68話 騎士の仕事
青年は受け止めた杖の先を地面に戻す。「失礼しました」と爽やかな笑みを向けると、老人は時が止まったかのようにその場で立ち尽くした。
俺も、フレンも、見て見ぬ振りをしていた買い物客も、一様に息を呑む。美しい弧を描いて落ちる噴水の音だけが、広場を包んでいた。
「な…… なんだお前は! いきなり何しやがる!」
息を吹き返したように老人が怒鳴り出す。青年は鎧の上から手のひらを胸に当て、軽く頭を下げた。
「申し遅れました。ロイデール騎士団所属、ライロ・アルランデと申します」
「騎士団なのは見ればわかる!」
残り少ない歯で老人は歯ぎしりをする。そして、少年にぶつけようとした杖の先をライロへ向けた。
「ったく、お前らの仕事はこの世間知らずのガキを教育することだろ」
「……おっしゃる通りです」
ライロは作ったような笑顔のまま、隣で固まった少年を見下ろした。
「何があったのかは知らないが、まずは謝ろうか」
「違う! 俺は悪くない。こいつが俺の足をわざと引っ掛けたんだ」
「謝ろうか」
少年に被せるようにライロは言う。その背筋の凍るような口調は、およそ子どもに向けるべきものではない。
「――ごめんなさい」
悔しさを噛み殺し、少年はなんとか絞り出すようにして口を開いた。けれど、眉間に寄せた皺が、言葉以上に彼の心情を物語っている。それを察してか、ライロは少年の頭部に手を乗せ、無理やり頭を下げさせた。
「この子も非を認めています。どうかここは寛大なご配慮を」
言いながら同じようにライロも頭を下げる。
「それだけじゃワシの気は収まらんな」
老人はドスッと椅子に腰掛けると、思案顔で立派な髭をさすった。少しして何かを思いついたように目を見開くと、にへらと笑いながら口を開く。
「ライロとかいったな。お前がここの代金を払え」
頭を上げ、ライロは丸いテーブルに並んだ料理を眺める。パンにソーセージ、緑の中に鮮やかな赤の混ざったサラダ。カットされた果物まである。ここの奴らは随分豪華な朝食を取るようだ。
「――では、そのように」
言われるがまま、ライロは腰に巻いた袋に手を伸ばす。椅子にふんぞり返った老人が、満足気に口端を吊り上げた時だった。
「ここは私がお支払いします」
「団長……!?」
ライロは目を丸くして硬直する。ライロと同じ、白銀の鎧を身にまとう白髪の男性が割って入ったのだ。団長と呼ばれたその男は、堂々とした足取りでライロの前に立つと、テーブルの上に硬貨をじゃらじゃらと置いた。
「ギルラーク……!」
老人は不快そうに顔を歪ませギルラークを見上げる。
「部下の尻拭いをするのが私の務めです。問題はございませんね?」
目尻のしわをさらに深くさせてギルラークは微笑む。背格好は若いライロに劣ってはいるが、威厳のある立ち振舞いが、彼の体を幾分か大きく見せていた。
誰かが「ギルラーク様がいるぞ」と声を上げた。いつの間にか、広場で足を止める人間が増えている。
「ギルラークまで出てきてやがって。これじゃあ俺が悪いみたいじゃねぇか。ロイデール騎士団は、年寄りいじめが仕事なのか?」
周囲を気にしつつ、老人は頬を引きつらせてペラペラと喋る。さっきまでの威勢の良さはすでに失われていた。
ギルラークは胸に手を当て跪く。鎧の擦れる金属音に反応したのか、老人の肩がぴくりと跳ねた。
「我々は、この国を創ってくださったあなた方のためにこの身を捧げております」
「ハハッ……! そうだ! それでいいんだ。二度とこんな事がないようにちゃんと働けよ」
老人はテーブルの硬貨をかき集めると、杖を使うのも忘れてこの場から去っていった。
「全く…… 食べ物を粗末にするのは感心しませんな」
ギルラークは立ち上がると、テーブルに残った料理を一瞥して深くため息を吐く。
「団長! すみません、俺が不甲斐ないばっかりに」
「いやいや、ライロはよくやってくれた。不甲斐ないのは私の方だ」
唇を噛むライロに、ギルラークはくだけた笑みで応える。二人の会話を、少年が不思議そうな顔で眺めていた。
少年の視線に気づいたギルラークは、しゃがみ込んで寝癖混じりの頭にポンと手を置く。
「すまなかったな坊主。お前があのジジイに足をかけられたのを見ていたんだが――」
「団長……! ここは人の目があります、その呼び方は……」
不安げに眉尻を下げるライロに、ギルラークは唇の前で指を立てる。ライロは何も言えなくなり、きょろきょろと辺りを見回した。
「私は咄嗟に動けなかった。正しいはずの行動ができなかった。立場という足枷は本当に重たい」
自分を咎めるように言葉を紡ぎながら、ギルラークは少年の髪をかき混ぜる。少年は少し恥ずかしそうにしながらも、手甲で守られた大きな手を受け入れていた。
「いかんな、気を抜くと言い訳ばかり出てしまう」
ギルラークは手を止めると、少年のつぶらな瞳を覗き込んだ。
「だが坊主はちゃんと不条理に声を上げた。誰にだってできることではない。そんなお前が正しくて、正しすぎて…… 老いぼれの目には眩しすぎるくらいだ」
ぽかんと首を傾ける少年に、ギルラークはまたくしゃくしゃと頭をなでた。宝物を眺めているような、そんな目をしていた。
「絶望に浸ってはいかんぞ。私とライロだけでなく、坊主を助けたいと思った人間はきっといたはずだ」
ギルラークがぐるりと周囲を見回す。一瞬視線がぶつかって、俺の心臓はドキリと跳ねた。心を見透かされたような恥ずかしさと、何もできなかった申し訳なさで胸の中が焼けつくようだった。
ギルラークの視線から逃げるように、止まっていた買い物客たちの足が動き出す。
「今の気持ちを忘れるな。さぁ、もう行け、仕事の途中だろう。今度は絡まれるんじゃないぞ」
少年はコクコクと頷き、露店の並ぶ通りへと駆け出していく。肩にかけたバッグが慌ただしく揺れていた。
「ありがとう、騎士様!」
くるりと振り返って手を振る少年に、ライロとギルラークは左胸に右手を当て、軽く頭を下げた。
騎士団の挨拶だろうか。その姿は、老人に見せたものよりも気高く勇ましいものだった。




