71話 二人の約束2
キサラは弾かれるようにして地面に倒れ込んだ。
キサラを襲った水の塊は、勢いを落とすことなく直進して茂みの中へ消えていく。少しして、バンという破裂音が森の中に響いた。
水の塊が飛んできた方向で、ガサガサと草木が揺れている。
反射的に顔を向けると、葉の隙間からこちらを覗く不気味な眼と視線がぶつかった。
サリーの剣で何度も切り裂いた魔物。アクアトードだ。
「お前か……!」
俺は一心不乱に、アクアトードに向けて手を振るう。キサラを狙ったあいつを攻撃しろとサリーに強く念じた。
けれど俺が動くよりも先に、サリーはアクアトードの潜む茂みに飛び込んでいた。
サリーは乱暴に大剣を振るう。アクアトードの体は、奴を隠す草木ごと真っ二つに引き裂かれた。確実に絶命へと至らしめる一撃だ。
だが、サリーは攻撃を止めることはない。まるで何かに取り憑かれたように、アクアトードの体を粉々になるまで刻んだ。
粘着質の体を切断する感触が、サリーを介して脳に直接伝わってくる。これ以上は無意味な攻撃。だけど俺はサリーを止めようとしなかった。
「大丈夫かキサラ!? おい…… 嘘だろ……」
俺はキサラに駆け寄ると、すくい上げるように体を抱き寄せる。
真っ赤に染まった左肩。その先にあるはずの腕が、どこにもなかった。
「はぁ…… わたしとしたことが、油断しちゃったな……」
「こんな時まで、何言ってんだよ」
傷口から止めどなく血が流れる。キサラは呼吸を荒くしながらも、強がるように笑った。それは、俺を心配させないためだとすぐに理解できた。
「早く止血を…… そうだ、ちょっとだけ待ってろ! フレンを呼んでくるから」
「待って、ダレス……」
立ち上がろうとする俺の腕をキサラは右手で掴む。そして目を見つめると、力なく首を横に振った。
「たぶん、これダメなやつだ……」
その言葉はまるで何かの呪いのように俺の体に入り込み、きつく心臓を締め上げた。
緩く弧を描くキサラの両目から、涙がこぼれ落ちる。
「だから、ダレス。最後のお願い。今だけわたしのそばにいて……」
「そんなこと言うな。言わないでくれ……」
少しずつ、でも確実に、俺から逃げるようにキサラの生気が失われていく。
俺は震える手で彼女を強く抱きしめた。どこにも行ってほしくなかった。
「はは…… 痛いよダレス…… でも、ありがと」
キサラは軽く微笑みながら、俺の頬に触れる。小刻みに息を吐き出しながらも、親指で俺の目に溜まった涙を拭った。
「世界は美しいって教える約束…… 守れなくてごめんね……」
「もう喋らなくていい……」
「わたしのことは…… 気にしなくていいから…… 前を向いて歩いていってね」
「そんなことできるわけないだろ……!」
俺の頬を包んでいた手のひらが、力なく滑り落ちていく。声が届いていないのか、キサラは満足そうに頬を緩めていた。
辛そうに繰り返していた呼吸は、もう止まっていた。
「なんだよ…… なんでだよ!」
この瞬間を何度も見てきた。あまりに経験しすぎて感情が鈍くなるほどに。
でも目の奥から、次から次へと涙が溢れてくる。せき止めきれなくなったものを、俺は子供のように吐き出した。
この気持ちは、自分にとってキサラが大切な人であったことの証拠だ。
ふと視線を感じて顔を上げると、アクアトードの死骸の前で立ち尽くすサリーと目が合った。
そうだ…… 俺には死者の声を聞く力がある。
最後まで強くあろうとしたキサラに未練はなかったのか。
もしもまだ生きたいと願うなら、ネクロマンサーの俺にはそれを叶えることができる。
俺は目を閉じ、神経を研ぎ澄ませる。両腕の中で、星のように瞬く光に耳を傾けると、キサラの声が頭の中で広がっていった。
『――死にたくない。まだ、みんなと一緒にいたい』
とても儚く脆いキサラの叫びが、俺の胸に深く突き刺さる。
『ダレスと、この先も歩いていきたい』
「……っ!」
俺もだキサラ。こんなところで終わっちゃいけない。
死者は嘘をつかない。ナターシャから教わったことだ。それが本当かどうかは確かめようがないが、きっとこの願いは本物だ。
だから――
腕の中の光を優しく抱きしめるように。決して離さないように。
「キサラ。共に、行こう――」
「何をしているんですか?」
凍えるように冷たい声色に、俺はびくっと肩をすくめた。キサラに向けていた意識が瞬時に途切れる。
振り向くと、白いローブを纏う女性が目に入った。声の主はフレンだった。
「フレン! キサラが…… 魔物にやられて、もう息をしていなくて…… 治癒魔法を早く使ってくれ!」
俺は嗚咽混じりに状況を説明した。けれど、フレンは一瞬驚いたように目を見開いただけで、射抜くような鋭い眼差しを俺に向ける。
「私の質問に答えてください」
「えっ……?」
「どうしてあなたが、ネクロマンサーの術を使っているのですか?」




