良いタイミングだ。
イリヤが頷くと、オーベルはそっとラウラを追って走り去った。
※
ユージンへの反発からか、ラウラは教室にではなく校舎の裏庭へと向かっていた。
授業が始まる前なのと、教室とは逆方向なので生徒や教師の姿はない。これ幸いと、オーベルは追いついたラウラの背中に声をかけた。
「ファーレンハイト様!」
「……オーベル、さん?」
振り向いたラウラが、オーベルを潤んだ目で見上げてくる。小動物らしさを狙っているかもしれないが、愛嬌を振りまくか喧しく吠えるしか役に立たない小型犬はオーベルの趣味ではない。
(トオルさんは、犬と言うより狼……簡単に懐かない、孤高の獣って感じだからな)
そんな訳で、ラウラには全く魅力を感じない。
ちなみに、イリヤに情などが全くない訳ではない。現にレーヴやソフィアなど、身内認定した相手のことは守ろうとするし、カルバやオーベルのことは共犯者として一目置いてくれている。
(そんなトオルさんに任されたんだから、全うしないと)
心の中でそう自分に言い聞かせて、オーベルは相手を気づかう表情をしながら口を開いた。
「申し訳ありません。悲しげなあなたを見て、放っておけなくて」
「まあ……ありがとう。気にしないで? 大丈、夫……」
そこで言葉が途切れると共に、ラウラの瞳から一筋、また一筋と涙が流れる。
(ハンカチなどは当てていなかったから、本当に泣いているのか……なかなかの役者だな)
可憐な少女の涙に、オーベルの心は全く動かない。 だが彼の目は驚きに軽く瞠られ、声音はラウラを心配しているようにしか聞こえない。そして心の中で、役者勝負だと嘯いている。
「これを」
「……ありが、とう」
オーベルがハンカチを渡すのに、ラウラはお礼を言って素直に受け取った。そして目を伏せて、涙同様にぽつりぽつりと呟いた。
「今朝……ユージン様から、もっと真面目に勉強するように……ローラン嬢を、見習えって」
「……お嬢様を?」
「私は、首席の彼女にかなわないけれど」
「殿下も、今までは首席だったのでしょう? 急に、どうしたんでしょうね」
「ええ、そうなの……昔は、私の方が出来なくても『頑張っているし、伴侶には女性らしさも必要だから』って言っていたのに……そりゃあ、私にはユージン様が満足するような学力も、ローラン様みたいなリブレ国や商会との伝手はないけれど」
オーベルからすると、一般論に甘えて己を磨いてこなかったのが悪いと思う。
しかし、ラウラはそんな答えを求めていないので──オーベルは、彼女の欲しがりそうな言葉を口にし
た。
「俺としては、昔の意見とやらの方が納得いきますね。頑張るのは男性で、そんな男性を癒してくれるのが女性ですから」
「オーベルさん」
「俺としては、少しでもそんなあなたの力になりたい……我が国のものが、何か入用なのですか?」
「えっ……あの、少し前に食べたハウハのシロップ漬けが美味しくて……」
「嬉しいです。流石に売る程は無理ですが、お友達と楽しむくらいなら俺が手配しましょうか?」
「いいの!?」
「ええ。俺からのお礼です。他にも我が国で、気になるものがあったら教えて下さい」
本来、一介の使用人には一人で食べる分ならともかく、複数の友人までなんて権限はない。この調子だ
と一度だけではなく、イリヤを介さないやり取りを気の済むまでねだられそうだ。
けれど、カルバがラウラに『オーベルは伯爵家の血縁』だと伝えたので疑われないだろうし、ラウラとの距離を縮める為ならイリヤはむしろ喜んで手を貸してくれるだろう。
そんなことを考えてると、ラウラが涙に潤んだ目を笑みに細めて、感激したようにお礼を言ってきた。
「ありがとう! あの、ささやかだけどぜひ、お礼をさせて!」
「それじゃあ、お礼のお礼になりますよ。ファーレンハイト様」
「……ラウラって、名前で呼んで? こうして、二人きりの時だけでいいから」
甘えるように言ってくるラウラに、オーベルは心の中で呟いた。
(『チョレー』)
以前、イリヤに習った日本語である。
しかしそんな本音は全く出さず、オーベルは笑顔で言った。
「はい、ラウラ様……俺のこともよければ、さん付けせずにオーベルと」




